カルテ224 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その5
幼いエリザスが固い皮を剥くのに苦戦しているうちに、エミレースは早くも艶やかな果肉を口に放り込み、「ああ~、美味美味~っ!」と喜悦をあらわにしていた。
「とっても美味しいわ、これ!」
エリザスも、貴族である姉妹の父親が大枚はたいて入手した、インヴェガ帝国では非常に希少なその果物の甘酸っぱさに舌鼓を打ちながら、姉に同意を示した。
「でしょでしょー!苦労して台所の棚の鍵をこじ開けた甲斐があったってもんだわー」
「やり方はひどいけど本当に器用ね、お姉ちゃん……でも、食べちゃってよかったのかな」
小さな共犯者は、今更ながら罪悪感にかられ出した。父親の鞭でお尻を叩かれるのは、うんざりだったのだ。
「いーのいーの、たまにはこういう息抜きしないとやってやれないわ。まったく護符師の勉強って嫌んなっちゃうわ。正直私にはあんな辛気臭いもの向いていないんだっつーの」
愚痴を漏らしながら口をすぼめてビュンビュンと真珠のように白い種を上手に庭の木に命中させる美しい姉を、幼い妹は素直に尊敬した。
「すごーい、お姉ちゃん、護符師になんかなるよりも、種当て師になった方がいいんじゃないの?」
「そんなけったいな職業があったらいいんだけどね、キャハハハッ」
肩まで届くサラサラした銀髪をそよ風になびかせながら、優しい姉は太陽の光が結晶化したような妹の金髪をそっと撫で、苦笑した。
「私の見立てじゃ、あなたは絶対私たち三姉妹の中じゃ一番護符師の素質があるわよ、エリザス。あーん、こんなにちっちゃくてお人形さんみたいに愛らしいのに、お勉強の才能にも恵まれているなんて、なーんてすごいのかしら。いつまでもずーっとずーっと一緒にいたいわ。お嫁になんかいっちゃダメよ」
徐々に興奮して火が付いたのか、撫でているだけでは満足できなくなった保護者はべとべとの汁まみれの手で、お日様の匂いのするフワフワした小動物をギュッと抱きしめていた。
「うわわっ、洗い立ての服が汚れちゃうよ! 怒られるよ! お尻ペンペンだよ!」
まだ食べかけのオレンジを草の上に投げ出して脱出しようともがく妹にも関わらず、シスコンの極みに達した愚姉はむしろ更に剥き出しの両腕に力を込め、むしゃぶりつかんばかりの勢いだった。
「いーのいーの、そんなのまた洗えばいーの」
「だからってダメでしょうが! うごおおおおお!」
「あーん、もう、食べちゃいたいくらいにきゃわいーきゃわいーエリザスちゃーん、だーい好きよ。一生こうやって暮らしたいわー」
どこぞに魂が行っちゃっている恍惚状態のエミレースは微塵も話を聞いていない。やれやれ、と無駄な抵抗を諦めたエリザスは、自分の持つ一番甘ったるい、とっておきの声で、「私もエミレースお姉ちゃんのこと、大大大大大好きだよ」と、姉の耳元で囁いた。こうでも言わないと格闘家もかくやといったこの強制ハグはいつまでたっても終わらないのだった。
「ああん、私の大事なエリザス! たとえどんなことがあっても、あなたを守ってあげるわーっ!」
エミレースの嬌声が青蘭の空にどこまでも木霊し、つんと鼻腔の奥をくすぐる甘酸っぱい匂いのする大気中に心地よく溶けていった。
「ブルアアアアアアーッ!」
オス熊の凶暴な咆哮に、エリザスの追憶は終止符を打たれた。といっても、実質ほんの1、2秒だったのだが。
即座に注意を向けると、獰猛なはずの大型獣はまるで猟犬に追われるウサギのように、四つん這いになって後ろを向き、わき目も降らずに木々の奥へと遁走していくところだった。
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