シフトチェンジ
風海 徹也
第1話
その夜の会議室は社員達が集まっているにも関わらず、こんな言葉で口火が切られた。
「初心者にも門戸を開いてみたら、どうでしょうか?」
孝雄の発言に対する周囲の反応は、ある程度予想していた通りの沈黙だった。ただ自分自身まで黙り込むわけにはいかない。孝雄としては、この窮状を打破するための切り札的なアイディアだと考えていたので、更なる補足の必要性を感じた。
「つまり、競技未経験者も部員として勧誘するってことですよ」
「そんなこたぁ~言われなくてもわかっているよッ!」
勿論、諸手を挙げて満場一致の賛同を得られるとは思っていなかった。しかし、他部員の賛否色分けがはっきり出来ない。○なのか?×なのか?この半ば投げやりな返答は、孝雄をやや動揺させた。
企業スポーツの衰退が叫ばれてから、随分久しい。社員の士気高揚という、形と生産性の無い事業計画は簡単に書面上から削除されてしまう。世のサラリーマン選手達が手にした社内通達文には「夢を見るな。現実を見ろ」と見えない文字で記されていた。
今、孝雄のチームは下から三段目に位置している。廃部は免れた。会社からの支援打ち切りも何とか避けられた。しかし、経費は大幅な削減となり、今後は各維持費を自分達で賄わねばならない。当然、部員自身の負担も多くなる。この打開策として、全体分母を大きくする必要があると孝雄は考えたのだ。
彼のチームは、その競技特性から選手の全てが学生時代の経験者ばかりであった。社会人になってから、新たに興ずるにはややハードルが高い。という激流とも言える本流に、孝雄は穏やかな支流を作ろうと思った。川の流れは一本でなくともいいのではないか。
これは、運営費の割り勘要員を増やすことだけが狙いなワケではない。社内の競技人口を増やすことで、我々の認知度も更に高まり、もしかすると社員が個人的な援助を考えてくれるかもしれない。何よりも、選手増加は部内に活気を生み出し、成績向上にだって結びつく筈である。
孝雄は、こうした自らが熟慮した再生案を熱く語り続けた。時に、少量の矛盾というスパイスを加えながら。そしてロングスピーチに一人の先輩部員が口を開いた。
「だから、それは猫の鈴なんだよ」
「えっ?」
「確かにいいアィディアかもしれないけど、実際には誰がやるんだっていう話さ」
先輩の表情がやや険しくなった。
「ド素人に、いろはのいの字から教える訳だろ?お前そんなことしている余裕あるのかよ。自分の練習はどうすんだよ?」
孝雄は、発しようとした声を飲み込んだ。
「それをやるのが、年輩者であるあんた等の役目でしょうよッ!」
孝雄の言葉はそこで途切れたが、議論は続いた。喉と心に何かが引っ掛かったのかもしれない。孝雄は、もう積極的に発言をしようとはしなかった。
ただ傍観者にはならず、前のめりな傍聴者へと姿を変え、レーダーをフル回転させた。賛成派と思える人間の意見だけを咀嚼するのではなく、全ての意見を解析した。だが、どれを取っても孝雄の心に劇的な化学反応を起こさせるには物足りなかった。
それにしても、さっきから気になることが、一つある。監督の向井が発言をしないことだ。もう少し正確に言うと、各発言者の言葉の真意を確かめることはするのだが、自らの意見を言おうとはしなかった。
実は、孝雄が一番確かめたかったのは現場を預かる最高責任者の意見である。しかし双方が様々な整理し、再び対面を果たすには三日の日数が必要となるのであった。
三日後のチームミーティング前、向井は孝雄を個人的に休憩室に呼び出し、その片隅で言葉を飾らずストレートに伝えた。
「基本的にはお前の方針で行こうと思う。と言うか、俺が皆を説き伏せるよ」
「ありがとうございます」
孝雄の笑顔に向井は呼応するかのように
「あれから俺も色々考えたんだが、ある駅伝強豪大学の監督が言っていた言葉を思い出したんだ」
孝雄は、向井の顔を見つめた。
「〝ウチは過去の競技経歴は一切問わない。やる気さえあれば、どんな人間であろうと入部を認める〟ってな」
「………」
「スポーツは、やる気があるから好きになるのか?好きだからやる気が出るのか?は俺にもわからんが、まぁ~まずは新しい一歩を踏み出してみることかもな」
「俺もそう思います」
これからの道程を考えたからかもしれない。向井は、やや苦笑いを浮かべながら
「一番開かないといけないのは、入部の扉じゃなくて、心の扉かもしれんが……」
と、最後に付け加えた。
輝かしい未来が待っているとは言い難い。だが、今まで未使用だったギアにシフトしたことは確かである。
このチームは新たな速度で動き始めたのであった。
<完>
シフトチェンジ 風海 徹也 @kazatetsu
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