第2話

 それから俺と恵比寿えびすの食事代を巡る熾烈な戦いが始まった。とはいえ、勝負は一方的に俺の連敗だったのだけれど。


 十回やって0勝10敗。負けは総額八千五百円にまでのぼった。

 こうして、俺は毎日カップラーメン生活を余儀なくされたのだった。

 悔しい。金を奪われたことは諦めるにしても、何としても恵比寿に一矢報いてみせたい。

 そんな思いが沸々と込み上げてきた。


     〇 〇 〇


「それで?」


 小林こばやしこえは事務所の机に足を乗せ、文庫本に視線を向けたままの体勢で、興味なさそうに言った。

 小林は何というか、俺の助手というかアルバイトみたいなものだ。年齢の割に背が低く、髪が短いことから小学生くらいの男の子とよく見間違えられるが、れっきとした女子高生である。

 俺とは違い、金田一きんだいち某や明智あけち某に憧れて探偵を志したミステリマニアで、これまでに幾つもの難事件や怪事件を解決してきている。情けない話だが、今の鏑木探偵事務所はこの小林によって完全に乗っ取られている状態にあり、俺は小林に頭が上がらない。


 正直、糞生意気でムカつく奴ではあるが、小林なら恵比寿に勝てるのではないかと思い立ったわけだ。


「小林、お前に恵比寿の使ったペテンを見破って欲しいのだ」

「嫌なこった」


 即刻拒否される。何時ものことながら無愛想で取り付く島もない。

 だが俺は知っている。小林はあともう一押しすれば必ず乗ってくる。小林はそれがどんなに小さな謎にせよ、解かずにはいられない性分なのだ。


「勝負に勝てば達磨軒だるまけんのラーメンが無料で食えるぞ。それに加えて餃子と半チャーハンは俺の奢りだ」

「ふん、そこまで言うなら仕方がないな」


 思った通り。分かり易い奴で助かった。


鏑木かぶらきの話を聞いて最初に思ったのだが、そいつはマトリョーシカ」

「何? 元漁師もとりょうしか? だって?」


 あの顔色の悪い貧相な身体つきの恵比寿が元漁師だとは到底思えないのだが。


「馬鹿、マトリョーシカといったらロシアの民芸品に決まっているではないか」


 嗚呼、それなら知っている。人形の中からそれより一回り小さい人形が出てきて、それが何度か繰り返す構造になったアレのことだ。


「だが俺の記憶では、確かそのロシアの人形には女性の絵が描かれていたと思うのだが」

「ふむ。マトリョーシカの起源は、日本の入れ子人形だと言われている。要するに達磨軒にあったのは達磨の形をしたマトリョーシカだってことだな」


 なるほど、ならば店内に飾られていた12体の大きさの違う達磨は元は1体のマトリョーシカだったというわけか。


「鏑木の言う通り小達磨に仕掛けはなく、恵比寿の服や持ち物にも不審な点はないとするなら、次に疑うのは」


 小林はそう言って俺を鋭く睨みつけた。


「鏑木、お前だ」

「俺?」

「お前の仕草や視線から、隠した達磨の位置を探っていた可能性が考えられる」

「……そ、それくらいは流石に俺も警戒したさ」


 最初の勝負こそ隠した達磨の方をマジマジと見てしまうヘマをやらかしたが、二回目以降は壁に掛けてある時計の針を見ていた。それにもしそのやり方で小達磨を当てるにしても、10回やって10回、全て正解するには少し無理があるように思う。


「ならば店内にいた他の客が恵比寿に何らかのサインを送って、小達磨の位置を密かに教えていた可能性があるな。鏑木、勝負をするとき店に何時もいた客はいなかったか?」

「……うーむ。自信はないが、いないと思う」


 すっかり店の常連客となった俺は、他の常連客の顔も少しずつ覚え始めていた。とはいえ、眼鏡や髭で顔を変えれば俺に変装を見破ることは不可能だっただろう。もしあの中に恵比寿の仲間が潜んでいたとするなら……。


「まァ一応、そっちも警戒しておく必要がありそうだ。それから気付いたことがもう一つある。恐らく、恵比寿は本物の牧師ではない」


「何故そんなことまで分かる?」

「宗派によって違うこともあるから一概には言えないのだが、牧師には神父のように決まった服装というものがない場合が多い。普段は私服やスーツを着ている者の方が一般的だろう。ましてやラーメン屋に行くのに普通、あの黒尽くめの格好はしない」

「…………」


 最初は小林が負けてもそれはそれで一興だとか思っていたが、流石は名探偵だ。ムカつく小娘だが味方となると頼もしい。


「それで小林、勝てそうか?」

「無論だ。大船に乗った気でいろ」

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