救われたい男と降りかかる救済(Save Me)

七水とひろ

第1話

 ピピ、とアラームが鳴り、仕事の終わりを告げた。

 今日も働いた。最低限の給料のために。そう思いながら俺は目を覚ました。

 

 

 俺はかつて、まだ世間知らずな学生だった。将来は人工知能に渡り合う科学者になるのだと信じきっていた。自分にはその才能があると思っていた。

 そのきっかけもまた夏だった。若い学部生向けのラボセミナーが夏休みにあって、研究者になると決めていた俺はさっそくとばかりにそこへ向かった。

 選んだのは地球科学の分野だった。小さい頃から恐竜や化石や珍しい石なんかが好きだったからだ。大抵の子どもがそうであるように。しかし、大抵の子どもと違って俺の場合はそこから卒業することはなかった。

 そこでは教授と数人の研究員と、そして人工知能が一台働いていた。教授はほとんどの時間を人工知能とのディスカッションに費やしていた。

 人工知能は人間と同じ思考システムを用いた最新型で、そのシステムの問題から研究目的での利用のみ許可されていた。だから実際に誰かが人工知能と会話をしているのを見たのは初めてだった。政府や企業のプロモーションではもう何度も見てはいたが。

 俺はそのディスカッションの時間に参加することを許可され、流れるような議論に耳を傾けていた。その話は効果的な発掘地の推定方法から非破壊的な分析手段の選出、そして古典文学に登場する幻想生物まで多岐に及んでいた。教授の頭脳は人工知能と同等かあるいはそれ以上のものであるように思えた。

 幼い頃からほとんどの人間は既に自分よりも賢い存在として人工知能を認めていた時代に育った。だからその教授と人工知能の会話は衝撃的だった。しかし同時に俺もこのくらいはできるかもしれないと思った。教授の出身大学もまた俺と同じだった。

「それは中国の神話に出てくる生物ではないですか? この前、非常に似た化石が発見されたと論文を読んだのですが」

 たまたま知っている話題が出た。ただそれだけだった。俺は教授と流れるように美しい声をした人工知能の会話に口を挟んだ。不自然に空いた時間に、人工知能も気まずいと思うのだろうか、と馬鹿なことを考えた。そんなこと当たり前のはずだ。人間と全く同じ神経構造を持っているのだから。

「確かに、そのような文献はありますね。最近のものです」

 人工知能——教授はリンダと呼んでいた——はディスプレイにすぐさまそのPDFファイルを映した。

「エド、きみは物知りだね」

「いえ、たまたまです」

 本当にたまたまだ。偶然目にしたニュースを覚えていたに過ぎない。それに過剰に思える反応を示すのが不思議だった。

 しかししばらくして、それはむしろ正当な評価だったのかもしれないと思うようになった。二人の会話に、俺もちょっとした補足や、他の見解を口にするようになったのだ。

 きっとこれまでの努力が実ったのだ。俺はそう考えていた。努力、と言っても俺は好きなように論文やニュースを漁り、本を読んでいただけだ。確かにこの大学に入り、授業についていくには努力と呼べるものが必要ではあったけれど、それも普通だと思っていた。

 そうして教授とリンダに歓迎された俺は、月に一度のディスカッションに参加することを認められた。これは異例のことだった。俺はそこで、才能と呼ばれるものについても、自らに備わっているのだと思い始めた。

 俺の人生の終わりの始まりはそこからだった。いや、もう生まれた時に運命など決まっていたのかもしれない。

 

 正式に研究室のメンバーとして迎え入れられることになるのに時間は掛からなかった。俺が最初に与えられた仕事は効率的な発掘現場の探索についてだった。こんなことなら俺よりも、古い型の人工知能の方が得意な筈だ。そう教授に言うと、俺の考えなど見透かしたように教授は微笑んだ。

「もちろんそうだとも。ただの探索ならね。ただ、きみのひらめきは彼らには備わっていない。そしてリンダにもね。まあ、気長にやってみて」

 教授が言うのならそういうものなのだろうか。なにぶん人工知能そのものは全く専門外だ。きっと教授には俺よりも多い知識と経験を活かしてそういっているのだろう、と思った。

 そこからは古典的な作業だった。データベースから今まで発掘された化石の地点をまとめ上げる。俺はそこに古代文明の遺跡や埋もれていた古代都市の遺構のマップも付け足した。深い理由はない。これこそが人間の思いつき、と言うやつだろう、というだけだ。人類の文明が残っている地層と古代生物の化石の地層など全く違う。だからこそ何か面白いことが分かるのではないか。画面上に表示された地図を世話しなく拡大縮小し、移動させながら頭を動かす。

 化石が残っている場所は地質学的にも気候的にも理由がある。文明はそこに大河やら農耕やら、人類が生きていくための条件が加わる。必然人間の遺した足跡の方が少ない。今やたくさんのコンピュータを使い、制御できないものなど何もないかのように思えるが、人間の過ごした時代も場所も、たったこれっぽっちなのだ。

 などとありきたりなことを考えながら、さらに加えられるデータがないか脳内を検索する。リンダは検索エンジンみたいに何かの単語を思い浮かべたらそれに関する知識がずらっと出力されたりするのだろうか。今度聞いてみよう。きっと冗談ね、というふうに笑って、あなたと同じですよ、検索エンジンなんてありません、と答えるのだろう。

 ふとここに来るきっかけとなった会話を思い出した。脳内のシナプスはてんでばらばらに発火する。神話生物についての話だった。各地の神話では、遠く離れた場所においても似たような想像上の動物が出てくることがある。それらは絶滅した生き物だとか、そういった説は大昔から唱えられてきた。今さら新規性もあったもんじゃないが、このマップに加えれば何か新しいことが分かるかもしれない。

 その前に、と発掘された化石の種類をカテゴリ毎にまとめた。年代別ではなく、形態学的な違いだ。貝だとか恐竜だとか。遺伝的背景も関係ない。昔の人はそんなことなど知らず、ただ形だけで判断していた筈だからだ。

 ボタン一つでそれをこなすソフトは便利だ。その分だけ人間は怠惰になっていくが。もう俺もこの中身を理解することなどはなから諦めている。そもそも作ったのは人間じゃないし。

 なんとなくそれらのカテゴリをいじっている間に、猫は面白いんじゃないかと思った。家畜のようでそうではない存在。エジプトから極東まで、いろいろな場所にその伝説があることも知っている。あまりにも人間の寵愛を受けすぎて、彼らは人間よりも良い生活を手に入れている。薬や食餌のおかげで寿命は飛躍的に伸び、人に追いつかんばかりだ。

 それで出してあった恐竜やら三葉虫やらの化石を消し、代わりに猫の発掘現場を表示させた。ほとんどは人間の遺跡があった場所。当たり前だ、哺乳類は地球では新参者に過ぎないのだから。

 それでも何か新しいことは見つからないかと目線を動かし、忙しなく地図を動かした。

 そこでぽつん、と文明のあとだけが遺された土地が目に入った。中国の古代遺跡、夏王朝の発掘現場付近だ。どうしてかその辺りは都市遺構を発掘したのちはすぐに調査が中止され、まるで放置されたかのようだった。

 中国は今や世界一の論文大国でもあり、こんなに分かりやすい場所はマントルに辿り着かんばかりの勢いで発掘されそうなものなのに。

「ふうん、中国ね。エド、きみが言うなら調査隊を派遣してみよう。発掘計画の立案はリンダに教えてもらってくれ」

 調査隊、といっても派遣するのはロボットだけだ。まだ人件費が安い国ならば現地の人を雇うこともあるが、それでも教育にかかる金を考えると採算が取れない。中国の人件費なんて、それを考えずとも高価だ。こちらから何台かロボットを送った方が遥かに安い。

 リンダは俺に一から発掘計画の作り方について教えてくれた。初歩的なことなのに嫌な顔ひとつせず。きっとリンダは穏やかな人間の神経構造を模して作られたのだろう。

 滑らかな肌にと常に薄らと浮かぶ微笑を眺めながらそう思った。

「こちらの教科書が最も参考になります。私が書いたものですが」

 いつもと変わらぬ笑みが、どこか自慢げに見えた。

 実際リンダの教科書と、そして実際のロボットを前にした説明は分かりやすかった。すぐに地質の調査からX線を用いた非破壊的検査、最終的に発掘するかどうかの判断、その後の手順までが手に取るようにイメージできた。

「でも中国でなんて、許可が降りるのかな。こんなに資料を作って無駄になったら」

 俺の独り言のようなそれをリンダのセンサは感知したらしい。

「この頃の中国は、外国からの研究の受け入れに積極的なので、まず問題ないでしょう。今政権の方針のようです。次の党首選までは——」

「いや、大丈夫ならいいんです」

 このままだと近代中国史のレクチャーが始まりそうだ。リンダもお喋りなところがある。きっと教授と毎日長時間ディスカッションしているせいだろう。

 そんな彼女を遮って発掘計画に目を通す。もうほとんど完成で、あとは教授の承諾を得るだけといった段階になっていた。

 あっさりと進んだもんだな、と意外だった。父が昔愚痴を言っていたことを思い出す。仕事で書類を作ってもダメだし、修正、たらい回しの嵐で何も進まないと憤っていたあの顔と口ぶり。

 いや、時代はもう変わったのだ。俺が大人になるまでの間でも既に目まぐるしいほどの技術発展が起こった。それに今の俺と父では生きている世界が違う。俺は今、最先端人工知能と肩を並べて仕事をしているのだ。

 それでもなんとなく不安で、教授にダメ出しをされそうな箇所を無意識に探し始めていた。

「もう完成ですよ。私の手順通りに書いたので、問題ありません」

 リンダの微笑みはどこか不思議そうに見えた。同じ笑顔が違って見えるのは、俺の心象を映しているようで、それはまるでリンダが俺の感情を見透かしているかのように思えて急に怖くなった。

「ああ、そうですよね。明日教授に出してきます」

 教授の確認は、リンダの言うとおりあっさりと終わり、発掘計画はすぐに了承された。

「あの、手続きはこれだけですか?」

「そうだよ、初めてでこれはいい出来だった」

「ありがとうございます。でも向こうの許可証とかなんとかあるんじゃないですか」

「これが通った時点で向こうも承認済みだよ。リンダは説明していなかったのかな」

 教授はにやりと笑った。どうやらリンダもいたずらめいたことをするらしい。

 俺のメールボックスには着々と準備が進んでいる様子が逐次報告されていった。手始めに自立式の非破壊用検査装置が現地に到着し、作業に着手するようだ。ここで何も出なかったらこの発掘は終了だ。

「この段階で終了する計画はおよそ九十パーセントです」

 リンダが俺の見ていたパネルを後ろから覗き込んでそう言った。

「分かってますよ」

 期待するな、といったところだろう。俺にも十分すぎるほど分かっている。こういう時に期待するものではない。それは幼い頃から痛いほど叩き込まれてきた。

「その、ですから落ち込む必要はないのです」

 どうやらリンダは先回りして俺を慰めたかったらしい。受け取り方によっては逆効果だが。

「ありがとう」

 わざわざそれについて議論する必要はなかった。俺が返事をしたと同時に、非破壊検査装置からの結果が届いたからです。

「反応あり、です」

 残り十パーセントの確率に引っかかったようだ。深いため息をついた後、俺は自覚とは裏腹に期待と緊張を覚えていたのだと気がつく。

「良かったですね。次の段階も計画書通りです」

 その間にも装置からのデータは次々と送られてきていた。生データは即座に世界中の研究機関に共通のフォーマットで解析され、すぐに読み取れるようにディスプレイに表示される。これはおそらく化石だ。新しい遺跡か比較的最近の骨が出土したらラッキーだろう、くらいに思っていた俺はその結果に思わず身を乗り出した。

「これはプランAで実行できますね」

「やった」

 これが新種の化石なら、名付けるのは俺だ。長年思い描いていた夢が、こんなにもあっさり叶ってしまうなんて。いや、その期待はまだ早い。既にアジアのどこかで発掘されていたものと同種かもしれないのだ。

「続きは明日、か」

「ええ。時差はどうにもなりませんね」

 もちろん機械は一日中でも動かすことが出来るのだが、研究者自身のワークライフバランスを保つために稼働時間は制限されていた。そうでなければ俺はここで一晩中送られてくるデータを見つめていたに違いない。

 そうしていたかったな、と思いながら俺は帰路についた。

 家は大学の近くのフラットの一室だ。大学に入れば衣食住は補償され、給料もいくらか貰える。大学に入った理由の一つはそれだった。もといた地元、あの家では到底こんな都会に出て一人暮らし出来るほどの職には就けなかっただろう。

 送られてきたデータに夢中で、大学のカフェテリアで何か食べてくるのをすっかり忘れていた。いつ買ったかも忘れてしまったチップスの袋を開ける。賞味期限は見ない。どうせ腹など壊しはしない。

 狭い部屋のベッドでそれを口にしているうちに一気に疲労感が襲ってきた。一日中興奮状態で過ごしていたのだから当たり前だろう。俺はシャワーも浴びずにそのまま眠りに落ちた。

 次の日はいよいよ発掘ロボットが投入される日だった。アラームをかけ忘れていたのに、ちょうどその時間に間に合うように目が覚めた。

「おはようございます。データはまだですよ」

 既にラボに現れていたリンダに挨拶を返す。よっぽど待ちきれないと言った表情をしていたのだろう。教授はまだ来ていなかった。そういえばリンダはいつでもラボにいる。人工知能の彼女に家があるのか知らなかった。そもそも彼女のプライベートについて想像してみたこともなかった。人工知能のプライベート、だなんておかしなことについて考えるのは作家みたいな職業の連中だけだ。

 リンダの言うとおり、ロボットの投入時間にはまだ少しあるが、そんなことは構わずに必要な機械を次々と立ち上げていった。スリープ状態だったディスプレイたちが昨日と変わらぬ画面を表示する。

 コーヒーを入れながらもその画面を見続ける。まだ何も送られてくる時間ではないと言うのに。

「あっ! ごめん」

 そのせいでリンダにコーヒーをかけてしまった。リンダは少し驚いた表情を見せたあと、いつもと変わらぬ笑みで言った。

「大丈夫ですよ、拭けばいいですから」

 その辺のペーパータオルを急いで持ってきて彼女に手渡す。いつも同じスカートがコーヒーの色に染まってしまっていた。

「ごめんよ、ぼうっとしてて。そのスカート、クリーニング代払うよ」

「大丈夫ですよ、制服なので大学がやってくれますから。それよりエド、お怪我は?」

「俺は大丈夫。きみの方こそ」

「私は平気です」

 何度もそう言うのだから、実際問題ないのだろう。人工知能の肌は確か、ヒトの皮膚に似せた成分でできていると聞いているから、熱さにはそれほど強くないと思うけれど。運よくスカートが守ってくれたのだろう。

 リンダのいつもと違う表情が脳裏に焼き付いていた。まるで本当に人間みたいに、反射的な動きをしていた。そこまで神経を同じに作ってあるのだろうか。

「ロボットの投入状況が送られてきましたよ」

 作業開始予定より少し前、ロボットが監視地域内に入ったことが知らされた。無事に計画は進んでいるようだ。

 そして指定した開始時刻ちょうど、発掘作業が始まった。もちろん反応があった場所から。しかしその真上をすぐに掘るなどといった愚かなことはしない。重要な化石を傷つけては元も子もないのだ。

 0.1ミリグラム単位で土を移動することのできる機械たちは指示書通り正確に動いた。指示書には何センチ掘れなどと書いている訳ではないが。

 作業そのものは問題なく進んでいる。しかしそのスピードは焦ったくなるほどに遅かった。期待が余計にそう思わせているのかも知れなかったが、実際それほど手際よく終わるような工程でもない。人力でやっていた頃はこの何倍もの時間がかかっていたのだ。

 結局その日も送られてくるデータを眺めていることに終始していた。

「もう問題も起こりそうにないので、明日はオフで構いません」

 帰り際、リンダがそう言った。自分が見ている、ということだろう。

「いや、気になるから出てくるよ。他にすることもないし」

 その決断は正しかった。僕はまさに送られてきたデータの前で喜びの声を上げることが出来た。

「当たりだ!」

 発掘装置は目当ての化石の表面に触れた。しかしまだ土を被ったままだ。その写真データだけでも興奮した。しかし装置が今まで使っていなかったブラシをアダプタに取り付け、そっとその表面を掃いた後は、椅子をひっくり返しながら立ち上がってしまった。

「これはすごいぞ!」

 予想通りネコ科の化石だが、ほぼ完璧な状態で形が残っていた。おそらく骨も全て揃っているだろう。

「良かったです」

 リンダの微笑みは、いつもより喜んでいるように見えた。

 俺のビギナーズラックはこれだけではなかったらしい。その後指示書通りに発掘されたその化石は、今まで発見されたネコ科の化石の中でも最も古く、彼らの共通祖先の特徴をほとんど全て揃えているだろう、ということが分かったのだ。

「遺伝子情報も分かればいいのにな。そしたらもっと強い証拠になるのに。昔、そういう映画があったんだろう?」

「年代から考えて、核酸構造は保たれていないでしょうからね。……そのようです。なんとも空想的なお話です」

 どうやらリンダは映画のことを知らなかったようだ。少しの間は彼女がデータを検索していたことを俺に悟らせた。

 ラボに発掘された化石たちを待つ間、はやる気持ちを抑えられずに既に論文の作成に着手していた。とはいえフォーマットに入力すべきデータはほとんど埋められ、後はラボで解析した結果を入力してしまえば終わりだ。

 昔みたいな長いイントロダクションはなし、こじつけめいたディスカッションもなし、ただ事実のみが世界へと共有される。

 ボスからは届いた化石を最初に開けることを許された。普通はリンダの役目だが、初めてなのだからきみがとそうしてくれたのだ。

 手袋を付け、グローブに手を入れ、チャンバーに入った箱の蓋を開ける。アクリル板越しの対面だった。

「おお……」

 いつだったか博物館で見たような化石が今目の前に、手袋越しとはいえ触れられる位置にある。そしてそれは俺が見つけたものだ。子供の頃の俺に、この日のことを教えてやりたいと思った。

 そっと箱の中から化石を取り出す。予想より軽かったが、しかし腕はとても重いものを持っているかのようにゆっくりと動いた。それを所定の位置に置き直せば、後は解析装置の中に入っていってしまう。生まれたばかりの赤子を抱き、そして看護師に渡す母親もこんな気分なのかもしれないと思った。

 時間をかけて置いたそれはプログラム通り装置の中へと運び込まれていった。そしてチャンバーから完全に遮断され、俺は素手でそのアクリル板を開けた。箱を取り出す為だ。

 さっきまで化石があった場所。チャンバーの中には空気も入っていなかったのに、特別な匂いがあるような気がした。

 

 解析も指示書通り進んでいくだけだ。目新しいことは今回は付け加えなかった。発見自体が新しいものだったからだ。欲張って解析手法を凝るより、素早く世界に発表した方がいい。こうして俺の初論文はあっさりと完成し、そのデータは世界中からアクセスされるデータベースに収載された。

「エド、きみのひらめきは素晴らしいよ。これからもその調子でね」

 教授の言葉通り、俺の単純なひらめきは化石の発掘地の選定に威力を発揮した。つまり、文明の遺跡が発見された近辺で、しかも化石が見つかっておらず、遺跡そのものも詳しく調べられていない場所だ。言葉にしてみると当てはまる場所は少ないように思えるが、どうしてかそんな場所は論文をいくつか書ける程度にはあった。どうやら人間というのは飽きっぽいらしい。それにさまざまなしがらみのせいで純粋な研究が長続きすることも少ないのだ。

 俺は一躍若手の中でも名の通った研究者になった。学生の給料ではなく、研究員としての給料へと昇給もされた。夢が叶った。地元にいたままでは、あの家の、あの父親の元では叶うはずなどなかった夢が。

「ひらめきというものは、未だ科学でも真に解明されたとはいえないものだ。リンダ、きみにひらめきが訪れたことはあるかい?」

「さて、辞書通りの意味であればありませんが」

 いつものリンダと教授の会話が始まった。俺はあの日のように二人の会話に加わることもあれば、黙々と次の指示書を作っていることもあった。俺の選定した発掘地が当たりである確率は五分五分といったところだ。これでもかなり良い方なのだ。三割打者は凄いと言えば分かってもらえるだろうか。昔父親が贔屓にしていた野球チームのバッターのことを思い出した。しかし名前は忘れてしまった。

「リンダ、きみに偶然のシナプスの発火を起こしてみれば体験できるかもしれないね」

「ご冗談を。禁止されているでしょう」

 人間の神経回路を模した人工知能は、その能力のぶん予期せぬ動きをしないよう様々な制約をかけられていた。そのぶん抑制性のシナプスのようなものはヒトのそれより多いらしい。俺は専門外なのでよく知らない。

 それでもリンダは本当に人間のように話し、動く。その表情がいつも穏やかな笑みを湛えているだけであること以外、人間と見分ける方法はないように思えた。

 

 次第に俺のひらめきは効果を失っていった。要は発掘現場の打率が下がっていったのだ。そうなるのはまるで階段を転げ落ちるようにあっという間だった。何の前触れもなく、突然に。

「また色々と考えて、新しいアイデアを思いつくまま試してみてくれ、エド」

 教授はそう言って、新しい指示書には承諾のサインを書いてくれなくなった。

 アイデア、だなんてそう簡単に湧き出てくるものではない。しかし最初の成功で、俺には出来るはずだ、という信念めいたものが俺の心を支配していた。

 ひたすらに地図をいじり、データベースから次々と何か関連のありそうなものを引っ張り出す。データへのアクセスは大学に所属している者なら簡単だ。スピーディーに検索結果が表示され、キーワードが曖昧でもプログラムが勝手に適切なサジェストを行ってくれる。

 俺は思いつくままにキーワードを叩き込んだ。猫、古代遺跡、土器、墓、装飾品、遺産、家族、親、父親、不安、怒り、連想ゲームのように広がる言葉たちに対して、プログラムは困惑した様子を見せることなくさまざまなデータを表示していく。

 それでも最初のように期待が持てそうなひらめきなど降りてこなかった。やっと面白そうな場所を見つけたら大抵は発掘済み。誰かが手柄を手にしているか、空振りか、その打率も三割を超えることはなかった。

 低迷したバッターに父親が浴びせかけていた罵声を思い出す。テレビ越しなのだからそのバッターに聞こえるわけがない。それなのになんで文句を言うのだろうと思っていた。しかし今の俺は自分自身にその罵声を浴びせかけたい気分だった。何やってんだ、仕事しろよ、このポンコツ、辞めちまえ。そんな言葉が脳裏を掠めていく。

「リンダは自分が嫌いになったりしないの」

 独り言のように呟いた。しかしどんなに小さな声でも、自分に話しかけられたと判断したら彼女が聞き逃すことはない。

「いえ、私には内省するという機能はないので」

 リンダの答えはあっさりした者だった。ああ、人工知能みたいになれたらどんなにいいだろう。淡々と目の前の仕事をこなす。微笑みながら、怒りもせず。湖面のように穏やかな生活だろう。

「俺は自分が嫌いだ」

 リンダは返事をしなかった。自分に話しかけられたと判断しなかったからだろう。そんなおふうに割り切れたなら。

 俺の研究にはは早くも暗雲が立ち込めていた。

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