カルテ97 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その14
「建物内部及び周囲での戦闘行為は勘弁してくださいよ〜。とにかく、今即効で処方箋書いて薬出しますから、裏の職員用出入り口からとっととトンズラこいてちょうだいね〜」
「そう言われるだろうと思って、すでに用意しておきました」
セレネースが、いつの間にか手に持っていた二種類のチューブタイプの塗り薬をそれぞれ数本づつイレッサに渡す。
「あら、ありがと〜。でも、あたいだけ逃げちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、あとはこっちでなんとかしておきますからね〜。ではお大事に〜」
本多はヒラヒラと右手を振ると、そそくさと診察室を抜け出し、階段を駆け上がっていった。
「まったくオダインのやつ、人使いが荒いよな。取り逃がしたイーブルエルフを探したけりゃ自分でやれよ! 崖から落ちたら死んでるに決まってるだろーがよ! なぁ、ガナトン!」
闇に覆われた洞窟の中で、黒づくめの背の低い男がブツブツと文句を垂れながら、ランプを持って先頭を歩く、中肉中背の人物に話しかける。
「そうっスね。この濡れた足跡だってそいつのものかどうかわからないのに……おやっ、前方で何か光るものがあるっスよ、リントン先生!」
ガナトンと呼ばれた男が、通路の角を曲がった時に、驚きの声を上げた。
「何!? たとえ出口か通風孔があったとしても、外はざんざん降りの大雨だし、太陽なんかこれっぽっちも出てねーぞ! 一体何の明かりだってんだ!?」
「そ、それが、なんか白くて四角い建物のような……こりゃ引き返した方がいいのでは……」
「バカな! それじゃまるで伝説の白亜の建物みたいじゃねーか!」
怯えるガナトンに怒鳴りつつも、リントンも生まれて初めて見る想像したこともない物体に、近づきたくないという気持ちでいっぱいだった。確か、言い伝えによると白亜の建物は病気や怪我で苦しんでいる人々の元に現れるというが、現在自分にも相棒にも何かの病気を患っているといった感じはまったくない。こいつは一体何がしたくて出現したというんだ? 俺たちに、自分自身も知らない病巣が潜んでいるとでもいうのか? それとも、この足跡の主の治療のためなのか?
「何かのワナなのかもしれないっスね。イーブルエルフどもの中にはよくわからん魔法を使う者がいると聞きますから」
「もしくは俺たちが、いつの間にやらどこぞの花が飛ばす幻覚を見る花粉でも吸い込んだってのか!? それとも聞いたこともない魔獣の類いか?」
闇の中、高まる不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、二人の男たちはそろりそろりと慎重に歩を進めた。
と、その時である。
「うわぁっ!」「まぶしっ!」
白い建物の、今まで明かりのついていなかった二階の窓も二つパッと白く光り輝き、カーテンが捲られた。暗闇に目が慣れていたリントンとガナトンにとっては、それだけでも太陽を直に見つめたような凄まじい衝撃で、光刺激が網膜に針のごとく突き刺さった。そのため、目を押さえて苦しんでいる隙に、建物の裏口からこっそり抜け出した者がいることなど、二人には知る由もなかった。
「リントン先生、もう戻りましょうよ! 俺っち、正直怖いっス!」
「ふざけるな! 貴様も仮にも伝統ある符学院の教師だろうが! ほれ、とっとと先に行って猪みたいに突っ込んでこい!」
「ひでえ! 横暴だ! パワハラだ!」
「なんだとこの野郎!」
黒づくめたちが醜い言い争いを繰り広げている真っ最中に、白亜の建物が一瞬だが更に強く輝いたかと思うと、蝋燭の火が消えるがごとく、スッと消滅した。
「うぎゃあああああああああああ!」
「や、やっぱり化け物だったんだ!」
二人はランプすらその場に放り出すと、一目散に元来た道を走り去っていった。
「どうやら上手くいった様子ですね、本多先生」
本多医院の二階の廊下で、セレネースは院長室から出てきた本多医師に声をかけた。
「ああ、お外はもう、いつものX市の夜景になっていたよ。医院の前の電柱に、酔っ払いが立ちションしていたけど、一緒に見る〜?」
「遠慮します。しかしよくこんな作戦を思いつきましたね」
「な〜に、長年異世界医院やってると、いつ頃元に戻るのか、大体わかっちゃうのよ〜。だから、さよならする間際に窓からの光を増やして相手を目くらましさせてやれば、真っ暗闇に変わった時、その落差でしばらく目が見えなくなるだろうと思ってね〜、フフッ」
本多はいたずらっ子のようにほくそ笑みながら、今宵は長年の疑問が氷解して心の底からスッキリしためでたい日だし、秘蔵のドワーフの名酒でも飲もうかと、階下へ降りていった。
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