カルテ106 白亜の建物 その9

 吸血鬼の少女の長く衝撃的な話が終わった後、誰もしばらく口を開く者はいなかった。冷え冷えとした夜の空気が林の奥から吹いてきて、立ち尽くす彼らの間を通り抜け、そのまま闇へと消えていった。動くものの気配は欠片もなく、生物が全て死滅した世界がその場に出現したかのようだった。


「……そうだったんですか」


 ようやく聞き手のバイエッタが言葉を発し、鉛よりも重苦しい沈黙を破った。その声音は驚愕とも同情とも尊敬とも判別しがたかったが、少なくとも侮蔑や嫌悪は含まれていなかった。


「そして私は一度死んで、人外の存在になったの。自分の恥を晒すのはちょっと辛かったけれど、全部吐き出せてすっきりしたわ」


 訥々と語っている間中、まるで胸の真ん中に穴が開いてしまったような表情をしていたルセフィだったが、話し終わるとともにようやく作り笑いらしきものを浮かべた。


「じゃ、じゃあ、この異常気象はお前らのせいじゃないか、この怪物め!」


 アルトが未だに憎しみの消えぬ眼差しでルセフィを睨みつけるも、「アルトは黙っていて」とのバイエッタの言葉にしゅんと萎れた。


「ちゃんとお話を聞いていたの? 別にこの方たちが悪いわけじゃないじゃない。それにしても大変だったんですね、ルセフィさん」


 少女が今までとは全く違った情感のこもった眼差しで女吸血鬼を見つめた。


「いや、まあ、それほどでもないんだけどね。吸血鬼になったおかげで無病息災になって、むしろ楽なものよ、オホホホホ」


「何照れてるんだよ、ルセフィ」


 変な笑い方をするルセフィに、テレミンがすかさず突っ込む。


「出来れば私も吸血鬼に転生したいわ。その黒い護符って予備はないんですか?」


「無いわよ! っていうかそんなこと気軽に考えちゃダメよ! お日様は拝めなくなるし、夜もずっと眠れないし、人間としての生活は送れなくなるわ。転生に成功したのだって、私はたまたま運が良かっただけだし」


「じゃあ、私はずっとこのままなんでしょうか……」


「大丈夫、今話した通り、あなたの症状を抑える方法ならあるわ」


 ルセフィはいつの間にか手にしていた、一本の古びた注射器をそっと彼女に手渡す。


「これが、その……」


「ええ、長年私の命を現世に繋ぎ止めてくれたどんな宝石にも代えがたい宝物よ。でも、すでに必要なくなったし、あなたに贈呈するわ。本当は、他人の使った後のものを使用するのはあまり良くないらしいけれど、この際そうも言っていられないのでごめんなさいね。本物の白亜の建物があなたの元に訪れた時、新しい注射器をもらいなさい」


「そんな……私、あなた方を疑ってしまっていたのに……」


「そりゃ仕方ないわよ。そこの坊やの言うとおり、実際化け物なんだから。でも、あなたを無明の闇の底から救いたいという想いは本物よ。かつて白亜の建物が私や母を救済してくれたように、今度は私がその恩を誰かに返す番に違いないわ。そうやって人は綿々と命を受け継いできたんだと思うの。あなたもそのことを忘れないで、いつの日か誰かに伝えて欲しい。これが私の真の望みよ」


「……はいっ!」


 いつの間にか両目に涙を溢れんばかりに溜めたバイエッタは、まるで王様から至宝を拝領するかのように跪き、恭しく注射器をルセフィから受け取った。



「グランダキシン!」


 薄紅色の護符を持ったルセフィが解呪を唱えると、紅蓮の炎が札からほとばしり、ダオニールが苦心して造ったかまくらを一瞬にして溶かし尽くした。


「さっ、これで後片付けは終わったし、そろそろ旅に出かけるわよ」


「えっ、今から行かれるんですか? もうちょっとゆっくりしていけばいいのに……」


 バイエッタが名残惜しげに、潤んだ瞳でルセフィに訴えかけた。


「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、正体がばれたらそこには長居しないって決めてあるの。トラブルの元だからね。それに私、夜の間しか動けないし」


 ルセフィはまだ暗がりを残す空を見上げ、つぶやいた。


「でも、一体どちらへ行かれるおつもりなんですか? お母様を探される、あてのない旅なんでしょう?」


「ほら、言ったじゃないの、バイエッタ。カルフィーナ様のお告げ所まで行くのよ。だから道案内人として私もついていくから、後はよろしくね!」


 いきなりフィズリンが爆弾発言をぶちかましたので、一同はびっくりしてぐうの音も出ず、その場に凍りついた。


「どどどどどういうことよフィズリン!? そんなの聞いてないわよ!」


「そうですよ、気軽そうに見えて、夜の旅って結構危険なんですよ!」


 ようやく我に返ったルセフィとダオニールが次々に口を開く。


「あら、いい匂いのする女性にすぐ惑わされる誰かさんの方がよっぽど危ないですよ。長年よく知っている私がそばで監視しないと、ルセフィお嬢様に迷惑をかけてしまいますからね」


「うぐっ!」


 哀れな人狼が言葉を詰まらせる。


「でも、お家の方は大丈夫なの? 今、大変なんでしょう?」


 テレミンが心配そうに突っ込む。


「バイエッタがインスリンパワーで元気になれば、そもそも私なんか必要ありませんよ。それにほら、私が実家にずっといたら、もし何かあった時、白亜の建物が家族の前に出現してくれないじゃないですか」


「た、確かにそうね……わかった、同行を許可するわ、フィズリン」


 パーティのリーダーである女吸血鬼は溜め息を吐きながらも、寛大な様子を見せた。何故ならフィズリンが人狼に時々向ける眼差しに、やけに熱いものを感じたから。


(これは面白いことになりそうね……)


 ルセフィが内心ほくそ笑んでいると、「ルセフィさん、いつかまたお会いできますか?」とバイエッタが自分もついていくと言わんばかりの勢いで彼女に呼びかけた。


「あなたがどんな辛い試練にも耐えて、決して自分の人生を諦めなければ、時の彼方できっと必ずまた会うことができるわ。だから、その日まで頑張って!」


「はいっ!」


 全身全霊を込めてバイエッタが答えると、吸血鬼の少女は夜にのみ咲く花のような美しいかんばせを頷かせ、「では、出発!」と高らかに宣言した。その声に応じるようにテレミン、ダオニール、フィズリンの三人は、彼女に付き従うと、そのまま闇の眠る林の奥へ溶け去るように消えていった。


※すいませんが次回は四日後の5月11日更新予定です。

久しぶりに怒りんぼ吸血鬼が登場しますよ!

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