カルテ99 白亜の建物 その2
「ど、どうしてここにフィズリンさんが!? ゲホッ、ゲホッ」
納屋に吹き込んでくる夜風にテレミンがむせ込みながらも、なんとか尋ねる。
「それはこっちのセリフなんですけどね、テレミン坊ちゃん。どうしてもこうしても、ここは私の実家だからですよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「最近忙しくてろくに帰っていませんでしたけどね」
「バルトレックス男爵ご夫婦はどうなったの?」
ルセフィが話をさえぎって質問する。
「実は数日前に男爵様と奥様は、私と一緒に別荘から降りてきて、この家で一泊されたんですよ。
このマルトス村って宿屋がないですからね。ただ、その時、私の妹がいるんですけど、彼女の状態が悪いので、どうかお前は家に残ってくれって父親に泣いて頼まれて、困っちゃったんですよ。うちって母親は既に無くなっていて、16歳の妹と13歳の弟がいるんですけど、今まで家事全般を妹がこなしていたんですよね。父親は一応村長ですけど、ほとんど名ばかりの名誉職で、お手伝いさんを雇う余分なお金すらないんです。そうしたら、事情を知った男爵様が、そういうことならしばらく休みをあげるから、妹さんの看病やお家の手伝いをしてあげなさいって仰ったんですよ。ありがたいことですね」
「へーっ、伯父さんも結構いいとこありますね」
「元からお優しい方ですよ、男爵様は。ちょっと奥様の尻に敷かれ過ぎですが……って、おっと失礼」
いつの間にか饒舌気味になっていたフィズリンは、慌てて口に手を当てた。
「へぇ……あなたも色々と大変なのね、フィズリン」
「ルセフィお嬢様とは比べ物にもなりませんけどね。それはそうと、あの人は現在どちらですか?」
「えっ、誰のこと?」
「ほ、ほら、その……あの人ですよ、いつも人の臭いばっかり嗅いでる、あの……」
「はは〜ん」
何かがピンと閃いたルセフィは、急に悪戯っ子の顔になった。
「ダオニールさんなら、近くに山菜採りに出かけたわよ、テレミンの風邪を治すために」
「えっ、こんな夜中に……一人で大丈夫でしょうか?」
「なーに、無敵の人狼なんだから、心配要らないわよ」
「でも、もしこの前の亡霊騎士軍団みたいな怪物が出たら……」
「私も今は怪物の仲間みたいなもんですけどね」
「そ、そういう意味では……」
「ハハハ、ちょっとからかっただけで、気になんかしてないわよ。わかったわ、私が彼をすぐに呼んできてあげる」
「えっ、ダオニールさんが何処にいるのかわかるの、ルセフィ?」
テレミンが、苦しげな息の下からか細く問いかける。
「任せといて、仮にも吸血鬼よ、私。皆、ちょっとだけ目をつぶっていてね」
「「は、はい!」」
有無を言わせぬ少女の言葉の圧力で、二人が瞼を閉じると、数秒後、彼女のいた場所から何かの動物の羽音が聞こえてきた。
「ルセフィさん、もう目を開けてもいいですか?」
「返事がないから開けちゃいましょうよ、フィズリンさん……ってうわぁっ!」
気になったテレミンがそっと薄眼を開いたところ、何とルセフィの可憐な姿は欠片もなく、大きなコウモリが満天の星に向かって舞い上がっていくところだった。
その夜、フィズリン家の一階の居間で、ルセフィ一行を歓迎するささやかな宴が開かれた。
「いや〜、こんな夜更けに無理を言って泊めていただいて、誠にすいません」
黒い執事服に身を包んだ人間姿のダオニールが、対面に座る主人に礼を述べる。
「いえいえ、バルトレックス家の執事さんと、男爵様の甥御さんと、男爵様のお友達のお嬢さんであれば、いつでも大歓迎ですよ」
この家の主人にしてフィズリンの父親のバナン氏は、薄くなった頭部にランプの光を反射させながら、福々しい笑顔を浮かべた。寝巻きの上にチュニックを羽織った出で立ちだが、マルトス村の村長を務めているというだけあって、威風堂々としている。
「本当に申し訳ありません。頭に怪我をしているもので、帽子も取らず、失礼ですが……」
先ほどフィズリンに借りた、大きめの青いニット帽を被ったルセフィも、主人に深々と頭を下げる。
「よしてくださいよ、エバミール子爵のお嬢様にお気を使わせては、わしが男爵様に叱られてしまいます。見たところ、顔色も優れないようですし、無理しないでください。それより今、フィズリンがお連れのテレミン様の容態を見ていますから、大したおもてなしもできず、こちらこそお許しください」
そう穏やかに言いながら、バナンは自分の隣に座ってさっきから一言も発しない黒髪のツンツン頭の少年に、ちらっと目を向けた。
「これアルト、お前もお客様にご挨拶しなさい」
しかしアルトと呼ばれた少年はじと目でルセフィをにらんだまま、相変わらず石像のように黙したままだった。
「まったく失礼なやつだな。もう13歳になって、普段はハキハキものを言うんですがね、こいつ。久々の客人だから緊張してんのかな?」
「いや、お気になさらないでください。夜中に押しかけた我々が悪いんですから」
慌ててダオニールが少年をフォローした。
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