カルテ148 運命神のお告げ所(前編) その1
夜空の星が手を伸ばせば届きそうなほど近かった。秋の山の空気は水晶のごとく透き通り、時折肌を刺さんばかりの風が吹き渡っていたが、それでも人々は街中のようににぎやかに行きかい、ここがとても人里離れた高山の山頂付近とは思えなかった。
「すごい……夜なのに、こんなに人がいる……」
もはやトレードマークと化した青い毛糸の帽子を目深く被ったルセフィは(帽子の色で、顔色の悪さを多少はごまかすことができるのだ)驚きを隠せない様子で、興味深げに周囲の人波をキョロキョロと見回した。山頂へと続く一本道は、石礫が多くてしかも傾斜がひどく、とても歩きやすいとは言えなかったが、人の流れは絶えることがなく、手にしたランプの揺れる灯りが光の川となって地上に星空を写し出していた。狭い道沿いには両側に石造りの灰色の建物が貴重な平らな土地を奪い合うようにひしめき合い、中には食べ物などを売る屋台もいくつか見られた。
「さすが噂に名高い聖ファロム山のお告げ所ですな。食べ物屋まであるとは……」
相変わらず喪服のごとき黒いタキシードに身を包んだダオニールが、すぐそばから漂ってくる香しい焼き鳥の匂いに鼻をクンクンひくつかせるのを見て、また悪い癖が出たとばかりに、案内役のフィズリンは眉をしかめた。
「ここにはお告げ所の順番を待つ人々が滞在するための簡易宿泊所があるんですよ。だからこんなに賑わっているんです。カルフィーナ様は運命神としてのお仕事が忙しいので、一日に一組しか託宣を授けられないそうでからね。しかも宵のうちしかお告げ所は開かれていないので、ここはこの時間帯が一番活気があるんですよ」
「でも、一日たった一組なら、今日お告げを受けれない人は別に寝ててもいいんじゃないの?」
寒風に顔をしかめたテレミンが、フィズリンの一同に対する説明に異議を唱える。
「いえいえ、キャンセルで順番が早めに来ることもありますし、また、他の人がどんなお告げをされたのか、気になる人だって結構いるんですよ。ここにいれば、いろんな風の噂が耳に飛び込んできますからね」
「へぇーっ、面白いわね。確かに他人のお告げってのも興味深いけれど、そんな簡単に内容がわかるものなの? お告げは当人だけに巫女が直接伝えるって聞いたけれど……」
旅の一行のリーダー的存在でお告げを受ける役であるルセフィが、心配そうに尋ねる。情報が簡単に漏えいされるなら、吸血鬼である自分は大変なことになりかねない。
「ま、そこらへんはここのシステムを知ればおいおいわかっていきますから、慌てないでください」
三十路のメイドはすました顔で、ルセフィを煙に巻いた。
「それにしてもいろんな地方の人たちが集まっているんですね。ミカルディス公国やオメガシン教国、ジャヌビア王国……あっ、インヴェガ帝国の人もいますよ!」
興奮気味のテレミンが、向こうから来る大きな荷物袋を肩にかけ厚い毛皮のコートを着込んだ体格の良い蒼い目の男性をこっそりと指さす。確かに彼が指摘する通り、勾配がきつい坂道は、ユーパン大陸のあらゆる地方の人種でお祭りのようにごった返していた。否、人ばかりではない。猫頭や犬頭、狐頭などの獣人族や、エルフやドワーフ、中にはリザードマンの姿までちらほらと見受けられた。
「どんな人でも、いえ、人以外の者でも、皆何らかの悩み事を重荷のように抱えており、助けを必要としているのよ。現に、最強の種族の一つと謡われるバンパイア・ロードである私自身がそうなんだし……」
ルセフィが自嘲気味にため息をつき、瞳に暗い翳りがたゆたった。
「別に嘆くことはありませんよ。皆、運命という凶暴な荒波の前には無力な子羊なのですから。それより、あそこにあるあの店みたいなものはいったい何なんでしょう?」
母親のように柔らかな声でルセフィを慰めるダオニールが、ふと前方にある建物を指し示した。
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