孤独な少女
停めてあった自分の車まで戻ると、啓二はロックを解除し少女に向かって助手席側を顎でしゃくった。それを見た少女は無言で頷くとおそるおそる助手席のドアを開けた。啓二も運転席にやや乱暴に座り込んだ。
「名前は」
エンジンをかけながら愛想の欠片もなく尋ねた。少女がシートベルトをしようとしないので、シートベルト、ときつく諫言すると、少女は慌てたようにシートベルトを閉め、啓二の質問に答えた。
「安西・・・雫です」
「そうか」
啓二がそれしか返事をしないと、雫という少女は啓二の方を向き、
「あの・・・おじさんは何て呼んだらいいですか」
と大きな瞳で啓二を見つめた。やはりまだ少し警戒しているようだったが、雫は居直るのが早かった。
「・・・松浦
「松浦さん」
それは啓二が一般人として生きる時の名前だった。二見啓二というのは暗殺稼業で使っている名前だった。
それから雫と色々な取り決めを行った。まず、啓二の世話になっている間は母親のことを警察に届け出ない事。これは警察と関わるのが面倒だからだという理由にした。それと先程やっていたような、街頭での人探しも危険なので禁止。
母親を見つけたい雫はそれらについて少しごねたが、事件性の見られない行方不明は警察が動かない可能性があるという啓二の意見と、母親が帰って来なかった場合、雫は一人では生きていけないので最終的には啓二の条件に納得した。
啓二の住んでいるアパートに着くと、人目につかないよう雫を中に入らせた。続いて啓二も入ると雑に靴を脱ぎ、玄関でそわそわしている雫に「上がれ」と言うとずかずかと居間に行き荷物を放った。そして雫が「お邪魔します・・・」と言ってリビングに来ると、啓二はリビングの先にある、一番奥の使っていなかった部屋を指した。
「お前はそこの部屋を使え。必要なものは前の家から持って来てもいいし、そこに金があるから適当に使え。あとそこの部屋は俺の部屋だから入るなよ。絶対だ」
啓二は雫の部屋の手前にある部屋を指し示して言った。啓二の自室には拳銃やナイフなど、仕事に使う道具がしまってあった。
「わかりました、ありがとうございます・・・」
従順に頷く雫に、それと、と啓二は付け加えた。
「俺は家に居る時間が不規則だ。帰って来ない日もあるから、お前はお前で適当に過ごしてろ。住む場所と金は都合してやるが自分の面倒は自分で見るんだな」
無愛想につらつらと述べる啓二に、雫は大丈夫です、と頷いた。元々母親の仕事が夜中で昼間は寝ていた為、雫一人である程度のことはできるとのことだった。
「寝る時はとりあえずこれを使え。後で布団くらいは準備してやる」
使っていなかったクッションを雫に押し付けると、「俺は寝る」と言って啓二は自室に入り、ばたんとドアを閉めた。
俺は一体何をしているんだ。改めてそう思ったが、もう引き返すことはできなかった。
夜が明けて、啓二の仕事に土日は関係ないが、ちょうど学校が休みだった雫は一旦自分の家に戻り、最低限の学校の準備を持てるだけ持って来た。夕方に啓二が帰宅するとその直後に帰って来た。雫は小学四年生の十歳で、学校で使う物は多かった。きっとまだ全ては持って来れていないのだろう。
啓二は交通の便が良い新宿の近くに住んでいたし、雫も母親の勤め先が新宿だったからその近くに住んでいた。しかし実家と違う街ではあった為、雫は電車通学をすることになった。怪しまれるかとも思ったが、今どきは家庭の都合で電車通学をする子どももいるらしい。
そして近所の付き合いはほとんど無かったが、急に小さい子どもが出入りするようになったら不審に思う住民もいるかもしれないので、雫は啓二の実の子どもで、別れた母親が死んだから引き取ったという筋書きにした。三十歳と十歳だから、親子ということにしてもおかしくはないだろう。
周囲への言い訳のあれこれを考え終わると七時になっていた。風呂を済ませて、お互い夕飯をコンビニで買って来ていたので成行き上一緒に食べることになった。
居間にある脚が短い丸テーブルで、向かい合いカーペットに座ってそれぞれの夕食を食べた。稀に佐野と外で飲むことはあったが、それ以外で誰かと食事をするのは孤児院以来だった。その孤児院ですら、寄せ集められた者同士が同じ空間で食事をしていただけに過ぎなかった。啓二は奇妙な感覚をおぼえながら口に入れたものを咀嚼していた。
「お母さん、今日も帰って来ていませんでした」
しばらくすると、しんみりした様子で雫が口を開いた。啓二がそうか、と返事をすると、彼女は真剣なまなざしで続けた。
「やっぱり・・・、何かの事件に巻き込まれたんでしょうか」
雫の声を聞きながら、啓二は350ミリリットルの缶ビールをぐいっと傾けた。
「俺が知るはずないだろ、お前の母親のことなんか何も知らねえんだから」
ぶっきらぼうに言いながら、啓二は胃の辺りがチリチリと痛むのを感じた。
「お母さん、夜の仕事だから私とはすれ違うことが多かったんですけど、精一杯私に優しくしてくれたし、私の為に頑張って働いてくれていることは分かっていました。だから、急に出て行くなんて、考えられないんです。きっと、何かお母さんの身に起きて・・・」
だんだんと涙ぐんできた雫は最後まで話すことができなかった。それを啓二はつまみを食べながら黙々と聞いていた。
「すみません、松浦さんには関係ないのに」
涙をぬぐった雫は食事を再開した。
「別に・・・・・・」
素っ気なく答えた啓二だったが、口に入れたつまみの味がわからなくなっていた。
翌日、日曜日、雫は再び実家に自分の荷物を取りに帰った。啓二は二日前に張っていたターゲットの素行調査を引き続き行っていた。
丸一日その人物をマークしていたので、夕方に切り上げた時にはだいぶ疲れが溜まっていた。しかし休みたいというよりは美味いものでも食いたいと思った啓二は佐野を呼び出した。
居酒屋に入り一人先に酒を飲んでいるとしばらくして佐野がやってきた。少し長めの茶髪に、背は啓二より若干高かった。正確な年齢は知らないが、啓二と同じくらいだろう。十年ほど一緒に仕事をしてきて、嫌というほど見慣れた顔が啓二の居るテーブルに座った。
「奴さんの動き、掴めてきたか?」
ハイボールをぐいっと流し込みながら佐野が聞いてきた。佐野はターゲットの事をいつも奴さんと呼ぶ。まるで向こうが悪人であるかのような呼び方だった。
「ああ、大体はな。あと何日もしないうちに「会議」に入れるだろう」
「会議」とは暗殺のことだったが、外でそんな言葉を使う訳にはいかないので隠語を使うことにしていた。
佐野と仕事の内容を簡単に詰めて、あとは適当に飲んだり食ったりしていた。
ふと、家で一人夕飯を食べているであろう雫を思い出した。啓二は食べていた漬物を箸で弄び、しばらく考え込んだがやがて口を開いた。
「・・・子どもを一人保護した」
ジョッキを持っていた佐野が動きを止めて啓二の顔を見た。
「子ども??それはまた変わったことを。保護したって、一緒に住んでんのか?・・・それにしても、一匹狼のお前さんがよりによって子どもとはねえ。何歳の子なの?」
「十歳の女子だ」
啓二が答えると、ジョッキを傾けていた佐野は分かりやすくごふっとむせた。そのまましばらく咳き込み、おいおい、と手をひらひらさせた。
「十歳の女子って・・・、お前、いくら最近この辺の売女が年増になってきたからって、よりによって幼女に——」
むせたせいなのか笑っているせいなのか、目の端に涙を浮かべていた佐野を、啓二はそんなんじゃねえよ、と睨みつけた。
「この前、新聞記者を殺った時に女を一人巻き添えにしただろ。そいつの娘が母親を探してるところに出くわした」
小声で話す啓二の横顔を、佐野は観察するような目で見た。
「あの女か。それにしてもリスクのあることするじゃんか。自分が殺したから罪悪感でも感じたってところか?」
佐野に聞かれると、啓二は持っていた焼酎のグラスを眺めた。
「・・・ちげえよ。ただの気まぐれだ、気まぐれ」
その様子を見ていた佐野の瞳に、先程までよりもいくらか冷たい色が差した。
彼は普段明るい様子でいるがそれは仮面に過ぎず、ふとした拍子に内側が見えることがあった。こんな仕事をしている人間が根っこから明るいはずもなく、佐野と啓二は表面を取り繕っているかそうでないかの違いだけで、心に抱えているものは同じなのだろうと思った。
「お節介かもしれないが、自分の身を滅ぼさないように十分気を付けた方がいいぞ。一般人と深く関わるなんて、本来なら禁止だ。社長にはとりあえず黙っておいてやるよ」
「悪いな、そうしてくれ」
啓二や佐野のような仕事をしている人間は、ほとんどが普通の人間と関わることをしなかった。啓二と佐野の仲にしたって、こうして飲みに行く程度のことはあれど、親友とは言い難かった。啓二は佐野に表の名前を教えていないし、佐野のそれも知らない。新宿に近いというだけで住んでいる場所さえも知らなかった。
俺は何をやっているんだろうな。
空になった焼酎のグラスを眺めながら再び啓二はそう思った。佐野の忠告で、自分の愚かさを改めて感じずにはいられなかった。
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