12. 婉順。抱擁たる天性の少女。

「あなたの部屋だけど、しばらくは客室を使ってね。あとで案内するから。でも遠くないうちに好きな部屋を選んでもらって、家具や日用品を揃えたらそっちに移ってもらう予定よ」


 久遠から少し間を空けて座ったセツナが言った。

 朱桐の屋敷でしていたような凜然たる正座ではなく、両足を揃えて外へ投げ出した女性らしい座り方だ。表情も柔らかで、久しぶりの我が家に気を緩めている様子だった。


「部屋なんて雨風がしのげれば何だっていい。わざわざ新調しなくても、昔住んでたヤツの出来合いがあるだろう?」


 こちらは憮然として片膝を立てた久遠がぶっきらぼうに言った。

 途端にセツナが呆れ顔になる。


「……少しはこだわりましょうよ、何年も住むのだから。あんなお屋敷に住んでるからお坊ちゃんなのかと思えば……」

「鬼族の屋敷は箔づけも兼ねているというだけだ。他家や外界の者への見栄も必要でな。別に贅沢がしたいわけじゃない」

「ふぅん。居心地のいい住まいの方がいいと思うけど、名家もなかなか大変ね。でもそんな考え方してて、家でくつろげるの?」

「外面だけ気にしておいて、住んでるヤツが堕落していたら意味ないだろう。人目のないときこそ、威厳と風格に見合った立ち振る舞いをすべきだ。俺のように一兵士に過ぎない者でも、あそこに住む以上、相応の気は使うさ」

「一兵士に過ぎないって……あなた、当主様のご子息でしょう?」


 何気なく放たれたセツナの言葉に、久遠は少しだけ考えを巡らせ、別に隠すことでもないかと判断した。


「俺はめかけの子供だからな」

「あらそうなの?」


 意外といった様子で目を丸くするセツナだが、気まずくなるような雰囲気は皆無だった。これに久遠はたじろいでしまう。


「初めて聞いたやつは、返答に困るか曖昧にやり過ごすかなんだけどな……」

「どうして? だって久遠くん、千瀬さんにも那由ちゃんにも愛されてるし、家族関係は良好でしょう?」

「……あんたが目にした範囲ではそう見えたろうが、なかなか難しい問題なんだ。俺をやっかむ者も少なくない」

「それは難儀ね。……じゃあ、千瀬さんと那由ちゃんは同じお母様なの? そもそも鬼族界エル・オウガって一夫多妻だったかしら?」


 どこまでもずけずけと訊ねるセツナは一歩間違えば配慮に欠ける粗忽者と見なされかねないが、不思議と相手を不快にさせないという一点において、返って溌剌とした印象を抱かせるにとどまっている。子どものような無邪気さとはまた違う、天性の婉順さを思わせるのだ。


 だから久遠も、ついするすると質問に答えてしまう。


「あんた本当に無遠慮だよな。……鬼族界エル・オウガは基本的に一夫一妻だが、高い地位の者……それこそ名家の当主とかは何人も娶ることが多い。鬼族オウガは子供ができにくいからな。加えて才能ある世継ぎが必要となれば、複数の妻を持つのが最適というわけだ」


 相づちを打つセツナに促されるように、久遠は続ける。


「今のところ俺の父は、正妻と側室が一人いる。姉さんと那由は正妻の娘だ」

「なら久遠くんはその側室さんの息子というわけね?」


 合点したようにセツナが言ったが、久遠は淡々と首を横に振ってみせた。


「そうじゃないから話が面倒なんだ。俺は妾の子だと言っただろう。母は、父の正当な妻ではなかった」


 言いながら、どうして俺はこんな身の上話をしているのだという疑問が脳裏に湧いた。しかし、セツナの琥珀色アンバーの瞳に覗き込まれるうちに、なぜか口が止まらなくなっていた。


「母はヒト族ヒューマだった。俺には片方しか角がないだろう?」


 久遠は自ら烏の濡れ羽色の髪をかき上げて見せる。そこには鬼族オウガの象徴である角が額の左側にしかない。


「なるほど……。初めて会ったときから気にはなっていたけど、久遠くん、混血だったのね」


 ふいに伸びてきたセツナのしなやかな指先が、久遠の額に触れた。

 角のない、右側のまっさらな肌を、するすると撫でている。


 なんだか気恥ずかしくなった久遠が身を引いて離れると、セツナは「あ……」と間の抜けた声を零した。次いで不満げな表情で見つめてきたが、無視して久遠は話し続ける。


「脆弱なヒト族ヒューマの血なんて朱桐家は求めていない。……父と母に何があったか、俺は知らん。興味もないしな。その母も、俺を産んですぐに死んでしまった。混血とはいえ、鬼族オウガの血を引く赤子の出産に耐えられなかったんだろうよ。——というわけで、朱桐での俺の立ち位置は微妙なんだ」


 言い終えた途端、無性にセツナの反応が恐ろしくなった自分に気づいた。

 聞かれてもいないことまで何をつらつらと話してしまったのだろうと後悔の念すら湧いている。


 しかし、セツナの返答は明後日の方を向いていて、ある意味久遠を安心させた。


「つまり久遠くんにとってここは、初めて訪れたもう一つの故郷ってわけね?」


 あっけらかんとした笑みまで浮かべ、


「——うん。やっぱりこっちの住まいは久遠くんの好みに合わせるべきだわ。今度一緒に買い物行きましょうね」

 そんなことを言ってみせた。


 久遠は一気に脱力してしまった。

 そんな久遠を目にしたセツナは小首を傾げるばかりだった。

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