カルテ172 伝説の魔女と辛子の魔竜(前編) その5
「ふむ、確かに美味いのう。よっぽど良いドングリでも食っておるんじゃろう、このイノシシは。ところでロ-ガン殿、エールでなくて、できればワインなんぞがあるとありがたいんじゃが……」
水で満たされた木製のコップの縁越しに、バレリンがおずおずと村長に問いかける。どうやら本多医師の忠告を真面目に守っているようだとエリザスは気づき、つい鼻を鳴らしてしまった。
「すいませんがこの村には酒場すらなくて、このエールも私の手作りなんですよ。ワインなんてとてもとても……あの、エールはお嫌いでしたか?」
「「ハハハ、いや、別に……」」
バレリンと同じくコップの水をちびちびと飲んでいたエリザスまでもが、何故か彼と一緒に苦笑いした。
「えーっと、それで、かつて村を襲った銀色の魔竜について知りたいんでしたっけ、皆さん?」
村長の方から話を振ってくれたので、エリザスは苦笑を封じ込めて真面目な顔に素早く切り替え、ここぞとばかりに勢い込んで話し始めた。
「はい、実は私は符学院で教師をしている者ですが、学院で石化されていた女性の顔をした魔竜が先日突如復活したため倒したのです。ですが、まだ他にも同種族がいると噂に聞いて、こうして調査の旅をしているんです。よろしければ、詳しくお聞かせ願えませんか?」
「ええ、別にかまいませんよ。思い出すと時々胸が苦しくなりますが、もう慣れましたし」
村長はやや引っかかることを口にしながらも、コップをテーブルに置くと静かに目を瞑り、遠い過去に思いを馳せた。
「あれはもう十年は前のことでしたか、この何もないけれど平和そのものだったポノテオ村に災厄が訪れたのは。私はちょうどその時病弱な息子を治す方法を探す旅に出て村を留守にしていたのですが、生き残った村人たちの話によると、突然北の方角から女の顔を持った巨大な銀色の竜が飛んできて……」
そこから酒の力を借りてか、やや饒舌になった村長が滔々と語る話は、ダイフェンが前もって一同に伝えたものとほぼ大差なかったので、エリザスは心中落胆した。苦労してここまで来たというのに、結局新しい情報は特にないのだろうか? だが、まずは事実確認だ。化け物退治の法螺話なら、今まで様々な酒場で嫌というほど聞いてきた。真実かどうか見極めるには現場検証か物的証拠が必要である。
「なるほど、非常に興味深いお話でしたが、何か証拠となる物は残っていませんか?」
エリザスは失望を一つも表に見せずに真剣な表情を崩さず、さらに切り込んで尋ねた。
「邪竜は強力な毒を撒き散らすために村人たちは周囲に近寄れず、その壮絶な戦いを見届けた者は魔女とその弟子しかおらず、しかも竜は魔女が魔法で額に生えた角を切り落としたところ、即座に絶命してしまい、身体はたちまちのうちに砂のように崩れ去ってしまったため、死体は残念ながら残っておりません。しかし、魔女が退治した証拠として、あれを村に持ち帰ったため、今では我が家の宝としてあそこに祭ってあります」
村長はにやりと人の悪い笑みを浮かべながら、右手に卓上のランプをつかむと、やおら左手を上げて薄暗い天井に向かって指さした。
「ええっ、何ですって!?」
意表を突かれたエリザスは、仮面の表情を投げ捨て、思わず地を露わにして叫んでしまった。高い天井の梁に結び付けられた太い糸の先にぶら下がって、僅かに振り子のように揺れている湾曲した大きな銀色の角は、ランプの淡い光に照らされ、あたかも夜空にかかる三日月のようであった。
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