カルテ142 グルファスト恋歌 その7

 小さなベッドと机と椅子2つ、それに棚があるだけの診察室は、4人も入るといっぱいになってしまった。椅子に座りきれなかったミルトンとネシーナは、仕方がないのでベッドの上に腰かけた。といっても、ネシーナは見るもの全てが珍しく、狭い室内を縦横無尽に飛び跳ね回っている。


「すいません、手のつけられないお転婆なもので……最近私の言うことなんか全く聞かないんですよ」


 結局診察のためズボンを下ろしたままのマリゼブは、またもや申し訳なさそうに、本多に謝った。


「いやいや、お元気なのは良いことですよ。しかし本当に可愛いですね。うちの……」


 棚の本を物色しまくる少女を、目を細めて好々爺の如く見つめながら喋っていた本多の口が、ふと止まった。


「おっと、僕のことなんかどうでもいいんでした。いつもうっかり無駄話をしてしまう癖がありまして、こっちこそごめんなさいね〜。セレネースちゃんにもしょっちゅう怒られてしまうんですよ。ところで念のためですけど、セレちゃんに似た人に、どこかで会ったことは……」


「で、さっき言ってたカシジョーミャクリューってやつは結局何なんだ?」


 遅々として話が進まないのに少しイライラして、ミルトンは再び口を挟んだ。


「そうそう、今言おうとしてたんですよ〜。下肢静脈瘤っていうのは、マダムの両足にある、うねうねと河のように蛇行しているふくらみのことです。そいつの正体は、名前通り、ズバリ静脈なんですよ」


「……ジョーミャク?」


「いわゆる血管の一種ですね。良いですか、人間の血液はまず心臓から押し出され、栄養を送るため動脈という血管を通って全身に行き渡り、役目を終えると静脈という血管を通って再び心臓に戻ってくるのです。静脈は動脈より壁が薄くて弱いので、逆流を防ぐ静脈弁が付いていますが、脚の静脈のこれが壊れてしまうと、血液が溜まって静脈が膨れ上がり、結果、下肢静脈瘤を引き起こすのです」


「「……はあ」」


 マリゼブとミルトンは、耳慣れぬ異世界の医学用語の洗礼を受けて戸惑いながらも、本多のジェスチャーを交えた説明をおぼろげながらもなんとか咀嚼し、とりあえず頷いた。


「えーっ、この病気は別に命に関わるものではありませんが、ふくらはぎのだるさや足のムズムズ感がしょっちゅう起こり、徐々に痒みや火照り、湿疹、色素沈着などが生じ、特に夕方頃、症状の悪化が見られます。夕暮れ時っていうのは、足に血が溜まる時間帯ですからね。ほら、『靴は夕方買え』って言うじゃないですか……って、そっちじゃ言わない? ま、それは置いといて、下肢静脈瘤は、ずっと立ちっぱなしで仕事をしている人に多く、特に40歳以上の女性に多いと言われています。肥満や便秘、出産経験のある人にもよく見られるんですよね」


「ああ、だからさっき、立ち仕事をしているんじゃないかって仰られたんですね!」


 ようやく合点がいったマリゼブが、素っ頓狂な声を上げた。


「そのとーり! まあ、タネを明かせばこんなもんですよ、医学って。がっかりしちゃいました?」


「いえ、とても興味深いです! 長年の謎が解けて目の前の霧が晴れたような、スッキリした気分です! で、どうやったら治せるんですか?」


 頰を上気させ、瞳を輝かせながら、マリゼブはプレゼントを貰った子供のように声を弾ませた。彼女は人知れず、ずっとこの病に悩み続けてきたのだ。


 酒乱の夫となんとか縁を切ったのは良しとして、実家に甘えてばかりもおれず、父のツテを使ってファンガード城の厨房で働き始めるも、徐々に足がむくみ、仕事が終わる時間帯になると、靴が窮屈で拘束具のように感じられ、苦痛に耐え難くなった。しかもふくらはぎのあたりが鉛でも詰まっているかのように重苦しくなり、火照りを覚えた。


 更に足の色が変わり、ミミズ腫れのような醜悪な隆起が両足に出現するに及んで、どうやらこれは只事ではないと遅ればせながら気づいて、彼女は恐れ慄いた。こんな醜い姿では、再婚どころか、仕事にも差し支えてしまう!


 どうにかせねばと心ばかり焦るのだが、さりとて中々人に打ち明ける勇気が出ず、ズボンを履いて人目から隠し、バレないように細心の注意を払うことぐらいしか出来なかった。

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