カルテ81 新月の夜の邂逅(前編) その4
「フシジンレオさん!」
「わかっとるわい、それ!」
少年の呼びかけとほぼ同時に、異形の獅子が大きく双翼を広げると、バッサバッサと力強く羽ばたいた。
「ぐふぁ!」
小柄な黒男は先ほどの村人たちと同じく全ての筋力を失い、札を手から取り落とすと、糸の切れた操り人形のようにバタッと崩れ落ちた。
「ヒャハハハ、眠りのガスを逆に自分が吸い込みおったわい、馬鹿チンめ! ペッ!」
マンティコアが勝ち誇ったように笑い狂い、地上に唾を吐いた。
「さっすがフシジンレオさん、変なところで頭が回りますね。この前のセクシーストッキングといい」
「変なところは余計じゃ! さてあやつ、どうするかのう。街まで連行して衛士に突き出すのも面倒じゃし……」
「マンティコアが空飛んで連れて行ったらこの前みたいに大騒ぎになりますよ! それより誰かを起こして事情を聞かないと……」
「待て二人とも! 誰か来るぞ!」
ミラドールの指摘通り、爆睡している黒装束の元に、同じく黒尽くめの怪しげな二名の人物が遠巻きに接近してきた。眠りの煙の影響を恐れてか、一定以上は近づいてこないが、一人は背が高くひょろっとしており、もう一人はやけにごつい身体つきをしていた。
「何故我々の邪魔をするのですか、そこの魔獣!? 人間も乗っているようですが、ここは邪悪なイーブルエルフの村ですよ!」
背の高い方が両手を筒にして口元に当て、上空に向かって声を枯らして叫ぶ。彼の声にもデジャブを感じたシグマートだったが、また友達云々言われるのも嫌だったのでとりあえず黙っていた。
「だからといって火をつけ襲っていい理由はなかろう。彼らが何か悪さでもしたのか、ん?」
フシジンレオは、小馬鹿にしたように鼻で笑うと、挑発的な邪悪な笑みを浮かべた。
「マンティコアのような怪物にいくら理を解いても無駄でしょう。おい人喰いの化け物、俺が相手だ!」
隣に立っていた筋肉質の黒装束が、話しながら茜色の護符を懐から取り出すと、一歩前に出る。
「そ、その声と体型、そして大火の護符……カコージン兄さんじゃないですか!」
シグマートが心底動揺し、危うく獅子の尻へとずり落ちそうになったため、間一髪でミラドールが細腕を掴み、事無きを得た。
「げっ、シグマート、なんで貴様がこんなところにいる!? ラボナール平原あたりをうろついていたんじゃないのか!?」
「それはこっちのセリフですよ! 兄さんは符学院でようやく教職にありつけたって噂じゃないですか! もう失職して身を持ち崩して盗賊なんかやってるんですか!?」
「うるさい、そんなわけないだろう! 大体ルーン・シーカーなんぞに堕落した貴様につべこべ言われたくないわ!」
突如始まった兄弟喧嘩に唖然としていた一同だったが、長身の黒装束男が頃合いを見計らったように間に割り込んでいった。
「これには君のあずかり知らぬ深いわけがあるのですよ、シグマート・オーラップくん。君が人喰いの魔獣などと一緒にいることはこの際不問と致しますから、ここは手を引いてください」
「オ……オダイン先生! あなたのような立派な人までもが、どうしてこんな愚行を……、?」
穏やかな声に今度こそ確信し更なる衝撃を受けたシグマートが、目を皿のように丸くし、喉をヒュッと言わせる。
「我々はとある崇高な使命を受けており、残虐極まるイーブルエルフを討たねばならなくなったのです。君たちと敵対するつもりなど毛頭ありません。どうか察してください」
「黙って聞いていればさっきから言いたい放題だが、我が一族は天に誓って、かつての人狼族のような人間を襲う行為をしていなければ、他種族を殺めたこともない。無辜の村人たちにこれ以上危害を加えるつもりならば、このイーブルエルフのミラドールが、貴様ら外道の輩を滅する!」
夜風に白金をたなびかせ、紅い双眸を先ほどの紅蓮の炎以上に燃え上がらせた狩人が、クロスボウを眼下の二人に向けて構えながら凛々しく宣言する。
「イーブルエルフ……? 肌は真っ白なようですが……?」
オダインが首を捻り、疑問を呈する。
「でも確かにエルフにしちゃ胸は大きいな」
「む、胸のことなどどうでもいいだろう!」
カコージンがいらんことをほざいたため、大理石のように純白のミラドールの頬が真っ赤に染まった。
「なるほど、イーブルエルフの忌み子ですか。初めてお目にかかりました。これは是非とも手に入れないといけませんね。というわけで前言撤回です。悪いですけれど、お三方とも、ここで死んでください」
優しげだった柔和な糸目があやしく光ると、急にオダインの口調が説得から命令に変わり、交渉は一方的に決裂した。
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