カルテ231 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その12
(危ない危ない、もう少しで不安発作が出現して、メデューサ化するところだったわ。ここら辺でこっそりワイパックスを飲んじゃった方がいいのかしら……ハッ!)
マントの下に手を突っ込み、服のポケットをまさぐろうとしたその時、エリザスの脳内で隕石が激突したかのような衝撃が走った。この貴重な抗不安薬を自分に手渡してくれ、その他にも吐血して苦しむ自分を励まし、頭部の黄金の蛇を利用して食道からの出血を止めるよう導いてくれた、いかなる時も冷静沈着な赤毛の女性……つまり白亜の建物の受付嬢兼看護師ことセレネースに、眼前の女性が似ていることに気が付いたのである。
(エナデール……あなたは本当に、一体何者なの?)
エリザスは声にできない思いを黒衣の女性の後ろ姿に投げかけるも、当然答えは返ってこなかった。
進むにつれ、鍾乳洞の高さはどんどん増し、まるで巨人の住処のような様相を呈してきた。ランプの淡い灯りに白く煌めく鍾乳石は今や大人の背丈ほどにもなり、中にはシャンデリアのように群生しているものもある。ところどころ窪んだ岩壁は壁龕のようであり、ほっそりした女体のようなシルエットの石柱が方々に立ち並ぶ様は、幻想的ですらあった。
「はぁ、見事なものね……」
足を止め、首が痛くなるくらいに上を眺めながら、エリザスは自然の生み出した壮大な美に、ただただ感嘆の声を上げていた。噂に名高い美神アイリーアの神殿もかくやという大伽藍で、神々しささえ感じられた。
「……もうあと一息です。急ぎましょう」
相変わらず抑揚のない声で、エナデールが先を促す。
「はいはい、わかりましたってば」
エリザスは姿勢を正すと、人知を超えた地下寺院の奥の院を目指し、名残惜しく思いながらも行進を再開した。入り口からの距離に比例して周囲の気温は着々と低下し、汗がすうっと体内に引っ込んでいくような気がした。先ほどまでの外界の暑さが嘘のようだ。
「それにしても冷えるわねー、避暑にはもってこいの場所でしょうけど。ちょっと休まない?」
エリザスはマントの裾をしっかりと合わせ、白い息を吐いた。
「……すぐ着くので我慢してください。あそこの角を曲がったところです」
不愛想極まりない案内人は、右手に持ったランプを掲げ、道を示す。大洞窟は左に向かって大きくカーブを描き、闇へと消えていた。
「仕方ないわね、もう一丁頑張りますか」
あまり体力のないエリザスは朝から歩き通しだったため一息入れたいところだったが、足に鞭打って気合を入れた。しかし曲がり角に接近するにしたがって、全身の産毛の一本一本がゾワッと逆立つような悪寒に襲われ、思わず引き返したくなった。
「……いる」
明らかに、何か得体の知れない超常の存在がすぐ側にいる。忘れもしない、ロラメットの符学院の戦いで体験した威圧感と同等、否、それ以上のもの。まるで目に見えない壁が行く手を塞ぐようで、足が次の一歩を踏み出してくれない。
(ええい、いざとなれば私には、魔獣をも石化する無敵の魔眼があるじゃないの!)
彼女は無理矢理肉体に言い聞かせて自分自身を鼓舞し、弱気の虫を振り払った。
(そうよ、私はエミレース姉さんに会うために情報を入手し、苦労してこんな山奥まで来たんだ。もし未だに改心していなくて血に飢えた獣のままなら、エレンタール姉さんのように涙を呑んで倒さねばならない。それが二人を魔竜化させる原因となった、罪深き妹である私の償いなのだから!)
痛いくらいに唇を噛み締め、勇をふるって運命の道を曲がったエリザスが目にしたのは、想像を絶する光景だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます