⑨其処に在る、唯一の偽物(最終更新日:2003年6月22日)

――第一夜 責任と義務と破邪――

 何のことはない、虚無から生まれた彼は、気がつけばとある色に染まっていたのである。元々、虚無から生まれて虚無のままであろうと言うのが無茶な話だ。

「そこにあるだけの水溜りに対しては誰も文句は言わないが、そこを車が通った時、すぐ傍にいた人はきっと怒るだろう? 誰が悪いんだ? 水溜りか?」

 まあ、ようはこういうことなのだろう。別段そいつ自身に責任がなかろうと、振って湧いたようにトラブルに巻き込まれた場合、結果的に悪いのが車であったとしても、その水溜りの存在さえなければこんなことにはならなかったのは事実であり、その時水溜りが

「僕が悪いんです」

 と言える口を持っていて、そう言える程の殊勝な心をも持っていたら、別段それを否定することもないし、責任をそいつにかぶせてもいいのではないか、と。

 同じように、周囲の人間としては別に彼を虚無から引きずり出すために何らかの影響を与えてやろうと言う義務感にかられて動いたわけではなく、ただそこに存在していただけだったろうが、結果的に彼はその色に染まってしまったのだから、

「僕が悪いんです」

 と言ってくる周囲の人間がいれば、その時その瞬間から、その責任をそいつにかぶせてもいいような気になってくる。

 何が言いたいかといえば、

「俺は20歳になったのだが、なりたくてなったわけではない。別にならないといけないという義務もない。責任の所在はどこだ? 僕が悪いんです、は誰の口から聞けるのか」

 という他愛のないことである。

 非常に難しい問いに、しかし意外とあっさりと答えが返ってくる。

「お前、だが責任者が見つかったら、その時どうするつもりなんだ?」

 まあ、世界征服が目的の魔王は、大体征服し終わった後のことを何一つ考えてはいなかったりするし、意外と立派に統治してくれるんじゃないのかとか疑心暗鬼に陥って闇に堕落する奴をこそ、世界は正義と呼ぶべきなんじゃないのかとか思ったりするが。

「俺には破邪の精神はどうやら皆無らしい。勇者より、魔王に近いようだ」

 まあ、勇者だって魔王を倒すことしか考えてないのなら、結局魔王と同じなんだがな。

 似た者同士。もっと先のことまで見据えて生きろよ、と。

 短絡的思考は万人の敵だ。


 そして第一夜の幕引きの唄。


『泰然自若』

 旅人よ その愛から手を引き そして 旅立ちなさい

 何故なら 貴女は 旅人なのだから

 また 同時に 死人なのだから

 楽園を探して 旅立ちなさい


 まあ、目先のことにとらわれると痛い目を見るのは、いつの時代も変わらないということで。何が言いたいやら何も言いたくないやら。



――第二夜 自分と反省と達人――

 砕けた書き方をすれば、つまり

「お前、ちょっとかっこいいな」

 硬い書き方をすれば、つまり

「貴殿、少々様になっておるようだな」

 てなことだ。

 いや、嘘。全然そんなことない。自分としては何を書いているのかわかる文章を書いているつもりだったんだが、結果的に意味不明の文章になったという感は否めない。マジで否めない。

 猛省を促されたところで、文章の達人にこんなことを聞いてみた。

「お前、自分で自分のこと達人って言ってて恥ずかしくないのかよ」

 すると大体こんなことを言われた。

「あなたが何を言っているのか私にはよくわからない」

 まあ、英語圏の人間だったんで仕方ないが、それはあんまりだ。ここまで痛烈な皮肉をこめた一言を、理解不能の四字熟語で叩ききるなど、あまりの達人ぶりに吐き気がする。いや、嘘だけど。

「つまりあなたは、自画自賛の是非について問うているのか?」

 微妙に違う気もするが、実のところいまいち会話も成立していなかったので、イエスイエスと言ってみた。

「勘違いしてもらっては困るが、別に私は自分のことを文章の達人だなどと言った覚えはないよ」

 そんなはずはあるものか、俺はお前が自分でそう言う風に吹聴して回っているという話を聞いてわざわざここまで来たんだ。この会話には通訳が必要だった。英語をしっかり学んでおけばよかったと少し反省。少しだ。

 彼は、――ああ男なのだ、この達人は――にやりと笑ってみせ、口髭を軽く撫でながら、筆と墨汁という余りにもあまりな筆記具で、華麗に文字を綴った。半紙はないらしく、媒体は新聞の余白だったが。

 そこには、達筆な日本語で、こう書かれていた。

「私は、自分のことを文章の達人だと、書いて回っているのさ」

 こんな上手いジョークで終わりたいなどと俺はこれっぽっちも思ってはいない。激怒した俺は、脳のあらゆる部分を活性化させ、考えうる限りの罵声を彼にぶつけた。もちろん、でだしはこうだ。

「お前、ちょっとかっこいいな」


 ではでは第二夜目、幕引きの唄。


『破滅屋さん』

 弾けていくのは君の笑顔

 ただそれを見守っていた僕の笑顔

 凍りつくまでの一瞬 血飛沫に煙る僕の視界に

 映りこんだのは 君の後ろ 銃器を抱えた漆黒のアレ

 この町に住み着く 正義の破滅屋さん

 今日も破滅をありがとう

 ありがとう


 ま、とりあえず生きるのは大変です。生きていく上で、何か一つは達人と呼ばれてみたいな、みたいな。レトリックの練習が必要ですかね。



――第三夜 その意味――

 キーワードを決めてそれを組み込んだ文章を書こうと思っていたが、あまりにも単純で企画じみていて、気味悪くなったので、趣向を変えてみよう。

 じわりじわりと追い詰められている精神状態で、微妙にハイテンションになりながら何でもいいから書け、出来れば10分で、という阿呆としか思えない今の状況で、一体何が出来るのだろう、と。

 その意味を考えてみようかと思った。

 まず、タイピングが早くなりそうな気がする。

 次に、思考を常に巡らすことで、脳が活性化しそうな気がする。ゲーム脳脱却を目指せ。

 最後に、嫌なことがあったら、ここに吐き出すことが出来る。

 ストレス解消だな。わかりやすくてよい。

 ああ、でも10分は短い。とりあえず思いついたことを全部書かないといけないな、ということを思いついて書いているのだが、そんな馬鹿げた無限ループにはまりこむほど人間が出来ていないので、早々にこんな思い付きの文章は止めるが、今日のところはこんなことしか書けずに終わるだろう。

 とにかく落ち着け。

 幕引きの唄も考えなければならないし、意外とインポッシブルに近いミッションなのではなかろうか。大体、3日目にようやくルールを決定するなというのが本音か。

 あ、もう時間がない。今日はこの辺で。

 あ、いや、なんかいいこと言っておこう。

「全ての恐怖は、結局死に関係してる気がしてならないよ」

 不老不死万歳! まあ、俺は絶対になりたくないけどな。無痛症には少しなりたいけど。


 で、第三夜の幕引きの唄です。


『夜闇』

 見えることが罪ならばそれを裁くのは夜闇だろう

 だがその夜闇は罪人なくしては存在できない

 誰にも「見えないこと」の意味がわからないから


 ま、見えないものは誰にも見えないってわけで。罪って重いなあ。でも、皆で背負えば軽くなるはずさ! ま、俺は箸とかより重いもの持たない主義なのでパスだが。



――第四夜 あくまでも不意打ちで――

 ご期待に添えなくて申し訳ないが、俺の周りでは大層不可思議な出来事やら怪異やらは到底起こりそうにない。これは非常に不愉快であり、同時に面倒事が起こらないという点で平和かつ楽な事態である。

 昔から良く、無駄なことを妄想していた。今例えば自分の後ろには誰にも見えない白い着物の女の人が立っていて、その人は死者なんだけど、つまり幽霊みたいなものなんだが、別段悪い奴って感じではなく、ある時突然自分にだけ見えるようにならないだろうか、と考えたりする。そうなったら、そいつの名前にはたぶん、白とか雪とかいう漢字が入っていて、まあつまり白雪って名前なんだが、きっと自分のことをひどく頼ってきて、鬱陶しいなあとか全く思わずその純粋で健気な思いに一人で顔を赤らめたりすることになるんだろう。

 吐き気がするな。

 結局、20年間生きてきて、俺はそんな白雪にお目にかかったことはないし、実際目の前に現れたら、そいつの話を熱心に聞く前に、自分の頭がとうとうイカれたかと疑うところから始まるだろう。

 自分は幽霊やUFOや神や天国や魔物や魔王やオーラや気功を信じている割に、幽霊が見える人やUFOの写真や神を名乗る人や魔物らしき男や魔王という異名をとる殺し屋や謎のオーラに包まれた老人や気功の体得者を大して信じていない。

 自分で見なければまず信じられない。と、同時に、自分にもそれらのことが降りかかった時、最初は否定してかかるだろうという確信がある。

「もしも、もしも、の話だ。ある男は、普通の大学生として一般社会に溶け込んでいるんだけど、そいつは未来の社会から送り込まれた人間なんだ。2017年に起こる大破壊の原因を調べるために、1990年代の東京近郊を調べて回っている。だが、そんなある日、彼は一人の少女に出会う。二人はどんどん仲良くなっていくんだが、どうも、その少女が後々大破壊の原因となる大量殺戮兵器の元となるコンセプトを持っているようなのだ。彼は、それを未来の世界に報告したいのだけど、そうするとおそらく未来から刺客が送り込まれてしまう。大破壊が止まるのは結構だが、彼女が殺されるのはまっぴらごめんだ。けれども、どうやったって未来からの監視は誤魔化せない。彼は、どうするべきだと思う? 少女と一緒にどこかに逃げるべきか、それとも諦めて少女のことを報告すべきか……」

 こんなことをいきなり言い出した主人公に対して、

「もしも、の話だよな? だったら答えるぜ」

 といって、信じて解決策を考えてくれる親友っていうのが、作品世界ではよく素晴らしい友って感じで描かれるわけだが、果たして現実に存在するのかどうか。

「は? お前頭大丈夫か?」

 と心配してくれるのが実はリアルな素晴らしい友なんじゃなかろうか。

 まあ、要は、

「俺にはそこの角に大学生くらいの顔色の悪い女が見えるが、お前には見えるか?」

「うん。あれ俺の姉貴」

 くらいのことしか俺の日常では起こりえないだろうな、と。

 まあ、そんなことも起こりえないが。

 いつの日か、右手をさっと振っただけで近くの物がすぱっと切れるような能力にいきなり目覚めるのを願っているが、それっていつなんだろうなあ。


 では第四夜幕引きの唄。


『覚醒』

 あああああああああああああああああああ神あああああああああああああああああああ


 ま、世界のどこかでは今日も不可思議な現象を体現してる奴がいるのかなあ。会いたいなあ。



――第五夜 あり得ないほど安らかに――

 今夜は冒頭から唄。


『あり得ないほど安らかに』

 静かな緑色の風に揺られて 泣きそうだったあの頃を思い出す

 新鮮だった世界も色褪せて どうしようもなかったあの頃を

 全てに絶望して 疲れて でも何も出来なくて

 きっと死ねば救われるはずと 半ば本気で考えていた

 刃のついた剃刀は 容易に人を傷つけて

 心無い言葉は 数ある凶器に勝る威力で猛威をふるった

 世界は私を受け入れず 私も世界を見限った

 灰色の街の中で 黒い人影に怯え

 不自然な力に振り回される二本足が醜く 滑稽で

 それがために 苦しさを忘れさせてもらえない

 でも今はただ この場所で

 青い月を下に見て 広がる海を上に見て

 さかしまな世界の裏側の彼方で 目を閉じることなくこうして静かに

 孤独を超越したその存在に蝕まれていく 穏やかな快楽を享受しよう

 ようやく泣ける 私は泣ける 誰もいないこの場所で 全てから解き放たれて

 今だけは 泣ける 今だけは 泣ける

 あり得ないほど安らかに


 だからどうしたってわけじゃないけどな。自分が自分でいられる場所が必要といおうか、それとも別に孤独だっていいものじゃないか、といおうか。

 何でもないといえばそれだけだけど。

 まあ、疲れたら一人で休んだ方がいいよ、と思うわけだ。

 どうにも解せんのだが、人間の悩みの大半は人間関係であるという。おいおい、と思う。大体、そんなもん他人と無関係でいれば起こらなかったことだろう。何でそんなもんで心煩わせねばならんのか。そう思うわけだ。

 全てに関して自分の意見と全く同じ意見を持った人間というのを俺は見たことがないが、そんな奴がいたら一体人はどうおもうのだろうか。大抵の人は、「いたらいたで気持ち悪い」とか思うのだろうが、実際問題何の問題もない人間関係が築けるに違いないから、結構うれしいと思うのよ。

 何かのゲームで、こういう、全人類の意思を統一してしまって、全く争いごとの無い世界を目指す奴が最後のボスだったのだが、そしてその時主人公は「そんな平和なんて本当の平和じゃねえ! 人間は皆違うから意味があるんだ」みたいなことを叫んでいたのだが、お前のその意見が全く通らない世界だったらお前のやっていることこそ悪なんじゃねえのか、とか思ったりしたし。争いの無い平和な世界で、「人間は衝突しあう必要があるんだ!」とか言い出したって、そいつは危険思想でしかないわけだし。

 人間が安らぎを得られるのは自分を理解してくれる人と出会えた時というが、本当に完全に理解しあえる奴がいたら気持ち悪いとすれば、一体いつ安らげばいいのか。自分ですら自分を理解していないというのに。あ、そうか。だから、微妙に自分を理解している自分だけでいる時、まあそれなりの安らぎを得ることが出来るというわけだな。なるほどなるほど。

 孤独が寂しくなくなれば最強の安らぎが待っているという結論でいいのかな。多少なりとも自分が嫌いな奴だって、他人がいる時より安心できる瞬間ってのはあるはずだし。

 誰か孤独が寂しくなくなる方法を教えてください。

 その時、あり得ないほどの安らかさを実感できるんだろうなあ。



――第六夜 ゆったりとした復活――

 まあ、実際のところ誰にもこのニュアンスは伝わらないと思うけどね。一言で言えば、俺って本当に長続きしないなあ、ということで、つまり、第五夜書いてから第六夜書くまでに半年もの時間を要したというこの状況を、他人は何と呼ぶかな、と。

 簡単だわな。三日坊主、さ。

 正確には五日続いたけど、ここまで分かりやすい三日坊主もないな、と思うわけ。

 破綻の原因は簡単で、まあ、書くことがない中何でもいいから書いてみようというこの企画自体は良しとして、そもそも最後に詩を載せるとかいうことを毎日やるのは無理なんだってば、ということか。

 確かに、俺は不思議な世界観を常日頃から持っているように見えて、まあ実際に持っているわけだが、それを不思議だと思えるだけのごく普通の言語センスでの解釈しか加えていないという一面もあるわけ。

 つまり、詩を書いている時の俺は、無理してその不思議世界を不思議な雰囲気で綴ろうとして書いてるわけで。それだけ無理してるものを毎日のように書ける訳が無い。何と言うか、陰と陽の二つで言えば完全に陰の方に傾いた頃に、それを昇華する形でようやく可能になる事象といったところか。歴代の数々の不思議な詩を書く人間達は、一体どんな風に書いたのかなあ、とか疑問に思ったりもするね。ごく自然にあんな世界観をあんな言葉に換言出来るのだとしたら、ものすごく羨ましい。歌の歌詞にしても、時折大層散文詩的なものがあったりするし、まだまだ日本の文学界も捨てたものじゃないかもよ。

 しかし、今更復活して結局何がやりたいのか、ということだけれども。前々から考えてあったことを、そろそろ書き残しておこうという狙いです。

 題して、『超能力考』。

 人間、誰しも一度は神様に願い事をしてると思うわけ。神じゃなくてもいいや。何らかの際に、何らかの願いをしているはずなわけ。そして、その中には、現状の人間の力では明らかに不可能な力を必要とする願いがあったりするわけだ。

「やばい、遅刻する! こんな時に瞬間移動さえ出来れば……」

「あ~、時間が止まってくれればいいのに」

「空が飛べたらなあ」

 そこで、ふと、考えてみたわけだよ。

『もしも、神様が一つだけ何か能力をくれると言いました。あなたは何をもらいますか』

 ただ、自分だけが貰うだけじゃない。そんなのは不公平だ。あなただけが選ばれた民などであるはずが無い。

 純粋に、この地球上の人間全員に、神様は好きな能力をくれるのだという。

 いやはや、すごい仮定だね。

 とにかくそこにおいて、いくつかの条件がある。

 まず一つ目。人間の能力は原則的には、「最低でも一つ最高でも一つ」であって、例えば、『世界の人間全員が使える能力を全部使える能力』と言ったような、最初から複数の能力をもらうことは禁止。『他人の能力を盗むことが出来る能力』というようなものでも、相手の能力を根こそぎ奪ってしまうものは禁止。生きている人間全員が、何らかの能力者であるという状況は必須なわけ。また、『他人の能力をコピーして自分も使えるようになる能力』で、どんどん自分の使用可能な能力が増える系は、条件次第ではぎりぎりセーフだとしよう。しかし、その場合でも、同時に二つ以上の能力発動は不可能となる。

 二つ目。全知全能は不可。特に、全能の部分。『何でも自分の思い通りになる能力』とか、言い方を変えてもだめ。何の死角もない能力は認められない。同じように、『何度も神に願いを聞いてもらえる能力』もなし。神を通じれば何となく何でも出来るからね。そう、この仮定において、神は全知全能。また。神を超える可能性のあるほどの能力は与えられないと思ったほうがいいね。

 三つ目。条件を厳しくすれば、物凄く便利な能力もあり。何だろう、限定的全能、みたいな感じかな。『ぴったり日本語で十文字の命令だけ確実に相手に実行させることが出来る能力』とかね。ま、使いにくいけど。

 四つ目。矛盾した能力の衝突は、双方の能力の相殺によって決着する。つまり、以降その両能力者同士の間でだけは、全くの能力なしで勝負することになるわけだ。『殺そうと思った相手を確実に殺す方法を知ることが出来る能力』と『自分に殺意を向けた者から確実に逃げる方法を知ることが出来る能力』を持つ二人がいた場合、相殺によって、お互い何の情報も知ることなしに対峙することになるわけだ。ま、前者が後者をおそらく殺すことによって決着しそうなケースだけどね。相殺系の能力者にとっては、このルールは自分の能力を行使した場合と同じことになりそうだから、得するかもしれない。

 五つ目。能力には、明確なルールが必要。概念だけでは駄目。例えば、『時間を自由に操れる能力』とかの場合、どういう風に自由なのか(例えば、世界全体の時間の流れがそいつの力に従って動くのか、自分の周りの時間を加速させたり止めたりするという意味なのか、また、時間を戻すことは出来るのか、など)の定義が必要。よく考えてから願いを叶えてもらう必要がありそうだな。

 六つ目。時間を戻す能力にとっての時間とはそいつの主観的事象であるものとする。例えば『自分が死んだらその瞬間、時間が10分間巻き戻る能力』を持っている奴のいう時間と、世界の時間がリンクしていたとしたら、そいつが寿命で死ぬ瞬間以降の世界が存在できなくなる。時間的に存在しない時間というものは、世界を描く上でありえないので、このケースでは、そいつの中でだけ死ぬ直前の10分をやり直せる、という能力に換言したほうがいいだろう。つまり、時間を戻すたびに、平行世界のような概念の、異なる時間の流れを持った世界がその能力者の周囲においてのみ現出し、その流れに組み込まれる、と考えて欲しい。つまり、上記の能力者は、1888年の3月10日午後2時30分に寿命が尽きるとして、本人は永遠に同日の午後2時20分からの10分間を繰り返し続けることになるのだが、他の人から見ると、同日午後2時30分にそいつが死んだという世界がそのまま続くことになる。そんなわけで、こういう能力者は、主観でしか能力の意義を問うことが出来ないな。他人にとってはほとんど関係なく見えるかもしれない。

 まあ、これくらいか。

 この仮定で、能力を与えられた者達全員で殺し合いを行う、などということは一切ないが、ここでは特に、『超能力の内で最強の能力』みたいなことを考えるから、そういう能力ばかりを取り上げると思う。冷静に考えた時、もし全世界の人間が超能力を持っている世界になったとして、果たしてこの社会はどれくらい崩壊するんだろうかね。物凄く治安が悪くなる気もするけど、実はあんまり変わらない気がする。だって、俺達は手近に、包丁とか紐とか、人を殺そうと思えば殺せるような道具を持っていて、それでもよほどのことが無い限り殺そうとかはしていない。例えば目から殺人ビームが出せるようになったところで、よほどのことが無い限り殺そうとはしないんじゃなかろうか。逆に、殺し屋は能力がなくても殺しまくってるんだろうし。全員が特殊能力を持っているってのは、逆にそういうのの抑止力にもなったりしそうだしね。

 で、次回からの導入として一つだけ。一応特殊能力のパターンとして、最強の称号を得るのは大体以下のどちらかの能力です。

①時間操作系

②能力相殺系(反射含む)

 ま、分かりやすいね。あとは、意外と能力に頼らない奴が強かったりするんだけど、それも今後考えていこう。

 とりあえず今日はこの辺で。

 幕引きの唄とかも、気が向いたら今後書くから。



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