カルテ264 エターナル・エンペラー(前編) その9
「で、どうだ? そろそろ自分の村に帰りたいとは思わんのか?」
村長は眉間にしわを寄せると、お辞儀をする少年を睥睨した。
「はぁ、またそのお話ですか……」
少年の声のトーンが落ち、表情に陰りが差す。
「あまり気が進まないのはわかっているが、いつまでもここで暮らすわけにもいくまい。お前にも待っている家族がいるのだろう」
「だから、その家族がいつも虫探しばかりしている僕を疎ましく思っているんですよ、村長さん。どうせ今頃、厄介者が消えてせいせいしたって言ってますよ」
少年は薄い唇の片方を皮肉気に持ち上げ、暗い笑みを浮かべた。
「そうか? 血のつながった実の親や兄弟がそのような薄情なことを言うものか?」
「うちの村は貧しくてこれといった産業もなく、食糧不足に年中悩まされているし、病気や事故で人が死んで食い扶持が減ったら喜ぶくらい非人間的なんですよ。うちは兄弟も多いし祖父母もまだ生きているし……」
「お主の事情は相分かった。だが、人間とエルフが共に住んでも、おとぎ話のように決してうまくはいかんぞ。いくらお主がラベルフィーユに惚れていようともな」
「なななななななな何をいきなり言うんですかあああああああ! ちちちちち違います!」
少年は傍らに転がった人参よりも顔を真っ赤にし、激しく首を横に振った。
「まったくわかりやすい奴よのう。ワシが気づかないとでも思ったか。青い青い。カッカッカッカッ」
一見青年風の男性エルフは、齢を重ねた老人の如く呵々大笑した。実際かなりの年齢なのだろう。
「べべべべべべ別にそんなんじゃないですって! ここは興味深い植物や薬がいっぱいあるし、変わった虫のお話も聞けるからしばらく住まわせて欲しいだけなんです! 偉大なる村長様、是非ともよろしくお願い申し上げます!」
「……」
木の床に頭を擦りつけんばかりにして土下座する少年を見下ろしながら、アロフトは高笑いをやめるとひたすら真冬の氷壁のごとく険しい表情をしていた。が、あきらめたかのようにフッと息を吐くと、「どうしてもか? ただし無駄飯食らいを養ってやるほどうちも裕福ではないのでな……」と低い声で問いただした。
「はい! 何でもしますから置いてください! この通りです!」
「5年だ……」
「はい?」
村長のボソッとしたつぶやきに、てっきり断られるかと覚悟していた少年は耳を疑った。
「二度言わすな。5年だ。いいか、短命な人間の子よ。お主がこの村にいても良いのは5年間以内だ。それ以上は1秒たりともまかりならん。この条件を呑むか?」
「は、はい! 喜んで!」
「あと、ワシの大事な大事なラベルフィーユに手を出すことは一切許さんぞ。あの娘は小動物じみた生き物を可愛がる癖があり、お主もそれと同等の存在と見なされただけで、決して好意を受けているなどと思いあがるなよこの色ボケ小僧が。もし禁を犯そうものならお主の四肢を切断して身体の首から下を地面に埋めてワシ特製の全身の皮膚がずる剥けになる毒液を隙間に流し込んでそこにありとあらゆる毒虫を……」
「うがあああああ、やめてくださいよ! 聞いてるだけで身体が痒くなってきましたよ! 大丈夫ですよ、絶対約束を守りますから!」
「そうか、ではその言葉を信じるぞ」
「任せてください、村長さん!」
若い人間にとっては無限にも匹敵する滞在期間を提示され、少年は嬉しさのあまり舞い上がらんばかりだった。
それが何を意味するかも深く考えずに……。
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