魔女研編⑨:体育館前にて

「それでさあ」


 翌日、昼休みに落ち合った槇村さんは、やや不機嫌そうに言った。


 体育館前に並べられたベンチのひとつに、僕と槇村さん、それに咲也が座っていた。ちなみに真ん中は僕である。周囲には体育館で昼休みを過ごそうという生徒たちが行き来しており、教室に負けず劣らず活気づいている。


 そんな中で、彼女はえらく不機嫌そうだった。


「なんでもうひとりいんのよ」

「おう、お疲れ~」


 咲也は槇村さんの不審そうな視線を意にも介さず、大きなおにぎりを頬張っている。今日は弁当持参のようだ。槇村さんのほうもそんな彼の態度に何かを悟ったのか、ほどなくしてにらむのをやめていた。昨日も思ったが、彼女はこういう切り替えがものすごく速い。


 彼女はふう、とため息をつくと、コンビニで買ったらしいパンの袋に手をかけながら言った。


「……あんた、なんだっけ。えーと、小川……尾崎……オルンシュタイン……?」


 最後のは何だ。


「小野寺だよ。なんでだんだん離れていってるんだよ」


 名前を間違えられた咲也も、むすっとした顔を作って反論する。もっとも、彼はこういう判りやすい顔をするときほど気にしていないことが多いのだが。その証拠に、彼はお茶を飲んでひと息つくと、すぐにいつものさわやかな表情を作って僕らに笑いかけた。こいつもこいつで切り替えが速い。


 ふたりとも、何がどこまで本気なのやら……。


「まあ、なんていうか、なりゆき?」


 僕の曖昧な答えに、ふうん、と槇村さんは言う。どこか納得いっていないような顔だ。咲也もそれを感じたのか、もったいぶることなく事情を明らかにしていく。


「俺が秋に頼んだんだ。新設の魔女研に興味があるんだけど、取材の取っかかりがほしくてさ。ああ、俺新聞部ね」

「ふうん……」


 新聞部と言われて、ようやく今の事態が彼女の腑に落ちたようだ。実際のところこの取材は咲也の個人的な興味によるところが大きいのだが、まあそこまで言う必要もないだろう。


「まあいいけど。聞かれて困る話でもないし」

「助かる! ありがとな!」


 話がまとまったところで、なぜかふたりは同時に僕を見た。


 背の高い男女に一度に見つめられて、必要もないのに焦りというか、圧のようなものを感じてしまう。咲也は言わずもがな、槇村さんも標準的な背丈の僕より少しばかり大きい。女子としてはかなりの長身だと思う。


 彼らの――少なくとも彼女の視線の意味は、きっと。


「……あー、じゃあ槇村さん。先輩たちになんて返事するか考えようか。どのテーマを調べたいのか決めればいいんだったよね」


 早く本題に入ろうという意味だと解釈したところ、槇村さんは満足そうに微笑んだ。よかった、正解だったみたいだ。僕は弁当をほどほどに口に運びつつ話を進める。


「葉那が『思い出鏡』、吉田さんが『ナンデモナオール』、会長さんが『黒いスカート』だったよね。で、僕らは会長さん以外のふたりと組むか、新入り同士で組むか……だったよね」


 部室で聞いた話を、改めて言葉にする。すると、おとなしく食事をしていた咲也がにわかに険しい空気をまとったのが判った。肩越しにそっと彼の様子を伺えば、案の定眉間に深いしわを寄せていた。


「……思い出か。葉那が、ね」

「…………」


 僕は、彼の言葉の理由を知っている。ただ、それはこの場で言うことではなかった。

 僕たちの間に生まれた妙な空気を知って知らずか、槇村さんはごくごく軽く、さらりと尋ねた。


「ん、小野寺もあの子と知り合いなんだ?」

「……まあ、な」

「ふーん、そう」


 咲也の顔をじっと覗き込みながらも、彼女はそれ以上何も言わなかった。出会ったばかりの彼女が僕らや葉那の間にあったこれまでのことを知るはずがないのに、やっぱりこの人には何かが漏れ伝わっている気がして落ち着かなかった。


 そして、その微妙な居心地の悪さを打ち砕くのも、やっぱり槇村さん自身で。


「そうだ、渡瀬。もしあたしと組むことになったら、あたしの知りたいテーマについて調査するってことでいいかな」

「あ、ああ。構わないよ」


 突然の話題の転換。本題への強引な引き戻し。恐ろしく空気を読んだその力技に、僕の注意はぐいぐいと引っ張られていった。そしてそれは隣で晴れ空を見上げている咲也も同じはずで――僕には、彼の横顔がどこかほっとしているように見えていた。


「ってことで、あたしは『時越えの扉』ってやつについて調べたいと思うんだ。この前、和穏かのんに教えてもらった」


 槇村さんはそこで一気にパックジュースを飲み切ると、


「ま、あたしはどれになっても構わないよ。あんたに任せる」

「え、そうなの? 自分のテーマにこだわりとか、そういうのは……」


 彼女は長い髪を耳にかけると、はは、と乾いた笑いを見せた。


「そりゃあるよ。でもいいんだ、ここはあんたに任せるべきだからね」

「……? まあ、きみがそう言うなら……」


 僕に任せるべき?

 どこか不思議な言い回しだったが、彼女はそれ以上の追及をさせてくれなかった。

 見た目よりも気さくでやさしげな槇村さんの視線の温度は。


「ところでふたりとも。あの会長のことだけどさ」


 僕に任せると言ったときを境にどんどんと下がっていって、はじめて教室で見かけたあの日に近づいていったから。僕は彼女が冷えていく様を見ているのが恐ろしくなって、それ以上何かを言うことができなくなっていった。


 そして。

 槇村さんは底冷えするような目で、声色で、僕たちに告げた。


「――あいつ、たぶん大事なこと隠してる。たぶん、だけどね」

「槇村さん、それは――」


 言われたことの意味が解らず、僕は慌ただしく聞き返す。しかし彼女は勢いよく立ち上がって、僕たちに背中を向けてしまった。


「……よし。あたし、そろそろ戻る。また何かあったら相談してよ。じゃあね」


 そう言って、後ろ姿のまま手を振り歩き去る彼女の声は、すっかり元の通りに戻っていた。


「なんていうか、あいつ……へんなやつだな」


 槇村さんの姿が見えなくなり、ゆるい風が植え込みの葉を揺らしたころ。これまで空気のように押し黙っていた咲也は、息を吹き返したかのようにつぶやいた。



 そして、時は過ぎて約束の日。僕たち魔女研一同は部室の机を囲んで顔をつき合わせていた。今日も今日とてご機嫌な様子の会長さんは、僕と槇村さんに尋ねる。


「で、秋くんと英里衣えりいちゃん。テーマは決まったかしら?」


 僕らは顔を見合わせる。槇村さんのアイラインに彩られた視線が早く答えろと言っていたので、素直に従うことにした。


「はい」


 僕は会長さん、吉田さん、そして葉那の顔を順番に見ながら言葉をつないでいく。

 槇村さんと会話してから今日までのことはなぜかよく覚えていないが、僕の中で答えは決まっていた。


「取り組みたいテーマは決めてきました。僕は――」


 そのとき、部室に満ちるエアコンの音がひときわ大きくなった気がした。

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