絶滅していく趣味の話し
アオヤ
第1話
「アッ、ノーコンだ!」
俺のラジコンヘリは河原の草むらの中に突き刺さる様に落ちていった。
「ノーコンじゃなくて操縦ミスだろう? こりゃ修理は数万円コースだな」
ラジコンクラブの友人は俺に冷ややかに言い放った。
俺は利根川の河川敷でラジコンヘリを飛ばしている。
そこはクラブの人々が協力して草刈りして平らにした貴重な場所だ。
そこを通りかかった人には1〜2cmの草が伸びたゲートボール場ぐらいに映るかもしれないが・・・
俺達はソコを飛行場と呼んでいる。
春先の利根川にはヒバリがやって来てよく巣を作っている。
ヒバリは『ぴゅゅ、チュッチュッチュッ』と連続で鳴いて存在を知らせる。
上空に浮かんで留まっている姿はホバリングしているドローンみたいだ。
15年くらい前俺はラジコンヘリの操縦を始めた。
当時俺はそんなヒバリを見ていて『俺もあんな風にラジコンヘリをホバリングできたらいいな』とか思ったものだ。
しかしラジコンヘリをピタッとホバリングで停止させるのは中級者クラスの腕が必要だ。
初心者だった俺の機体はホバリング中、右に左に前に後ろにゆらゆらゆらゆら動き回る。
ラジコンヘリをホバリングさせるというのはヘリの動きを感じて当て舵をあてまくるという事なんだ。
ヘリを操縦している人の手元を見ると、親指が震えているかの様にピクピクとスティックを動かしている。
常にヘリを見ながらプロポのスティックを動かし続けるのだから、初心者にとってヘリが浮いている10分位の時間がとてつもなく永い時間に感じられる訳だ。
もし、少しでも気を逸して見ていなかったら・・・
今の俺の様に、ヘリは墜落してしまい修理代が数千円から重症だと数万円という痛い出費となってしまう。
俺の場合腕が上がらずに、ラジコンヘリを飛ばす時間より修理している時間の方が長いくらいだ。
何故そんな思いをしてまでラジコンヘリを飛ばすのか?
それは自分自身で操縦している充実感、緊張感を楽しむという事だと思う。
ちなみにドローンの場合ここまでの緊張感は伴わない。
プロポのスティックを離すとそこでピタッと停止しているだけだから・・・
それにドローンの場合、修理する楽しさは味わえない。
販売されている部品なんてヘリと比べ数少ないい為、買ったままの状態でつかい切る。
壊れたら買い換えるだけだ。
プラモデル的な感覚はヘリ程は味わえないのだ。
そんなラジコンも俺と一緒で絶滅の危機に瀕している。
電波の周波数帯改正の為アナログだったモノがデジタルへ・・・
やがて環境配慮の為エンジンから電動化される。
来年からは事故をおこした機体の確認の為か、飛ばす機体は登録制になるらしい。
飛ばす場所も河川敷等は許可が取りにくくなってきている。
それが原因かは分からないが昔は近所に在った模型屋が一店二店と閉店し、今では20Km離れた埼玉の模型屋に通っている。
ソコでは何故かドローンを見える場所に置いていない。
つまりその店にとってドローンは模型では無い。
そんなコダワリがあるのかもしれない。
今の俺はこんな技術しか持っていない。
そんな俺はこのまま絶滅するのを待つだけなのだろうか?
いや、いつかヒバリが飛ぶ様に晴れた空を自由自在に飛ばしてやる。
落ちた機体を抱えながらいつもそんな事を思っている。
ラジコンヘリを墜落させて意気消沈しながら帰る途中、珍しいモノを見られた。
それはどこにでも見られる田んぼの稲刈りだ。
だか、稲刈り中のコンバインのすぐ頭上を10羽くらいのトビが集まっていた。
たぶん、隠れていた小動物が飛び出して来るのを頭上で待ち伏せしているのだと思う。
トビなんて猛禽類、一羽見かけるのさえ珍しいのに・・・
集団で狩りをする姿はカラスとはまた違った野性味を感じる。
トビの秋の空を悠々と飛ぶ姿を見ていると絶滅危惧種なんて言ってられないと思った。
絶滅していく趣味の話し アオヤ @aoyashou
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