⑧君はデューイットを知っているか(最終更新日:2002年8月11日)
そうだ、それだ。
いかにもありえない。あまりにもありえない。
だが、だからこそ恐怖となる。
これが、真の世界。
今生きる全ての生命に告げられた、この世の真実。
その一面。
空が落ちてくることを心配するより身近で、自分の死よりは遠い、本当に明日にでも我が身に降りかかりそうな杞憂。
世界中の科学者に神の存在を認めさせるより簡単で、地獄に落ちることよりは難しい、妄想と信仰の狭間の概念。
そうだ、それだ。
「君はデューイットを知っているか?」
特徴その一:一過性。
つまるところ、この五人はもう四人であることと同義なわけだ。
そして、こう言っていられるのも今のうちだけ。この五人が五人であった時など、実は存在していないことになり、四人は四人であるという認識だけで時間が流れていくことになるのだという。過去現在未来のその全てで。
とはいえ。
飯島
彼はあくまでも普通の高校生として生きてきたし、それは確かに二年前に出来心でコンビニの漫画雑誌を拝借してしまったことは一度だけあったものの、善良な人間であろうという努力は割としてきたつもりだった。電車の中で座っている時に老人を見かけても無視したり、電車の中で座っている時に携帯電話でお喋りしたり、電車の中で座っている時に正面に座っている女性のスカートの中を覗こうとしたり、それなりに最近の男子高校生らしい微妙なモラルの低下は否めないが、それはそれで……。番長グループや不良や暴走族や暴力団や悪の秘密組織との繋がりは皆無であり、成績も学校では中の上くらい。先生に目を付けられることもなく、かといって信頼を勝ち取るでもなく、一生徒としての地位を着々と築いていたのだ。
あの日、誰かが突然言い出した肝試し企画に参加を決意した理由だって、別段深い理由はなく、面白そうだな、と漠然と思ったからで、克世巳がクラス内で一緒にいる仲の良いグループ七人の内、都合の良かったこの五人が参加することになったのは偶然であるはずだった。いや、まあ問題は人数だけなのだけれど、つまり五人が町外れの工場跡地に集合することになったのに、そんな明確な理由があったのではない、と言いたいのだ。
そう、別に何かの罰であるとか、運命であるとか、そんな風なものではないのだ、と克世巳は思う。何度も言おう。偶然なのだ、これは。
デューイットについて知ることとなったのは、偶然に過ぎず、その裏には特に何の意味もない。これが結論だ。彼は元より物事の深い意味について考えることはあまり得意でなく、よく他人から思慮に欠けるとか言われたりするのだが、その発言こそ思慮に欠けるのではないか、とか思うだけで、やはりそれ以上のことはあえて考えようとは思わなかった。だから、今回のこれもただ自分が見逃しているだけで、何かしらの深遠な意味があるのかもしれない、と少しだけ故意に深めてみた思考から導き出されたりしたのであるが、それでもこれが結論だった。
だからどうしたということもない。
株価が、彼にとっては無関係な所で彼にとってはひとりでに動いていた頃と、その仕組みを政治経済の授業で習った後、突き詰めると証券取引所でブローカーとかディーラーとか言われる人間達によって動かされていることを知った今で、その動きに何ら違いが見てとれるかというとそうでもなく。彼の状態に何ら注意を払うこともなく、極めて鈍感なそれらは、ゆっくりゆっくりと、だが着実に歩を進めるのだ。結局、株価は勝手に変動していくし、デューイットについても、克世巳が何を言ったところで容赦なくその目的のために邁進し続けるだろう。
ああ、この言い方は違うか。デューイットだって被害者だ。
飯島克世巳はこの時、これ全体のことを、ただの一言、システムという呼び名で呼ぶことにした。物事の呼び方など本当ならどうでも良いのだろうが、そうはいかないのが人間の性だ。名前がなければ正確な伝達が出来ない。正確な伝達が出来なければ駆け引きが出来ない。駆け引きが出来なければ勝負事が出来ない。勝負事が出来なければ、勝つことが出来ない。
四人の中に勝ち残ることが出来ない。
そうだ。
負ける気はなかった。克世巳は、ある程度負けず嫌いだったし、それ以前に、こんな究極的な条件の中で負けるのなどうんざりだ。普段は正当化のために用意している負けの美学も、ここでは流石に通用しそうにないし。
このシステムをくぐり抜けると、彼はデューイットのことも、このシステム自体のことも、四人になり損ねた五人目のことも、なにもかもを忘れてしまうことになる。それはひどく悲しいことだ。だが、悲しいと思っているのは今だけで、実際にその時が訪れると、そんな感慨に浸れる時間は全く存在しない。だったら、考えるだけ無駄ではないか?
喉元過ぎれば熱さを忘れる。まだ飲んでいない熱湯のために熱さを懸念する必要は勿論ない。熱いのは、飲んでいるその瞬間だけで良い。その瞬間すらないのなら、熱さを感じることはない。
というわけで。
克世巳は、その時、恐怖や興奮といった一般的な反応を全く示さず、ただ冷静に何度も頷いていただけだった。
このシステムに、対策は存在しない。嘘と詭弁と盲信と時の運だけが勝負を決める。
確実に勝つために明らかにせねばならないのは、ただ一点のみ。
この五人の中で一体誰がデューイットなのか?
……克世巳は、偶然だと思っている。自分がこのシステムに巻き込まれたことを。
そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
そんなことは誰にもわからない。
ただ、これは始まったのだし、四の五の言っていても仕方がない。
仕方がないのだ。
現に自分はここにいる。デューイットについて知ってしまっている。
その正体を、全く知らないというのに、だ。
……事態は、彼のことなどお構い無しに進んでいる。
特徴その二:二面性。
ごく簡単なことなのだ。子供の頃よくやった遊びに酷似しているではないか、これは。子供の頃、そんなものに恐怖を覚えたことはないのだから、きっとこれにだって恐怖を覚える必要はないはずだ。
思い込みに過ぎないのは百も承知だったが、落ち着くためにはそんな風に考えておくのがここでは得策ではないかと、そう思えた。
櫻井
そんな彼が、どうしてこんなことに恐れを感じることがあろう?
この鬼ごっこの鬼は誰なのか?
傍から見ればそんな類にまとめられてしまう疑問に、本気で拘泥しなければならない今の自分を見て、一体誰がどんな声をかけてくれるというのか?
特に、同じことで悩んでいるであろう他の四人は!
そう。
デューイットが誰なのか、そればかりを気にして、そのくせレギュレーションの都合上、全員で話し合って作戦を練ったりすることのできないこの状況。
さらに言えば、万が一話し合いの場を持つことが出来たとしても、結局一人の人間は確実に救えずに終わってしまうというこの状況。
最低でも一人。
最高でも一人。
最終的にこの世界から存在を掻き消される、
恐るべきシステム。
史上最悪の時間制限付き鬼ごっこ。
ちょうど溜息をついたのは、意図してのことではなかった。だが、やたらと似合っている仕草であるような気はする。わざとらしいくらいの感情表現ではあったが。
……陽仙は考えることを止めた。
何をしても無駄なのだ。あたかも日常に在るこの自分の現状を見ればわかるだろう? ベッドに寝転びながら天井を眺め、ぼおっとバンプオブチキンのアルバムを聞いているこの姿を見て、どこの誰が、人間一人の存在そのものを賭けた戦いを連想しうるというのか。その真っ只中にいる彼の気持ちを推し量れるというのか? デューイットを知ることになった者にしかわからない、この、そうだ、この、認めたくはないが、絶対的な恐怖という、この、何だかやたらと心を痛めつけて涙を誘う不可思議な感情を、共感してくれるというのか? 自分が死ぬことを意外と厭わないと思っていたこの青年期に、ここまで自分の存在を脅かすものと直面しなければならない時初めてわかった、安っぽい言葉で言うところの「命の大切さ」みたいなものを、その真髄まで思い知ることになって、しかしそれを、本当に伝えたい人には誰一人伝えることの出来ないという、そんなもどかしさでいっぱいの今の自分を、果たして誰が救い得るというのか?
勿論、それは自分しかいない。
システムに飲み込まれた以上、全ては自分にかかっている。
……他の四人も皆、今ごろこんな心境で、戦う覚悟などしているのだろうか。
そこまで考えて――結局、止めた筈なのに色々と考えてしまっているが、そんなことはどうでもよかった――陽仙は頭の中でそれを即座に否定した。
他の三人はともかく、たぶん、
あいつはやたらと優しい人間だ。今ごろ、自分が消えて他の四人が助かる方法などを考えているに違いない。それすら難しいというのに。
デューイットは鬼ごっこで言うところの鬼。鬼ごっこで捕まった最初の一人が、このシステムでは世界から掻き消される。だが、同時に、もしも制限時間内に鬼が誰も捕まえられなかった場合、逆に鬼が世界から掻き消される。そして、五人のうち、一体誰が鬼なのか、否、デューイットなのかは、誰にもわからない。そう、デューイット本人にすらも。
鬼すらも被害者たりうる驚異のレギュレーション。
自分が、他者を追うべき者なのか、誰かから逃げるべき者なのか、その選択からして何のヒントもない、暗中模索の具現。
それが、このシステム。
まさにどうしようもない。巻き込まれたが最後、誰一人として傷つかないまま誰か一人が減るまで続く、絶対不可避のシステム。
陽仙は、思った。どうにかして山上を助ける方法はないものか?
そして、不意に気付いた。それは、一見単純なことであったが、このシステムの核心とも言える答えの一つだった。
このシステムにおいて。
自分が確実に生き残るために自分だけの力で出来ることは皆無だ。
また、自分が確実に掻き消えるために自分だけの力で出来ることも皆無だ。
そして、他の四人の内の一人を確実に掻き消すために出来ることも皆無である。
ただ、他の四人の内の一人を確実に生き残らせるために出来ることは――存在する。
その際、勿論自分が掻き消される可能性はあるのだが、しかし、それでも一人を確実に助けられるのである。
上出来だ。
恐怖は消えてくれなかったが、陽仙は今、とりあえずの目的を得た。
自分の存在を賭けて、山上舞を、守る。
ずっと前から好きだった、一人の少女を守る。
それでいい。自分がどれだけ恐怖しようとも、自分が生き残るための作戦を立てられない以上、『自分を失うかもしれない恐怖』は絶対に消えないのだ。だったらむしろ、その中でどれだけのことが出来るのか、何のために行動すればいいのか、そういう目的を持つことで自分の存在価値を見出すというか、精神のバランスをとることこそが必要なのだ。
このシステム、見切った。
自分のやりたいことを見つけてそれに向けて動くことが出来れば、結果がどうあれ、それは一つの勝利の形。恐怖に押しつぶされさえしなければ、それを無理に打ち払う必要はない。開き直る必要もない。自暴自棄になる必要もない。ただ、与えられた条件でどこまで自分を表現できるか、それだけが問題なのだ。
陽仙は、笑った。それは、誰にもわかり得ないほど小さな表情の変化だったが、元より誰もいないのでどうでもいいことかもしれない。そうだ。彼はとにかく笑ったのだ。
与えられた条件下で自分を表現する?
そんな、面接試験のようなまとめ方でいいのかい?
だとすれば、一体自分達は誰に面接されているというんだ?
なあ、どこかにいる黒幕さん。
もしも、今の自分を見張っているのなら、
どうか、俺の計画を無事に遂行させて下さいよ。
俺は、全てを賭けるから。
極めていつも通りの俺の形で、このシステム内を動いてみせるから。
他の四人とは違うだろうこのスタンスで、自分にだけわかる仮初の勝利を掴んでみせるから。
その時何故か、彼は恐怖を忘れていた。
こうして。
このシステムにおける本質が実は自衛手段の確立ではないということに気付いた唯一の人間は、他の人間とは違う意味で勝負に勝つために、動き始める。
「君は、デューイットを知っているか?」
特徴その3:三つの秘匿事項
巻風亮介の携帯電話が鳴ったのは、彼がシステムに巻き込まれた忌まわしきあの日から三日が経った、風の強い午後のことだった。亮介は、それに対して鳥肌が立つほど戦慄し、ポケットからそれを取り出したまま液晶をしばらく眺めていた。別段携帯電話が鳴ること自体は珍しいことではなく(当然だ)、その着信メロディーが『運命』であったことが彼をそうさせたのであった。
運命。
彼の携帯電話は、電話をかけて来た相手によって、その着信メロディーを変えることが出来る。『運命』が鳴るように設定していたのは、いつも仲の良い親友グループからの電話の時だ。
運命。
そう、登録されている六人の内、四人は、今まさに彼と同じ境遇にある例の――
液晶には、その例の一人、櫻井陽仙の名前が表示されていた。あの日以来、メンバーの誰かと連絡する機会は一度もなかった。半径二メートル以内に近付いただけで、相手を捕まえた、または相手から捕まえられたという扱いになるため、会って会話することが出来ないのは勿論だが、そんな物理的な理由以上に、精神的に、そんなことをする気には到底なれなかったのだ。
しかし。
電話は鳴り続けている。陽仙からの電話。狩るべき対象の可能性と逃げるべき敵である可能性を同時に持つ少年からのコンタクト。
形容しがたい感情が、渦を巻いて心の奥の方から噴き出して来る。それは一瞬で大脳新皮質を席巻し、彼の中に不思議としっくり収まっていた、このシステムによって覚醒した真の狂気を上から塗りつぶした。それはしかし、本質的には、彼がいつも、あくまでも一般人を装う時と同じものだった。
そんな内的な情勢などに関わらず、彼の体はその間ずっと、折りたためないタイプの、あまり気に入っていない自分の携帯電話を凝視していた。
三十秒、たった。
亮介は、震える手で、通話ボタンを押した。どうして震えているのかは、考えなかった。
『運命』が、止んだ。
運命が。
「もしもし」
声は、震えていなかったと思う。震える理由もわからないが。
「よう、俺だ。話がある」
陽仙はそれだけ告げた。まあ、それはそうだろう。話もなくて電話をするような奴なら、亮介は彼を友人とはみなさなかったはずだ。彼は、そういうことが決して好きでない。
「何? やばそうな話だろ? 僕に電話してくるってことは」
まあ、この状況下でやばくない話などあるはずがない。デューイットに関わるものは、全てが、やばい。このシステム自体が。そして、その被害者達の全てが。
それでも、陽仙が企んでいることはそういうこと以上のはずだ。
「単刀直入に訊こう。デューイットを知っているか?」
陽仙は、まずそんな風に言った。
亮介は、笑った。電話越しにはわからないように、声を出さずに。
「どういう意味?」
「俺、お前、飯島、山上、
「知るわけないじゃないか」
口ではそう言っていた。それはそうだ。このシステムにおいて、秘匿にされていることが、実は三つある。デューイットの正体というのは、その中で最も基本的なものではないか。今更、確認するまでもない。
「そうか……。俺は見当がついた」
その発言は、自分に何らかの行動を誘導するための罠なのだろう、と亮介は思った。目的は知らないが、とうとう陽仙が仕掛けてきたのだ。このシステムに巻き込まれた瞬間から、二番目に厄介になるだろうと思っていた彼が、やはり面白い策を弄してきたようだ。簡単に話にのらないようにせねばなるまい。
まあ無論、陽仙は、こちらが警戒することすらも予想の範疇に入れて、話をしてくるのだろうが。
「聞かせてくれよ」
「デューイットは、俺だ」
その瞬間、亮介の中では、陽仙のこの発言の狙いを巡って、考えられる可能性が一挙に羅列された。とはいえ、どれも、亮介にとってみれば取るに足らないことだ。どうあっても、亮介は構わないのだから。
「何故?」
「デューイットの発動条件を覚えているか?」
「何だったかな。五人が同じ場所に集まって、一人ずつが順番に逃げ出すような状況になると、その最後に逃げ出した者がデューイットになる、だったかな」
「そうだ。その、逃げ出した瞬間の記憶は勿論消されているわけだが、考えてみると、そうやって最後に逃げ出す可能性が一番高いのは俺だろう?」
「だから何故?」
「お前、俺が真っ先に何かから逃げ出すところ想像できるか?」
その言葉には、思わず吹き出した。確かに、あの陽仙が、肝試しという企画の中で、たとえ本物の幽霊を見たのだとしても、そう簡単に逃げ出すとは思えない。
「確かに確かに。で、仮にデューイットが君だったとして、君はどうしたいわけ? 積年の恨みを晴らすべく、僕に会いに来るとか?」
「まさか。それなら予告なしに急襲するよ」
「それもそうだ」
そこで、小さな間が出来た。亮介の中の真の狂気が蠢くが、しかしそれが噴き出したところで、実は彼の行動に何ら支障はない。彼の狂気はもう、行動原則として存在し続けるという形で答えを得ている。
「で、結局俺に何の用なんだ?」
「……誰に会うべきだと思う?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます