許し
深雪 了
暗殺者の男
午前二時、新宿某繁華街。
ネオンの灯る騒がしい場所からは少し外れた、
地面に倒れたその男の頭からは血が流れていて、彼がこと切れているのは明確だった。一方男を見下ろす啓二の手には拳銃が握られていて、彼がその拳銃で男を殺害したのは間違いないようだった。
被害に遭った男は名うての新聞記者だった。彼は今とある政治家の横領問題を嗅ぎ付けていて、ことあるごとにその政治家を張っていた。それに気付いた政治家本人が、事が公になる前に極秘裏に記者の抹消を図ったのだった。一般人は知らなくとも、裏ではそういった陰謀や事件がこの国では溢れかえっていた。
啓二は十八の頃から十二年間ずっと、暗殺稼業をやりながら生きてきた。
彼は親を知らず、物心づいた時から孤児院で生活してきた。十八になって孤児院を出る歳になると、周りの者はほとんどが「普通」の職に就いたが、啓二は「普通の職」というものに馴染める気がしなかった。
自分の未来に何の希望も無く、先も見えず、どう生きていきたいのかも分からなかった。孤児院で育った子どもはそういった傾向になりやすいが、啓二は人一倍その意識が強かった。彼にはまっとうに生きなければという意識さえ無かった。
孤児院を出ると行く宛も無くわずかな所持金で都内の繁華街を彷徨った。泥酔した大人に絡まれることもあったし、やくざの道に片足を踏み込んだような若者達に難癖をつけられ、人通りの少ない路地で半殺しにされたこともあった。
そのチンピラ達が去って行った後、啓二はこのまま一人死ぬのも良いかもしれないと思った。人生に何の展望も無い、愛を知らない孤独な人間だ。生に縋り付くように生きたって仕方がない気がした。そうぼんやりと考え、力尽きた啓二はそのまま路地で気を失った。
目が覚めたのは二日後で、小さな診療所のベッドに寝かされていた。そこは後で知ったところによると、表の社会と関わりが持てない人間を専門に看ている場所で、啓二が倒れているところを通りかかった男によって運び込まれたらしい。
傷が思ったより浅かったのか運が良かったのか、何の後遺症も無く数日すると退院することができた。
そして啓二を助けた男から、彼が暗殺稼業を専門に行う会社—表向きは一般的な会社という体を取っている—の代表であること、行く宛ても仕事も無いのであれば自分の所で働かないかという話をされた。
先述した通り、啓二には真っ当な人生に対する未練はほとんど無かった。
あとのことがどうなろうと割合どうでも良かった。ベッドの上で半身を起こしながら男の話を聞いていた啓二は、ああ、いいですよと無気力に答えたものだった。それからずっとこの仕事をしてきて、今に至るという訳だった。
新聞記者が死亡したのを確認した啓二は銃を仕舞いその場を立ち去ろうとした。いつも通り、これで任務完了のはずだった。
その時彼の背後から、ひっ、という悲鳴を飲み込むような声が聞こえた。
振り返るとそこには水商売風の派手な女が居て、新聞記者を見つめながら顔をひきつらせて口を手で覆っていた。そして啓二の顔を見ると後ずさり、「いや・・・!」と言って逃げる素振りを見せた。
想定外の出来事だった。啓二は眉をつり上げると、「チッ・・・」と舌打ちをして素早く女へ銃を向けた。そして次の瞬間女はがくりとうつ伏せに倒れこんだ。
仕事をする上で余計な犠牲者は出したくなかったが、顔を見られてしまった以上仕方がなかった。記者が人通りの無さそうな道に入ったところを狙ったつもりだったが、啓二にとっても女にとっても運が悪かったようだ。
路地を曲がって二つの死体がある場所から身を隠すと、啓二は携帯電話を手にした。連絡先を開き、「佐野
殺しの仕事は二人一組でおこなっていて、啓二がターゲットの行動を把握し実際に仕留める役目、佐野が死体や現場やらを処理する役目だった。わざわざ分業にしているのは、単純に労力の分散と、あとは同じ人間が事件現場に長く留まらないようにする為だった。
何も問題が無ければ、啓二がターゲットを仕留めたあと佐野に1コール電話を掛け、近くで待機している佐野がそれを受けて現場の処理をする。啓二の居る場所は携帯のGPSでわかっていた。
しかし今回は佐野が出るまで電話を掛け続けた。
3コール目に相手が出た。
「よう、どうした?何かトラブルか?」
電話に出た佐野は軽い口調で聞いてきた。彼は啓二とは対照的に明るい人柄だった。
「ああ、ターゲットは仕留めたが、女に見つかったから仕方なくそいつも始末した。だからそっちも頼む」
啓二は低い声で淡々と説明した。
「マジかー、これは社長に報酬追加請求しなきゃだな」
佐野が電話の向こうで頭を掻いている姿が想像できた。しかし二人分の遺体の処理など奴にとっては朝飯前だろうと思った。
そして啓二は暗殺現場を去り、現場から歩いて十分くらいのコインパーキングに停めてあった自分の車に乗り込んだ。帰ったら適当なつまみでも食いながらビールを飲んで寝るつもりだった。
ふいにルームミラーに映った自分の顔を見た。癖の付いてうねった髪に、顎にはやや伸びた無精髭。目の下には隈が出来ていた。いかにも惰性で生きているような顔つきだな、とやや自虐的に思った彼は、そのまま車のエンジンを掛け、夜の街へと消えていった。
◇
それから三日が経ち、啓二はまた夜の新宿の街へと足を運んでいた。
前回の「仕事」から日が浅いので現場に近付くことは避けたかったが、次のターゲットの行動パターンの調査をしており、今日の行き先が新宿だった為仕方なく跡を尾けていたのだった。
仮に警察が動いていて、二人が新宿に居たことを知っていた人間がいたとしても、ピンポイントであの路地を捜査されているとは限らないと啓二は思った。きっと近くを通ってもさほど危険ではないだろう。
次のターゲットの男はどこか胡散臭い、安物の雰囲気がする看板のキャバクラへと入って行った。こうなるともうしばらくは出て来ないだろうと見当をつけた。今日の調査はここまでにした方が良さそうだ。啓二は携帯に時刻と場所をメモすると、踵を返して帰路に着くことにした。
職業柄、必要の無い時は人通りの少ない道を選んで通っていた。そういった道は暗くて汚かったが、よごれ仕事をしている自分にはお似合いのような気がしていた。
薬物を打つのに使ったであろう捨てられた注射器や、隅の方をカサコソと走るネズミを視界に入れながら歩いていると、道の脇に小さい人影が座り込んでいるのが見えた。
近付いてみるとそれは少女だった。まだ小学校中学年くらいだろうか。黒くて長い髪が印象的なその少女は肌の色が白く、暗くて分かりづらいが整った顔立ちをしていた。彼女は膝を抱え込んで、そこに顔をうずめるようにして座っていた。
(何でこんな所に子供が・・・)
疑問に思った啓二だったが、関わらずに通り過ぎようとした。しかし少女の前を通り過ぎる瞬間、彼女は顔を上げ立ち上がると、「あの」と言って啓二に声を掛けてきた。
「あ?」
声を掛けられたのが予想外だったので、思わず少女の方を振り返って立ち止まった。彼女の方はというと、黒目の目立つ大きな瞳は緊張に歪んでいて、しかしその顔には疲労が貼り付いていた。
「人、探してるんです」
張り詰めた声音のまま少女は言葉を続けた。緊張してはいたが、どこか芯の強さも感じられる少女だった。
「この人なんですけど」
そう言って彼女が取り出した写真を見た啓二は眉をつり上げた。当時は暗かったのではっきりと見てはいなかったが、それは先日彼が新聞記者と一緒に射殺した女によく似ていた。
「私のお母さんです。三日前、仕事に行ってから帰ってきてないんです」
三日前。タイミングも同じだ。啓二は脳内で舌打ちをした。こうなってくると啓二が殺した女とみて間違いなさそうだった。
「見なかったですか?」
黙っている啓二に、少女はまた問い掛けてきた。
「・・・さあ、知らねえな。・・・母親の仕事は?」
啓二がそれとなく聞くと、
「ここの近くのお店でホステスをやってるんです」
と少女は縋るような目つきで答えた。啓二が撃った女、あの女も水商売風の恰好をしていた。疑惑が改めて確信に変わった。
「・・・見たことねえな。他を当たってくれ。じゃあな」
どこか気まずい思いを噛みしめたまま、啓二は少女と別れようとした。
少女の、「そうですか・・・」という力ない声を背中に歩き出したが、何だかさっぱりしない気持ちのままだった。
普段は標的にいちいち罪悪感や同情なんて抱かなかった。先の新聞記者にしたって政治家の悪行を調べていて殺されたのだから、どう見ても分が悪いのは政治家の方だった。しかし啓二にはそんな善悪は関係無く、ただ依頼されれば殺すだけだった。
しかしこんな形で、自分の殺めた人間を遺族が探しているという状況に出くわすのは初めてだった。改めて自分の罪を鼻先に突き付けられた気がした。
それに子どもがこんな夜中にこんな街に居て、かたっぱしから他人に声を掛けているのは危険だと思った。おかしな人間に声を掛けられるか、または自分から声を掛けるのは時間の問題だった。
そんなことは放っておけばいいはずだったが、啓二はぐしゃぐしゃと頭を掻くと、くるりと向き直り来た道を戻った。
そして少女のところに戻ると、彼女はあっと啓二に気付いた。
「・・・お前、母親のこと、警察にはもう届け出たのか?」
ズボンのポケットに片手を突っ込んで少女を見下ろすと、少女はまた縋るような目で見つめてきた。
「・・・まだです。もうそろそろ、警察に行こうかと思っていました」
「家族は?・・・もし仮に、母親がずっと帰って来なかったら生活していけるのか」
少女は首を横に振った。
「家族は、私とお母さんしかいません。お父さんは昔死んじゃって、親戚はいるのかいないのか、はっきりしません。お金は・・・、お母さんが帰ってこなかったら無くなっちゃいます」
夜中一人で母親捜しをしていたあたり、やはり他に家族はいないようだった。警察に捜索願いを出したところで、行方不明者の数は多い。事件性が確認できない限り動かないことも稀ではなかった。仮に動いたところで彼女はもう死んでいる。そうしてしまったのは他でもない啓二だった。
少女の返事に適当な相槌を打った啓二はポケットから煙草を取り出した。慣れた手つきでそれに火を点け、煙を吐き出した。そして、
「うち、来るか・・・?」
気が付けばそんな言葉が出ていた。すぐに何を言っているんだと思った。裏の世界で生きている自分が他人と関わるのなんてご免だったし、ましてや自分が殺めた人間の家族と関わるなんて危険すぎる。
そう思ったものの、啓二は発言を撤回することなく少女の反応を待っていた。何故すぐにさっきの発言を打ち消さないのか自分で不思議だった。
少女は予想通り警戒していた。当たり前のことだろう。いきなり知らない男からうちに来るかなどと言われて、現代の子どもが警戒しない訳がない。
「えっと・・・・・・」
言い淀む彼女を尻目に、啓二は再び煙草をふかした。
「俺はどっちでもいい。一応危害を加えるつもりは無いと言っておくが、お前にとっては単なる口約束だろう。だから俺を信じるも信じないもお前の勝手だ」
少女へ対する憐憫なのか、それとも罪悪感か、それとももっと別の何かか——。自分がどの感情で動いているのか分からなかったが、結局少女を捨てやることの出来なかった啓二は路地へと向き直り、歩き出した。しかし心のどこかでは少女が警戒してついて来ないことを期待していた。
だが数秒経ったのち、ぱたぱたと走る音が聞こえて、啓二の後ろを足音が追って来た。啓二はそれに対して振り返ることなく、暗い闇の中を速度を緩めず歩いて行った。
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