カルテ262 エターナル・エンペラー(前編) その7

「それにしても、どうしてあんな遅い時間に一人で川原にいたの?」


 手厚い看護のお陰でようやく少し起き上がれるようになった少年は、右手だけで食事を取りながらラベルフィーユに尋ねた。食事というのはキノコや野菜類のスープで、肉がないのが育ち盛りの少年にとってはやや物足りなかったが、贅沢を言える立場ではなかったので我慢していた。


「あら、お互い様じゃないの」と美貌のエルフは微笑みながらも、「あそこは蝶道といって、金の蝶の通り道になっているので、私はよく見物に行くのよ。エルフは人間とは違って夜目が利くから暗くても別に不自由しないし」と答えてくれた。


「へぇー、あの蝶は一体どこから来てどこへ行くの?」


「さあ……私もよくは知らないんだけど、何でも遠くの山から別の山へと飛んでいくらしいわ。別の説によるとあの蝶は亡くなったエルフや人間、亜人の魂で、死後身体から抜け出して、生まれ変わる身体を求めて彷徨っているとも言われているの」


「……」


 少年はその幻想的な考えに心をとらわれ、身を震わせたため、思わず手にしたスープ皿を取り落としそうになった。


「……是非とも捕まえたい」


「あら、駄目よ。あの蝶は捕獲して手で触るとすぐに弱って死んでしまうくらい儚いの。魂と同じで素手では触れることができないのよ。残念だけどあきらめた方がいいわ」


「へえー、変わった蝶なんだね……」


「お願いだから死体でもいいから手に入れようなんてしないでね。私、生き物が殺されるのってとても嫌なの」


「わかったよ、約束する。でもいろんな生物がいるんだね……」


 様々な虫を採集して観察してきた少年にとって、その不思議な話はどんな物語よりも面白く、そしてあの金色の蝶は記憶の中でどんな宝石よりも輝いていた。



「おや、だいぶ元気になったようだな」


「あ、おはようございます、アロフト村長さん!」


 ラベルフィーユの留守中、芋や人参の皮剥きをしていた少年は、突如現れた来訪者のエルフの男性に大声で挨拶した。アロフトと呼ばれたエルフ男性は長い銀髪をオールバックにした、エルフにしては珍しくがっしりとした体格の持ち主で、外見的には人間の三十代程に見えるが、軽く数百年は生きているとのことで、このアクテ村の村長を代々勤めているとのことだった。たまに彼の様子を見に訪れるため、今ではすっかり顔馴染みになっていた。


「その様子だと、もう両手とも同じように使えているのだろう?」


「はい、動かすとちょっと左手が突っ張ったり、痛むことはありますけど、それほど気になりませんし、薬を飲むほどでもないです。足の方も調子良くて、室内を杖なしで歩くこともできます。木の登り降りはまだ無理ですけど……」


「そうか、ここに来て2ヶ月も経つし、ぼちぼち骨がくっついてきたのであろう。良かったな」


「はい、本当に感謝しています!」


 少年は皮剥きの手を休めると、長身のエルフに深く頭を下げた。しかし、少年を見つめるアロフトの瞳には、なぜか苦悶するような蔭が揺らめいていた。まるで見たくもない忌まわしい物を直視しなければならない時のような……

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