カルテ66 人狼の秘湯と幻の月 その2
あの白亜の建物が出現し、亡霊騎士たちが襲ってきた運命の夜、山荘を去ったルセフィに追いついたテレミンとダオニールは同行を願い出るも、「せっかくだけどあなたたちと一緒に旅は出来ないわ。私はもはや吸血鬼なのだから」と素気無く断られた。しかし二人ともしつこく食い下がったため、とうとう彼女も根負けし、「勝手にしなさい。ただし絶対に私の邪魔をしないで」と、渋々ながら道連れを許可した。
だが、雪山を進むうちに(主にダオニールがラッセルして道を作った)、すぐに彼女の調子がおかしくなった。身体に力が入らず、動作も鈍くなり、夜明け前にはへばって動けなくなった。吸血鬼が陽光に弱いことを知っている伝奇マニアのテレミンが、「日の光を浴びたらダメだ!」と彼女に声をかけて日陰に誘導し、その日はダオニールがかまくらを急遽造って何とか日中をやり過ごすことが出来た。
けれども少し回復出来ただけで、次の夜も相変わらず具合は思わしくなく、一旦セイブル男爵の別荘に引き返してはどうかとテレミンが進言するも、「バカ言わないで」と一言の元に切り捨てられ、いよいよ進退極まったかに思われた時、ダオニールが、「いい場所があります、この気候でも唯一雪が積もらない秘密の隠れ家が」と、彼らをこの秘湯まで連れてきたのだった。
ダオニール曰く、なんでもここリンゼスの湯は、かつて人狼族が利用し、管理していた温泉だが、一族が山狩りにあって滅んだ後は、不便な所でもあるため通うものは獣以外いなくなったという。岩風呂の側には湯治用の石造りの小屋がひっそり建っており、掃除さえすれば何とか使用可能だったため、一同はそこを仮の宿とし、ルセフィの体調が良くなり、周囲の雪がもう少し溶けるまで、しばらくの間滞在することとなった。
「ただいまルセフィ、調子はどう?」
木でできた扉を押し開き、テレミンが小屋の奥に声をかける。
「あまり変わらないわね……そっちはいいお湯だった?」
墨を塗り込めたように暗い室内から、気力のない少女の声がかすかに響く。
「今夜はヴァナラまで一緒に入浴に来たんで、びっくりしちゃったよ。マナーをわきまえたやつで、とても大人しかったけどね」
「へぇ〜、それはちょっと面白いわね」
声音がやや明るくなったため、闇の中で少年は微笑んだ。この小屋は、ベッドが三台とテーブルが一つ設置されているが、現在吸血鬼仕様となっているため、窓は全て木の板で塞がれ、戸を閉めると一切の光は入らないようになっている。よってテレミンにはいささか不便だったが、薄幸の少女のことを思うとこの程度の我慢はなんでもなかった。そもそも生活時間だって彼女に合わせ、とっくに昼夜逆転しているくらいだ。
「そういえば、ダオニールはどうしたの?」
「さっき風呂で会ったけれど、もう少し浸かっていくって言ってたよ。亡霊騎士と戦った時の傷が少しばかり痛むんだってさ」
「そう……人狼といえども、大変なのね」
「吸血鬼だってそうじゃないか」
普段のくせで、つい突っ込んでしまう。
「確かにそうね、フフフ……」
久々に少女の年齢相応の笑い声が室内にこだまし、少年も胸の中がほっこりする気がした。
「しかしどうしたら元気が出るのかな? 何か食べたい物とかないの?」
ちなみに現在食料は、ダオニールが近くの小動物を捕らえるなどして調達してくれている。
「食欲は特にないわね。どうやらこの新しい身体は何も食べ物は必要としないみたいよ」
確かに旅が始まって以来、ルセフィは何一つ口にしようとはしなかった。
「そうか……でも、食べる楽しみが無くなっちゃったなんて、残念だね」
「別にそうでもないわよ。むしろ今まで食事に気を使ってばかりいたから、かえって好都合なくらい」
生前は糖尿病を患っていた少女は、暗闇の中で、密かに山荘から持ち出してきた黒い袋を枕代わりにし、粗末な寝台に横になったまま、皮肉な笑みを浮かべた。ようやく暗がりに目が慣れてきたテレミンは、自分にも魔の一族が持つ暗視の能力があればな、と少しばかり思った。少年はそろりそろりと足を運んで少女に近づくと、吸血鬼と化しても焦げ茶色のままの、柔らかな髪の毛をそっと撫でた。
「どう? 楽になる?」
「……別に。でも気持ちだけでも嬉しいわ。ありがとう、テレミン」
普段より覇気のない彼女は、珍しく少年に礼を述べた。心がやや弱っているのだろうか、それとも、この旅の間に少しだけでもお互いの距離が縮んだのだろうか?
伝承知識には詳しいが、男女間の機微には詳しくないテレミンには判別がつかなかった。
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