カルテ196 運命神のお告げ所(後編) その12

 しかし袋の周辺に銀色に鈍く光る角張った水筒や、同色の丸い鍋が落ちているのを見て、バンパイアの少女は生理的な嫌悪感を覚え、目を逸らした。


「そうか……さっきのビリビリは、これのためだったのね」


 ルセフィは知らず独り言を呟きながらも、ようやく得心した。吸血鬼一族が銀製品を苦手とし、触れただけで少なからぬダメージを受けることを、彼女は旅の途中で博識なテレミンから聞き及んでいた。その時はあまり気に留めなかったが、もう少し注意深くしていればと、返す返すも悔やまれた。


 やはりあのミノタウロスは、戦闘に関しては才能があり、彼女よりもよっぽど経験を積んでいた。闘いの最中にルセフィが袋を取り返そうとしていることまで見越しており、バンパイアが苦手な銀製品に彼女が触れるようにと、こっそり切れ目をつけておいたのだ。先ほどの余裕な態度も十分納得がいった。悔しいが、彼の方が一枚上手であったと認めざるを得ない。


「く……距離の離れているうちに逃げないと……」


 必死に身体を動かそうと全身に鞭打って努力するも、手足が小刻みに痙攣し、まったくいうことを聞かない。銀製品に何度も接触したせいか痺れが持続しており、四肢が他人のもののように感じられる。更に袋の落下を受け止めたときの腹部の損傷も大きく、内臓が燃え上がるような熱を発し、破裂したかのように体内でのたうち回る。これは元に戻るまで、しばらく時間がかかりそうだ。


「くそっ……」


 心ばかりが焦って空回りしているルセフィの少し尖った耳先に、地面をドスドスと踏みつける無遠慮な足音が迫って来た。


「おーい、お嬢ちゃん、元気かーい?」


 やけにのんびりとしたケルガーの呼びかけ声までもがそれに追随してきたため、彼女の焦燥感は嫌が応にもつのらざるを得なかった。


「おかげさまで全然元気じゃないわよ、この駄牛!」


 やけくそになった少女は、相変わらずの強風にかき消されないようにと、喉を枯らして応答する。


「いやいや、あんたのことなんかじゃないよ。そこのやわっこいウサちゃんのことに決まってるだろ。バンパイア様が死ぬわけないんだし」


「ダイドロネルくんなら残念ながら助けられなかったわよ! あんたのせいよ、馬鹿牛!」


 声音に悲痛な感情を込めようと、ルセフィは精一杯努力した。出来るだけ会話を引き延ばして、身体が回復するまで時間稼ぎをしようと頭の隅で計算しながら。


「ほう、遠目にはお嬢ちゃんがしっかりキャッチしたように見えたんだが、俺の気のせいか? しかし予想以上にうまく罠にはまってくれたんで、拍子抜けしちまったよ。さっきヒントをやっただろうが」


「ヒント? いったい何の話よ!?」


「俺のご自慢の鍋は、純銀で出来ている特注品なのさ。銀は熱を伝えるのがあらゆる金属の中で一番強いらしく、火にかけるとあっという間に鍋の中の物が煮えるため、料理に最適ってわけよ。ちょいとばかり重いのが欠点だが、焦げつきにくいし、今じゃこれがないと生きていけないくらいだよ。ちなみに最近はタンシチューよりも羊の肉の方にはまっていて、マトンを煮込んだりしてるけどな。あと、水筒の方も銀製なのは単なるおしゃれさ」


「知らないわよそんなどうでもいいこと! あんたなんか牛らしく道端の草でも食ってりゃいいのよ!」


「口の減らないお嬢ちゃんだな。とりあえずそっちに行っていろいろ回収させてもらうから、大人しく待っていなよ」


 それきり大きな口を閉ざすと、ミノタウロスはリズミカルな足取りで、少女の方へと山道を登ってきた。

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