カルテ276 眠れる海魔の島(後編) その4

「さ、さあ……」


 急に名指しされたアラベルは授業中にうっかり居眠りしていた学生のように口ごもりながらも、脳を必死に働かせた。


(ええっと……確か褥瘡は身体の同じ部位がずっと布団に当たり続けるために出来るって最初に先生が言っていたっけ……ハッ!)


 彼女の落とした目の先に、つい先ほど本多が弄んでいた物体の先っぽが飛び込んできた。


「ひょっとして、布団ですか?」


「おお、ブラボー! ワンダホー! エクセレント! ジーニアスは英和辞典!」


 本多は意味不明な賛辞の言葉を彼女に浴びせかけながら、干し草布団を激しく揉みしだいた。


「先生、あまり強くすると中身の干し草が飛び出しちゃいますよ!」


「おおっとまたしてもうっかりひょ〇たん島でした! ゆるしてちょんまげぷりん! でもあってます! 布団の柔らかさは褥瘡予防においてとても大事です。しかもただ柔らかいだけでは駄目で、体圧を分散させる性能があるともっと良いんですよねー。この布団も柔らかくてそれなりに良いんですが、褥瘡を防ぐほどでは無いので、別の種類の布団を使うのがベストですけれど、さすがにこの世界にそんなものはないですからね。意のままに動く巨大スライムでも存在すれば別ですけど」


 アラベルは脳裏にウネウネと蠢く軟体動物に横たわる老婆を想像して、つわりのせいではなさそうな吐き気をちょっと覚え、軽薄なモジャモジャ頭を睨んだ。


「……聞いたことないですね」


「でしょうねー。こうなると、後は二時間おきに介助の人が身体の向きを変えて動かしてあげるしかないですが……出来ますかね、奥さん?」


「……」


 アラベルは即答出来なかった。やれ、と言われればある程度は何とか出来るかもしれないは思ったものの、現在つわりの影響で自分自身も体調が万全ではなく、日々の家事や褥瘡処置もあり、そんな中で二時間おきに毎日やるのであれば、正直自信が持てなかった。


「いーですいーです、無理に答えなくていーですよ。答えは最初から期待してませんでしたから。ま、幸い僕の所にこの前命を削って戦った際の勝利品として、先ほどのジンジャークッキー同様手に入れたブツがあるんですよ。ちょいとひとっ走りして持ってきますんで、悪いけど待っててくださいねー」


 そう言いながら、ひょこひょこと本多は暮れなずむ外に向かって家を抜け出していった。


「……」


 何となく嫌な予感がしてソワソワしていたアラベルだったが、やがて本多が苦労して運んできた巨大スライムにも匹敵する衝撃的な物体を目の当たりにして言葉を失った。

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