カルテ124 新月の夜の邂逅(中編) その7
途端に、今まで地上を焼き尽くさんばかりに照りつけていた真昼の太陽が急速に欠けていき、みるみるうちに黒い真円と化していく。やがて天空にぽっかりと深淵のごとき穴が開き、地上は闇の衣に覆われた。
「おお、す、素晴らしい! これが噂に聞く蝕の護符か!」
「こんな大魔法を行使されてもまったく平気なのは、ユーパン大陸広しと言えどもシグマート様しかおるまいて!」
「シグマート閣下、万歳!」
「我らが救い主を讃えよ!」
ひたすら少年を褒め称える声が戦場に渦巻く中、当の本人は喜びの笑みを隠しきれず、非常に気持ち悪い顔になっていた。
「うぷぷ……皆、僕、じゃなかった我輩の凄さにようやく気づいてくれたようですな。これで今までルーン・シーカーを蔑んでいた連中にも一泡吹かせてやれるぞ。さてと、次は……」
「シグマートよ、いつまでも馬鹿な夢を見ていないで、とっとと目覚めなさい」
有頂天状態の少年の耳に、出し抜けに聞き慣れない女性の声が飛び込んできたため、彼は心臓が止まりそうになった。
「だ、誰だ貴様!? ひょっとして、インヴェガ帝国のやつらの仕業か!? 姿を現せ卑怯者!」
「まだ寝ぼけているんですか? 私はあなたとずっと一緒にいましたよ、少年。あなたは気づいていないようでしたけどね。それより本当に良いんですか? こんなあり得ない心地良い世界で、自分の願望に浸りっぱなしで。おまけにフシジンレオの一人称なんか真似しちゃったりして。この状況はおかしいと、突っ込み上手なあなたの優秀な理性は警告してくれませんでしたか?」
謎の声は、現実という名の鋭い針となって、シグマートの魂が寛いでいたビドロ張りの宮殿にヒビを入れた。彼は、自分の心の安寧を得るため、愚かにも反論を試みた。
「全然おかしくなんかないやい! 偉大なるルーン・シーカーの我輩が、エビリファイ連合軍を率いるのは当然のことじゃないか! そんじょそこらの頭にカビの生えたへっぽこ護符師なんかより、よっぽど適任だよ!」
「そうですかそうですか。じゃあ、幻の帝国軍相手に、延々といい夢見てなさい。その間に、大事な自分の身体や、大切な仲間たちがどうなっても、私は知りませんよ」
そう突き放すように冷たく言われると、急にシグマートの心中に、得体の知れない不安が白い残月のように浮かんだ。
「ど、どうなるっていうのさ、おばちゃん?」
「おばちゃん言わんでください。ていうか、それくらい自分の頭で考えなさい、賢いルーン・シーカーさん。では、ご機嫌よう」
「ま、待ってよ!」
「あなたが死地を脱し生き残った時、またお会いしましょう、フフッ」
軽やかな含み笑いとともに、謎の声はピタッと止み、まるであくびが終わった時のように、周囲のざわめきが蘇った。突然舞い降りた夜の帳に動揺した軍馬のいななきや、それを鎮める騎士たちの呼びかけが、そこらじゅうで響き渡り、耳が痛いくらいだ。
「このリアルな光景が夢だなんて、一体何を言っているんだよ……でも、そういや自分は、ずっと変な爺さんや、胸の大きな美人のイーブルエルフと旅をしていたような……あれっ?」
徐々に意識が混乱してきたため、シグマートは思わず頭を抱えた。
「僕の真の戦場は、こんな場所じゃない……? これはもしかすると敵の罠か何か……?」
先ほどの女性の声は、一見怪しげだったが、奇妙な説得力を持ち、聞く者の心に訴えかける力があった。きっと、随分人生経験を積み、叡智と実力を兼ね備えた人物に違いない。少し素っ気なかったけれど。
「でも、これから一体どうすれば……?」
その時彼は、いつのまにか自分がもう一枚札を所持していたことを思い出し、懐に手を入れた。究極最大の破壊魔法の護符だ。護符師の命を犠牲にして作成され、破格の値段で取り引きされると伝えられるそれは、触れるだけで尋常ならざる重みが指先から伝わってくるように感じられた。
「……」
シグマートは、ゴクッと唾を飲み込むと、意を決した。
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