カルテ152 運命神のお告げ所(前編) その5
突如夜空に座す月を見上げたかと思うと、今まで眉一つ動かさなかったソフィアの表情が見る見るうちに困惑に包まれ、年相応の、否、年齢よりも子供っぽい砕け過ぎた言葉遣いになり、天に向かって何事かを喚きたてるさまは、尋常ではなかった。
「まーた眠れないんですかぁ!? ちょっと就寝時間早過ぎやしませんか、カー様ぁ!? 私だって、お肌に悪いのにまだ起きて頑張ってるんですよぉーっ! 少しは給料上げてくださいよぉーっ! ったくもおー、ちゃんとお仕事してくださいよーっ! あなたが働かなかったら、この世界はたちまちポシャってしまうんですからねーっ! ただでさえ五千年間もお月様に引きこもっているんですから、せめてやることぐらいやってくださらないと、信者さんたちに示しがつかないじゃないですかぁーっ!」
「あ、あの……」
挨拶時と同一人物とは信じ難いくらい様変わりした運命神の巫女に対し、テレミンが生まれたての子馬の如く足をブルブル震わせながら、恐る恐る声をかける。
「は、はいっ!? 何でしょうか!?」
外部刺激で我に返ったソフィアは(今更手遅れだが)姿勢をシャキッと伸ばすと、少年の方に向きを正した。
「なんかお取込み中のところ申し訳ありませんが、トイレはどこでしょうか……? 正直、僕もう我慢の限界でして……」
「下の宿泊所の近くに共同トイレがありますので、そこでしてください。他の場所ではダメですよ。それでは失礼!」
投げ捨てるように言い放つと、踵を返した巫女は、わき目も降らすにドームの中に飛び込み、ピシャリと扉を閉めた。
「……」
あっけにとられた四人は、悪い夢から覚めた直後のように、茫然と夜の山頂に立ち尽くしていた。
「フ―ッ、よく出たーっ。皆お待たせー」
見るからに何かをやり遂げてスッキリした顔つきのテレミンが、薄汚れた丸太造りの共同トイレから出てきた。
「それにしてもあなた、時々思いもよらないことするわね。皆が崇める聖なるお告げ所で恐れ多くも便所を借りようとするなんて……大胆にもほどがあるわ」
石造りのベンチに座っていたルセフィが、呆れ顔で少年を見つめる。トイレの前はちょっとした広場になっており、彼女が腰を降ろしているのと同様のベンチがいくつか置いてあり、見晴らし台も設置されていた。昼間であれば、さぞや美しいファロム山の紅葉風景を堪能できたことだろう。
「あれだけ寒い屋外で待たされたんですから仕方ありませんよ。それにしてもあのソフィアとかいう巫女さんの変貌振りは凄かったですね。危ない薬か何かやっているんでしょうか?」
ダオニールが少年の肩を持ちつつ、先ほどの感想を、なぜか鼻先を動かしながら述べる。
「まあ、きっと神がかり状態になっちゃったんですよ。優秀な巫女は神様と直接話が出来るって聞きますから」
フィズリンが、ここに一行を連れてきた責任を感じてか、何とか巫女をフォローする。
「とにかく早いとこ宿とやらに行こうよ。このままじゃ本当に凍死しちゃうよ」
テレミンが身体をブルブルさせているのは、排尿直後のためばかりではなさそうだった。
「私は別に凍死したりはしないけれどね。ひょっとしたら同室者がいるかもしれないし、いろいろとここの情報を得たいから、行ってみましょう」
ルセフィの鶴の一声で、一同は氷のように冷え切ったベンチから立ち上がると、すぐ近くにある指定された簡易宿泊所に向かって、石だらけの道を進んでいった。
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