皇国の落ち人

山桐未乃梨

第1話

厳かな神殿の中、ホリン・ライクアードは胸がいっぱいになっていた。


姉が今日これから結婚式を挙げる。花嫁になるのだ。

準備を終えただろう姉の控室のドアをノックする。

「姉さん、結婚おめでとう。おぉ、ドレス似合ってるじゃん。」

姉の好きなダリアを大きな花束にして手渡す。

姉の名はエーディン、20才。

早くに両親を亡くし、血のつながった家族は唯一この姉だけだ。とはいえ、二人揃って養子に引き取ってくれた侯爵夫妻やその娘のマーギにも感謝は絶えない。

「…ありがとう。」

まだ式の前だというのに、想うところがあるのだろう。眼が涙で濡れている。

「おいおい、式の前に泣いてどうするんだよ。バルドルさんの奥さんになるならもう少し

しっかりしろよな。」

「うん、そうね。」


バルドルは姉より1歳年上の婚約者。アスタルテ国陸軍少尉補佐として活躍する将来有望株とささやかれる青年だ。ホリンのことも同じ軍の後輩として可愛がってくれている。


「ホリン、引っ越しと旅行が終わって落ち着いたら、新居に遊びに来てね。」

「言われなくても行くっつの。身内だからってちゃんとお茶だせよ。」

17歳の割に大人びていると、世間からの評判はあるがエーディンの前では年相応の少年だ。


と、そんなやり取りをしているうちに式の時間が近づいてきた。

「じゃ、俺そろそろ行くけど直前にきてごめんな。あんまガチガチになるなよ。」

手をひらひらさせながらホリンは去っていく。

ホリンにとっても幸せな日になると信じて疑わなかった。




波が穏やかな晴れの日。

そんな天気に似つかわしくない不穏な空気がこの町を覆っている。

「なぁんか…嫌な空気がするんだよなぁ…。」

街の状況を感じ取っていた船長フェリス・ピークスは船員に声をかけた。

「くれぐれも騒ぎは起こすな。乱闘になったとしても、町の一般人は傷つけるな。目的が終わったらすぐに帰還しろよ。」

ピークス船団は船長含め20人程度の船だが、船長にとって船は家であり、船員は家族のようなものだ。

今回停泊するのはアスタルテ国の城下町であり中心街。

大きな商業都市で治安も安定しているが、付近の小さな村々が時折盗賊の被害に遭っている。最近その被害が城下町に近付いているとの情報もある。陸(おか)での戦闘には不向きな船員もなかにはいるのだ。用心に越したことはない。

「キャプテンこそ、いつも単独行動ですから用心してください。」

そう言い含めてくるのは、船の古参だがわずか17歳のルーヴァだ。今回は特に用がないらしく留守番を買って出てくれた。ルーヴァもいつものアスタルテとは違うことを肌で感じとれているらしい。

ルーヴァとは対照的に楽観主義のアーヴィンは、

「キャプテン、心配しなくてもアスタルテは軍事国家でもあるわけだから治安は世界一でしょ。大人しくしてさえいれば余裕ですよ。犯罪者は自警団がやっつけてくれるだろうし。」

などと言ってルーヴァから冷ややかな眼を向けられていることにも気付かない。ルーヴァよりも一歳年上なのだからもう少し落ち着いてもらいたいと、フェリスは常々考えている。

そもそも軍事国家だからと言って治安世界一などとは、一体何を根拠に言っているものか。

「…大人しくしているならいいんだ。」

アーヴィンは留守組だから特に心配はいらないだろう。

「とにかく、出航時間までに全員集合するよう、各自散れ。以上!」


牧師の心地良い声が神殿に響く。あれだけ早鐘を打っていた心臓も、式の終盤になって漸く落ち着いて来たようだ。

 自分のことなのにそうじゃないような、不思議な気持ちがする。これまで世話になった侯爵夫妻の家を出て、ホリンとも離れて暮らす実感がまだ湧かない。結婚とはこういうものだろうか。


(いけない、集中しなきゃ…)

意識を式に戻そうとした瞬間、神殿の外でけたたましい轟音が耳を劈(つんざ)いた。女性の悲鳴や子供の泣き声が聞こえてくる。

 

何かが起きた。参列していた全員が一瞬凍りついたが、すぐにシスターが大声で式場内に駆け付けた。

「盗賊団の襲撃です!すぐに避難してください!!」

(…嘘!?…こんなときに…)

慣れないドレスを着て、足も竦んでしまっている。

「エーディンごめん、俺とホリンは行かなくちゃ。みんなと一緒に逃げていてくれ。」

「…ぇ……」

バルドルはそう言うと剣を手にホリンと走り去ってしまった。

緊急事態の時、軍の人間であるバルドルとホリンは何時であろうと駆けつけなくてはならない。

夫と弟がいなくなってしまったことで一気に不安感が増す。よりによって、こんな日に。

「エーディン!何してるんだ、早く!!」

養父であるライクアード侯爵が避難の指揮をとっているようだけど、その声が妙に遠く感じる。

現実感がまるでない。

「エーディン!!」

義姉のマーギに腕を引かれてやっとのことで足を動かす。その時初めて身体が震えていることに気付いた。

バルドルもホリンも、失うことは耐えられない……

(どうか無事で…っ)


「バルドルさんもホリンも大丈夫よっ。二人とも強いんだから、そんなに心配しちゃ却ってよくないわ。」

街のはずれに建てた避難所は、建てられて以来これ以上ないほどの人でごった返していた。

エーディンは不安を払拭することができず、ただ身体を震わせている。マーギが必死に手を引いてここまで連れてきてくれたが、どんな励ましの言葉も身体の震えをおさえてはくれない。

来る途中も、あちこちで自警団や軍と盗賊たちの乱闘を見かけた。婚礼衣装のまま飛び出したバルドルの姿もあった。けがをしているようには見えなかったが、戦っているところを見るのはやりきれない。余計、不安を掻きたてられてしまうのだ。

「マーギ、ありがと。でもやっぱり心配…嫌な予感がなくならない…」

「エーディン……」

避難所のなかで一人、ウェディングドレスが浮いているのも悲しかった。人生最良の日になると信じていたのに…

早く二人に戻ってきてもらいたい。日常に戻りたい。避難所に着いてから1時間、時の流れがやけに遅く感じられた。

周囲ではここの避難所も危ないのではないかと囁き始めている。

確かに避難所の守りをするはずの自警団員の姿は少ない。

養父(ちち)やバルドルが良く言っていた。個人の強さを重視し過ぎて統率力がなくなっていることは非常事態に対処できないと。

それが、どうやら今のこの事態なのである。

避難所は堅固な石造りで四方を囲まれた、かつて冠婚葬祭などの神事を執り行った建物だ。

かつての祭壇や神像、神具も多数残されており、盗賊がそれを嗅ぎつけたなら確かに避難所も危うくなる。

 だが避難所には少しずつ、軍人の姿も見え始めた。盗賊達の数が減ってきたのか、家族の安否確認にきているらしかった。

「エーディン、ホリンとバルドルさんも、もうすぐ戻って来るわよ。」

エーディンが思っていたことを、マーギも感じていたようだ。

その期待通りに、しばらくしてホリンの姿が見えた。

「姉さん達、無事だった?!」

ホリンは顔や制服を泥や血で汚してはいたが怪我はしていないようだ。

「父さんと母さんは?」

「お父様とお母様は避難所の中を巡回しているわ…けが人とか、被害に遭った人たちのお話を聞いて回っているみたい。ホリン、無事でよかったわ。」

ホリンの問いにはマーギが答えた。侯爵という役職柄、父も母も気丈に動いているが無事であることにホリンはほっとしているようだ。

「ホリン、バルドルは?一緒じゃなかったの??」

ホリンが無事だったのに、まだ安心はできない。できれば二人一緒に戻って来てもらいたかった。

「バルドルさんは途中から別行動だったから。まだ戻れないのかな…ちょっと探してくるからもう少し待ってて。マーギ姉さん、姉さんを宜しく。」

そう言ってホリンはまた街中へと戻っていった。これで二人とも無事に戻れればいいのだけど…

言いようのない不安はまだエーディンの胸から去ってはくれない。

避難所のなかから、合流できない家族や友人をさがしに街へ出ていく女性や子供の姿も多数あった。避難所警備班もそれには気付くものの、止めるものはいなかった。

ホリンはけがをせず戻ってきた。バルドルもきっと無事に違いない。

そう自分に言い聞かせはするが、エーディンは居ても立ってもいられなくなった。

「マーギ、ごめん。ちょっと見て来る!すぐに戻るから!!」

「ちょっと?!ここにいなよ、エーディン!!」

マーギが制止するのも聞かず、エーディンはドレスの裾をまくって走り出した。

10分、いえ5分でいい。5分探して見つからなかったら、きっと入れ違いで避難所に向かっているだろうから戻ろう。

とにかくバルドルの姿を確かめたい。

その一心でエーディンは走った。

ハイヒールと裾が脚に絡まりそうになってもなおも走った。

(動きにくいっ…)

街はいたるところで煙があがっていた。盗賊達に火をつけられたのだろうか…それとも最初轟音を響かせた大砲か…

焦げた匂いにまじって血の匂いがする。盗賊とも街人との判断のつかない死体が目につく。

「バルドルーっ!!お願い、返事して!!」

  怖い

  怖い

  怖いけど、そんなこと言ってられない。

盗賊達の姿はほとんど見えなくなっているが、そこらでまだ悲鳴が聞こえる。剣と剣がぶつかる音もする。撤退を始めたわけではないのだろうか。

路地裏などに眼をやると、夥(おびただ)しい血の跡の上に子供の死体が転がっていた。

(あんな小さな子まで…酷いっ…)

悲惨な状況に眼を覆いたくなった。


避難所を飛び出してとっくに5分経過していた。もう戻ったほうがいいだろうか…

来た道とは違うルートで戻ろうとして小さな宝石店に通りかかったとき、エーディンの探していた人物がいた。

しかし…バルドルの胸にはサーベルが深々と突き刺さって盗賊の頭上に掲げられていた。

その光景に、エーディンは茫然と眼を見張るしかできず、その場に座り込んでしまった。

バルドルを殺した盗賊の笑い声が遠く聞こえる。

身体が震えだす。

―― 嘘っ…っ

身体は根が張ったように動かない。

盗賊に気付かれたら私まで殺される!

 ―― でも、バルドルがいないなら…

諦めのような思いが脳裏をかすめる。唯一の血のつながった家族のホリンには申し訳ないが、これから強く生きていけるのだろうか、自信が持てなかった。

それならいっそ…

そう考えているとき、背後から下卑た声を耳にする。

「とう~りょ~ぉ。こんなところに女いますよ~ぉ。しかもドレス!!戦利品にしましょうよ~ぉ。」

振り返ると、3人の血まみれの盗賊がにやにやと笑いながら近づいてくる。

戦利品という言葉に言いようのない恐怖を覚えた。

「連れていっちゃっていいんすよね、頭領?殺すのは勿体ないっすよ。」

血の滴るサーベルを一振りして血を払ってから、そのサーベルがのど元に当てられた。

「い…嫌っ…バルドルっ…」

大声を出したつもりなのにくぐもった声しか絞り出せない。

夫を探しに来てその夫が殺されていた挙句、自分も連れ攫われるなんて…絶対に嫌っ

「バルドル?あぁ、こいつの名前か。散々手古摺ったけど、まぁまぁこんなもんだな。」

バルドルからサーベルを抜き、自分の鞘に納めながら盗賊の頭領は言う。

「今日は結婚式だったのかぁ、お気の毒さま~。」

「安心しなって~。これからは旦那が一気に増えることになるんだからさ~。」

口々に勝手なことを言いながら一人がエーディンの腕を引いた。

「イヤっ、離して!!」

(死んだ方がましっ!!誰かっ!)

眼を閉じてそう念じた瞬間、盗賊の叫びが聞こえた。

「痛っってぇーーーーっっっ!!」

眼を開けると目の前にだれかの背中があり、鮮血が散っている。

エーディンの腕を掴んでいた手は地に落ちていた。

(…だれ……?)

「てめえ誰だ?!」

盗賊の一人が手首から先を失った途端、頭領含めた全員が戦闘態勢になる。

「低俗な盗賊に名乗るつもりはないよ。お嬢さんを助けられればそれでいいから。俺が騒ぎを起こす張本人になろうとは…船員達に示しがつかないなぁ。」

少し低音の、バルドルに似た優しい声が呟く。背が高く長髪で、なぜか顔面を布でクロスさせている。特徴のある出で立ちだった。

(どこかで見たような?…)

思い出そうとしてもすぐには思い浮かばなかった。

「お嬢さんちょっとごめんね。」

考えているとふいに身体が宙に浮き、肩に担がれた。

「ちょ、ちょっと!!おろして!!」

「だからごめんって」

そのまま見事な跳躍力で宝石店の屋根に上がり…走り出してしまった。

「まてこの野郎!!」

「それはおれ達の獲物だ、返せ!!」

盗賊達が叫び、追いかけてきた。連中の使っている集合用の笛が鳴り響く。

「…これは総動員でくるな。お嬢さんには悪いけど、このまま付き合ってもらうよ。どこに降ろしても危ないみたいだから。」

「だ、だからってどこまで行くつもり!?」

「ひとまずは安全なところ。」

そう言ってひたすら男は走った。

エーディンは自分の浅はかさと不運を呪いながら、男に気付かれないように涙をこぼしていた。

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