英里衣編④:胡桃原高校の事件簿

「もう、嫌になっちゃうよねえ……お願い秋くん、モチベーション底値のわたしを駅向こうの柴犬カフェにつれてってえ……」

「あー、はいはい。葉那が全額出してくれたらね……」


 葉那の戯れ言をスルーしつつ、計画が狂った僕と槇村さんは部室への階段を上がっていた。荷物を回収してもう帰りたい気持ちもあったが、これからどうするかをふたりで話し合いたくもあった。それに『時越えの扉』の話を教えてくれた吉田さんにも倉庫荒らしの件を報告する必要があるだろう。もちろん、葉那の鏡の分も含めてだ。


 槇村さんとそのことを確認し合い、僕は部室の扉に手をかける。

 がらりと扉を横にスライドさせた瞬間、僕は中から耳慣れない声がしていることに気がついた。しまった、取り込み中だったか? しかし、もう戸は動いてしまっていて止められない。


「……それで、きみの周りで何か奇妙なことが起こっていないかい?」

「うーん。残念ながら。ごめんなさい瀬木せぎくん、私はあまり校内の事件に詳しくはないから……」


 ――中があらわになった部室では、さっきまではいなかった会長さんと知らない男子生徒が話している真っ最中だった。吉田さんはというと、会長さんの横でぼんやりと外を眺めていた。さすがに部外者の前ではゲームを差し控えているらしい。


 セルフレームの眼鏡をかけた男子生徒、おそらくは上級生であろうその人は、どこか芝居がかった特徴的な喋り方で会長さんに呼びかけた。


「そうか。もし気がついたことがあったら、また教えてくれるとうれしい」

「承知したわ~。もし何か気がつくことがあったら、ね」


 会長さんはいつものようにやわらかい笑みを浮かべている。彼女は扉を開けた僕たちに気がついたようで、その笑みをこちらにも分けてくれた。


「あら、渡瀬くんたち。おかえりなさい」

「おや、魔女研の後輩たちかい?」


 眼鏡の上級生も全身でこちらを向く。体格は僕と大して変わらず平均的なのに、なんだかいちいち動作が大きい人だった。彼は会長さんに向かって何かを告げると、そのまま僕らのいる方へつかつかと歩み寄ってきた。何事かと身構えていると、彼はさわやかな笑顔で言った。


「君たちも、校内で何かあったらぜひ教えてくれたまえ。そうだな――変わったことを見つけたら、ぜひそこらへんの新聞部を捕まえてほしい! それでは!」


 彼は僕の肩をぽんと叩くと、そのまま開きっぱなしになっていた扉から外に出て行ってしまった。僕たち三人は、わけが判らずあっけにとられることしかできなかった。ただ、いつまでも廊下にいるのもばかみたいなので、とりあえず全員で部室に入ることにした。


「誰ですか、今の人」


 ようやく混乱の波が落ち着いてきたところで僕は会長さんたちに尋ねた。すると吉田さんが、外を見たままぽつりと答える。


「瀬木」


 いや、個人名――しかも名字だけを言われても。


「その、瀬木っていうのは……」

瀬木善人せぎよしと

「いや、フルネームで言われても判らないですって……」


 僕と吉田さんが不毛なやり取りをしていると、見かねた会長さんが割って入ってきた。彼女はどこかのんびりとした口調ながらも、的確に僕の知りたいことを教えてくれた。


「彼は新聞部の部長よ。何でも、校内での変わった事件を調べているんですって」

「ふーん、新聞部ですか……」


 ということは、咲也のところの部長さんか。そういえば咲也から、新聞部の部長は仕事はできるが珍妙な……いや、不思議な人だと聞いたことがある。確かに、あの感じだと彼の言っていることも理解できなくはない。変わった事件ということは、おおかた次の校内新聞のネタ探しでもしているのだろう。彼らも定期的に発行物がある分、大変な部活だと思う。


 ……変わった事件、か。


「あの、会長さん。それに吉田さんも聞いてください」

「なあに? どうしたの?」


 僕は槇村さんと葉那を手招きして、会長さんたちが就いているいつもの机まで呼び寄せた。僕たちが倉庫で見たもの、それと旧体育館の鏡が割られていた話。それらのことを、ほかのふたりの力も借りながら先輩たちに説明した。


「そうなの……そんなことが」


 僕たちの話を聞いた会長さんは、ひどくがっかりした様子で息を吐いた。吉田さんもその隣で悔しそうに眉をひそめている。


「調査対象の魔女の遺産が壊されているのは残念だわ。でも、危険を冒してまで調査をするのも違うと思うし……。難しいけれど新しい調査対象を探すか、校内の噂や資料を当たって、その範囲で記事をまとめ上げるか。そうするしかないわね」


 僕たちは会長さんの言葉に頷いた。確かに彼女の言うとおりだ。僕は隣の席の槇村さんをちらりと見遣る。彼女もまた、困ったような顔で僕を見ていた。口では仕方がないと言っていた彼女だが、やはり悔しさはあるのだろうか。


 ふたたび正面に視線を戻す。吉田さんは相変わらずポーカーフェイスだったが、会長さんはふと不安げな表情を浮かべて彼女に話しかけていた。


「ねえ、かのんちゃんの調査対象は大丈夫? もし魔女の遺産が狙われているなら、それは……」


 どうやら会長さんは、鏡と倉庫の件を魔女の遺産が狙われた連続事件として捉えたらしい。さすがにそれはちょっと飛躍しているというか、ミステリに影響を受けすぎているような気がするが。いつも余裕のある態度を見せている会長さんも、こうなると会報の作業への影響が大きいので弱気になってしまっているのだろうか。思わぬところで会長さんの意外な一面を見た気がして、僕は驚きを禁じ得なかった。


「田中」


 そして、さらに僕をびっくりさせたのは吉田さんの態度だった。彼女はいつになく強い口調で会長さんを咎めたのだ。それはいつもマイペースで変わり者の、そしてどこか子供っぽい彼女の印象から大きくかけ離れた姿だった。


「……変なこと言わない。これは偶然だよ」


 吉田さんに念押しされるように言われ、会長さんは目を伏せた。そして喉の奥から絞り出すような細い声でつぶやいたのだ。


「そうね。そう――ごめんなさい、かのんちゃん」


 そこまで言うと、会長さんはぷるぷると頭を振った。ハーフアップにした夜空のような長い髪が揺れる。彼女はふたたびいつもどおりの笑顔を作ると、先ほどまでの弱気を吹き飛ばすように明るく言った。


「いけないわ。立て続けに調査対象が潰されて、被害妄想みたいなこと言っちゃったわね。魔女の遺産ばかりを狙うなんて物好き、いるわけないもの」

「……」


 彼女たちの会話の運びにどことなく違和感はあったが、これ以上何かを指摘する勇気を僕は――あるいは僕たち全員は持ち合わせていなかった。何より会長さんと吉田さんの間には割って入ることのできない何かがあるような気がしていて、それが時々、このようにしてぬっと顔を出すのだ。もしかしたら彼女たちの間には僕らの知らない膨大な積み重ねが存在するのではなかろうか――それは何かとてつもなく大きくて神聖なものを思わせる、どことなく重たい空気感だった。


 その後、この妙な空気を打ち消すようにみんなでほんの少しだけくだらない話をして、この日の魔女研は解散となった。僕と槇村さんは相変わらず意気消沈の葉那を引っ張って、三人横並びに廊下を歩いていた。


「噂や資料、か」


 窓の外で傾きだした夕陽を眺めつつ、槇村さんはつぶやいた。


「……ここの校内新聞ってさ、魔女コーナーがあるんだっけ?」


 僕はその言葉だけで、彼女が何を言おうとしているのかを察してしまった。よく見れば、外を向いたままの口元がにやりと笑って持ち上がっている。


「あー、うん。あるね」


 遠い目をしているのが自分でも判る。彼女への返答もどこかそっけないものになってしまった。もっとも、彼女本人はまったくそれを気にしていないようだが。


「そっかそっか。じゃあ大丈夫そうだね」


 槇村さんは僕と葉那の後ろに回ると、僕たちの肩を抱くようにがばりと腕を回してきた。突然のことにびっくりしていると、彼女は心底楽しげに言ったのだ。


「ねえ渡瀬、花邑。今度は資料を漁りに、新聞部まで行ってみない? 過去の新聞、見せてもらおうよ」

「……えぇ?」


 何を考えているのか知らないが、彼女、槇村英里衣はきっと瀬木さんに接触するつもりなのだ。果たして本当に資料漁りだけで済ませる気なんだろうか……。この生き生きした様子からは、とてもそうとは思えなかった。

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