葉那編⑩:わたしのお兄ちゃん

 みんなの意見を取りまとめた結果、魔女研の校外学習は海開き後の最初の土曜日に決行されることになった。僕はさっそく集合場所も含めた簡単な日程表を作って会長さんに送った。会長さんの体調は心配だが、このことに関してはきちんと彼女の了承を取っておきたかったのだ。


 ちなみに決定した日取りを咲也に伝えると、しぶしぶといった様子だがそれを呑んでくれた。彼は部活の直後にうだうだ文句を綴ったメッセージを送ってよこしてきたが、それは無視させてもらった。文面ではああ言っていたが、まあほかでもない葉那のことだ。なんだかんだで咲也も放っておけないのだろう。この件については当日を待つばかりとなったが、僕にはもうひとつ大事なタスクがあった。


 そう、今のこの状況のきっかけともなった『思い出鏡』――それについての記事を、葉那と一緒に書くことだ。


 あの鏡を見たことで、僕は様々なことを知った。


 魔女の遺産が本物であること。魔女が実在すること。葉那が魔女に会ったこと。そして――その彼女が、魔法にかけられていること。あの桜の木の下で出会った日からの葉那の奇妙な様子。その謎が一気に解けてしまったのだ。ちなみにこの件はまだ咲也には言っていない。いくら彼でもこんな妙な話を信じてもらえるか判らないし、そもそもどうやって魔法のことを説明していいのか、僕自身が整理できていないせいだ。もう少し彼を信じてもいいのかもしれないが、そのためにはもう少し考えをまとめる時間が必要に思えた。


 ただ、いつまでも黙っているわけにもいかない。なんとか校外活動の日までに整理を――いや、覚悟を決めたいと思っている。ふたりのためにできることは、可能な限りしておきたい。それが偽らざる僕の気持ちだった。


「そんでさあ、和穏かのんと駅前に新しくできたクレープ屋に行ったんだけど……」


 翌日の昼休み。この日のお昼は葉那と槇村さんが一緒だった。僕たちはいつものように中庭のベンチを使って、それぞれの昼食を口に運んでいる。今日のセンターは葉那だ。


「その店、変わり種のメニューが売りとかでさ。あたしは怖いから普通のやつにしたんだけど、和穏はその点どこまでも攻めるわけよ。で、ひとくち貰ってみたらこれがうまくって」

「おお~。さすが吉田先輩……」


 女子たちが楽しそうに話しているのが聞こえる。話題は食べ物のことのようだ。そういえばふたりともよく食べるほうだし、その点で気が合うのかもしれない。


「でしょ~? でもさ、あたしの頼んだチョコバナナ……これがびっくりするくらいまずくてさ……」

「ええ……?」

「普通失敗するかな、そこ。リピートちょっと迷うんだよね」

「ですよね……」


 僕は特に会話に混ざることなく聞きに徹している。完全に女子ふたりだけの世界ができあがっているため、入りづらいのだ。ここに咲也でもいれば話し相手ができるのだが、あいにく今日は用事を理由に断られてしまった。


 僕は左隣の葉那をちらりと見る。彼女の髪型は今日もポニーテールだ。昨日の会話を思い出して、僕は少しほっとしたようなむずがゆいような気持ちになった。彼女たちは会話に夢中でこちらを見ていない。そのことに安堵しつつ、僕は大きな息をついた。


 そのときだった。


「いいなあ。わたしも今度行ってみようかな。お兄ちゃん誘ったら来るかな~」

「!」


 葉那が、何気なく兄の話題を持ち出した。槇村さんはにこにこしながら楽しげに尋ねる。僕は食事の続きも忘れて、彼女たちの話に聞き入っていた。僕には以前からどうしても確かめたいことがあって、とうとうそのチャンスが巡ってきたのだ。


「お、花邑ってお兄ちゃんいるの?」

「そうなんですよ。ひとつ上のお兄ちゃんで、ちょっと事情があって離れて暮らしてるから、最近会えてないんですけど」


「へぇ~。あたしも妹がいるんだ。今はあたしが独り暮らしだから、こっちも全然会えてないんだけど……」

英里衣えりい先輩も? わあ、なんだか親近感感じちゃいます!」


 彼女たちは相変わらず会話に花を咲かせている。僕はその隣で、しなびたひまわりみたいにうつむいていた。


「……」

「ところで花邑のお兄ちゃんってどんな人なの? イケメン?」

「えぇ~。そんなことないですって。わたしのお兄ちゃんは……えっと」


 ――やっぱり。やっぱりそうなんだ。

 薄々感づいていたけど、葉那は……。


「……よお」


 こうして下を向いて聞き耳を立てていると、上から声をかけられた。僕の頭上に影を作っているその人は、見上げるまでもなく咲也だった。槇村さんはパンを食べ終わって空いた手をひらひらと振りながら、軽い調子で彼に声をかけた。


「やっほー小野寺。ハムサンドなら全部食べちゃったよ」

「いらねえよ。もう自分の食ったし」


 楽しげな槇村さんと正反対に、咲也はどこか機嫌が悪いというか思い詰めているような様子だった。そしてそれは、僕の隣に腰掛ける葉那も同じだった。この時期にしてはすがすがしいくらいの晴れ空の下、彼らは互いにどんよりとした曇り空のような顔つきで見つめ合っている。ふたりの間に流れる重苦しい空気を感じながら、僕は昨日の放課後ふたりが何やら話していたことを思い出していた。もしかして、そのとき喧嘩でもしたのだろうか……?


「……咲也先輩」

「おう」


 彼らはひとことずつ言葉を交わす。咲也は葉那の声を聞くと、どこか悲しそうに眉根を寄せ、僕らに背中を向けてしまった。


「……じゃあな。今度の海、楽しみにしてるぞ」


 僕と槇村さんは、うつむく葉那に何も言えなかった。


 その後すぐに解散することにした僕たちは、先ほどとは打って変わってほとんど会話もないまま校舎に向かっていた。トイレに行くという槇村さんと別れ、残された僕らは自然にふたりきりになった。


「秋くん」


 一年生の教室との分かれ道で、下を向いたままの葉那は小さく言った。


「話したいことがあるの。今日の放課後、ちょっといいかな……?」


 僕は彼女の申し出に、黙って頷いた。断る気など最初からなかった。僕の返事を聞くと、彼女はやっと顔を上げた。その顔は今なお、不安に彩られたままだった。


「ねえ秋くん。秋くんにまた変なこと聞いちゃうかもしれないんだけど……」

「なに?」

「わたしのお兄ちゃんって、どんな人……だったかなあ?」

「……」


 困ったようにつぶやく葉那の顔を、僕はただ無言で見つめていた。

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