カルテ170 伝説の魔女と辛子の魔竜(前編) その3

「ガウトニル山脈の紅葉も綺麗だったけれど、ここも見事なものね……」


「ああ、今なら新しい歌詞が書けそうな気がするぞ」


「バラードにでも挑戦するつもりかニャ? それにしても本格的に秋も深まってきたニャー」


 皆、しばし眼前の壮大な風景に見とれ、思い思いに感想を述べる。やがて、それぞれ思い思いの場所に座り、昼食の用意を開始した。やや丸い平たい石に腰かけたダイフェンは、一人だけ食料ではなく愛用のバイオリンをケースから取り出し、軽く音合わせをした後、優雅なメヌエットを奏でだした。


 エリザス、バレリン、ランダの三人は、静かに押し黙ったまま、美しい景色と華麗な楽の音のコラボレーションにうっとりとし、しばし旅の疲れを忘れてまどろんだ。山裾を吹き抜ける秋風に乗って、バイオリンの演奏は深紅の波を渡っていった。



 エビリファイ連合は、ユーパン大陸を横断するガウトニル山脈の南方に位置し、グルファスト王国、ミカルディス公国、オメガシン教国、ジャヌビア王国、そしてザイザル共和国の五大国を中心に結成されている。環状のワシュライト山脈が、ちょうど五つの国の接するへそに当たり、地図上では、そこから放射状に発する五本の線によってそれぞれの国が区切られている。ちなみにワシュライト山脈の北西がグルファスト王国、北東がミカルディス公国であり、この二国の国境となるのが、エリザス一行が歩いているタガメット山の属するアモバン山脈である。


 彼らは遥々ザイザル共和国の森の都ルミエールから北へと街道を進んで旅を続け、現在この山中にあるポノテオ村目指して登山中であった。


 ルミエールの収穫祭のあの夜、エリザスの石化から辛くも元に戻ったダイフェンが、蛇の内視鏡検査後のしゃがれ声で苦心しつつも語るところによると、なんでも昔ポノテオ村を突如北から飛来した女の顔を持つ銀色の魔竜が襲い、恐るべき毒を噴出して村人を殺して喰らいまくるも、たまたま弟子を連れて通りかかった伝説の魔女ことビ・シフロールが激しい戦いの末に見事邪竜を退治し、村を滅亡から救ったとの事だった。是非案内してくれというエリザスの頼みを快くダイフェンは引き受け、それに興味を示したバレリンもついでに同行することとなり、都合四人の旅が始まった、というわけだった。



 天を隙間なく覆う雲はさらに厚さと黒さを増しつつあり、大気に湿った匂いが微かに混じり始めた。戦いはまだ続いていた。双翼を広げて女の頭上にふわりと舞い上がった銀竜は、半眼だった両眼を今や満月のように丸く見開き、血も滴らんばかりの怒りの深紅の色に染めていた。


「あらあら、毒が効かないからって尻尾を巻いてお空に逃げるおつもりですか? 情けないことですわね」


 女の嫌味の込もった軽口は、いつの間にかぽつぽつと降り始めた雨の如く止むことはなかったが、魔竜は何も答えず、ただただ傲然と彼女を睥睨し、睨み続けた。女性の方はといえば、慈母の如き表情を湛えたまま、形の良い顎をやや上向きにして、淡い鳶色の双眸で自分の数倍もの大きさの巨獣を涼し気に見つめ返す。篠突く雨の下、奇妙なにらめっこは十分近くも続き、両者とも石化したかのようにその場を微動だにしなかった。


 そうこうするうちにも、雨脚は次第に強さを増し、先ほど女が出現させた護符魔法によるにわか雨よりも激しい滝と化していった。どこか遠くでゴロゴロという雷鳴が、まるで夢の中の太鼓のようにおぼろに響いていた。

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