葉那編⑤:気になること(追記)

 それは、僕が初めて魔女研を訪れてすぐのことだった。


「で、どうだったんだよ魔女研とやらは」


 突然の入部騒動から一日、火曜日の放課後。僕は咲也に呼び出されて、中庭の隅のベンチに座っていた。


 咲也はやや長めに揃えた前髪をかき上げると、ちらりと僕の顔を見た。こちらに差し出された大きな手にはスポーツドリンクのペットボトルが握られている。これをやるから教えろ、ということなんだろうか。


 僕は咲也の手から冷えたペットボトルを受け取ると、蓋を開けて中身を口に含んだ。言うまでもないことだがきちんと新品だったので、彼の質問には素直に答えることにする。


「変なところだった」

「ふーん?」


 咲也は自分用のペットボトルの蓋をひねりながら、僕に話の続きを促した。


「部員は葉那のほかに三年生がふたりで、特別棟の三階を使ってる。あと、クーラーが効いてる」

「それはよかったな」


 そんなことはどうでもいいと、咲也の顔が言っている。もちろん、僕もそんなことは承知している。


「……田中先輩の言うとおり、本当に活動の認可は得ているっぽいな。まあ、顧問は入院中だから居ないようなもんだけど」


 僕はうなずく。咲也は手元のスマホでせわしなく何かを打ち込んでいる。


「それでだ。秋には引き続き魔女研で活動してもらって……」


 ん?


「え、もしかして特派員の話ってマジだったの?」

「マジだぞ?」


 意外だ。


 でも、今の咲也なら本気でそう言うだろうなと思った。普段の彼ならそこまで無茶なことは言わないかもしれない。でも、今なら。


「いやな、根拠はないんだけどちょっと気になるんだよ。その、田中美蘭って言ったら全国模試成績上位の有名人だぞ。一方でどの委員会や部活にも入ってなかったのに、その人が受験控えた三年になって突然同好会を立ち上げて、魔女伝説についてガチで研究しようって言うんだ。なんかこう、俺じゃなくても気になるだろ」


 咲也はドリンクをぐっとあおると、ぽつぽつと話し出した。いつの間にかスマホの操作は止まっている。


「それにさ、秋」

「ん?」

「それに――」


 咲也は僕に向かってスマホを突き出した。立ち上げられたメモアプリには、小さめの文字でこんなことが書かれていた。


『魔女研の動きにはどうも気になるところがある。できれば今後も活動に参加して、気になったことがあれば教えてほしい』

『葉那は魔女研に入る前後に様子が変わった。あいつに何かが起きているならその理由を知りたい』

『バレーを辞めたどころか興味も示さないなんて、去年までの葉那じゃ考えられない』


 僕はそれらを何度か読み返してから、持ち主の顔を見上げた。

 彼は眉間に深いしわを刻みながら、黒目がちな瞳を曇らせていた。


「知りたいんだ。きっと俺たちにとって大事なことだから」


 そこまで言うと、咲也は声にならない声を漏らした。そこから続く言葉は、いつも自信ありげな彼にしては珍しく、ずいぶんとトーンダウンしたものだった。


 そもそもこんなメモを用意して見せてくるなんて。言葉が上手くまとまらなかったのか、それとも立ち聞きを警戒してのことか。いずれにせよ、およそ普段の咲也らしくない行動だった。


「……俺、なんか変なこと言ってるかな」

「…………」


 咲也は画面の暗くなったスマホを握りしめたまま自分の膝に視線を落とし、僕はペットボトルを握りしめたまま赤らみ始めた空を見上げた。彼は、僕の返事を待っているようだった。重たい沈黙を少しだけ引き受けて、僕は答える。


「まあ、会長さんのことはよく知らないけど、咲也の言ってることは……まあ」


 それはそうだろうなと思った。

 咲也は葉那の変化――むしろ変貌や変質といっていいそれを、もっとも間近で見ている人間のひとりだ。それに僕も、魔女研という摩訶不思議な同好会に思うところがないわけでもない。受験で忙しくなっていくはずの三年生が突然立ち上げたという点も気がかりだが、やはり咲也の語る葉那の変化が何より引っかかるのだ。


 葉那は彼女にとって大事なことを忘れてしまっていた。

 大事にしていたものや打ち込んでいたスポーツ、そして周りの人のこと。


 彼女がこだわっていると言っていたポニーテールの髪型だけが、かつての葉那をこの世界にほんの少しつなぎ止めているのではないか。僕はそんな風にさえ思っていた。


 そんな大きすぎる変化が魔女研参加と前後して起こっているというのなら――やはり僕も放ってはおけないと思う。


「なんつーか、引き続き頼むわ。新聞部じゃ警戒されてたぶんダメだ」

「……うん」


 咲也はスマホをしまうと、立ち上がって大きく伸びをした。


「帰ろうぜ」


 僕はうなずいて、何も言わずに立ち上がった。

 葉那のためなら咲也は何だってするだろうし、僕もそんな彼のことを助けてあげたいと思った。咲也と葉那、そして僕は、いつだってそういう関係だった。

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