第6話 イービルアイ


 悪魔と目が合ったことはあるか?


 文化祭の準備に明け暮れていた夏のことだ。牧は夏季休暇を利用して、演劇部が出し物で使う小道具の制作に当たっていた。美術部としての作品も手掛けなければならないが、断る勇気がない内気な性格が災いして、こうして夏休みも登校することになった。


 ホームセンターで買った3×6板のベニアに下地を塗ってから、本格的に絵を描いていく。ベニアを床に敷きながら、牧は経緯を想起する。演劇部では完全オリジナルの作品を制作することを強引に決めた今回のリーダー、総監督こと楠木に巻き込まれたのだ。美術部でも経緯は不明だが共同制作をすることが決定しているようで、楠木から直々に懇願された。「どうしても成功させたいんだ」「君の力が必要なんだ」そこまで言われて、断るのはあまりにも薄情ではないか。あれだけの情熱を持って芸術に取り込もうとする姿勢を、同じクリエティブ系の人間として、否定するのはどうにも歯痒い。


「やあ、今日も悪いね」


 昼頃になると総監督の楠木が顔を出した。相変わらず仮面を被ったかのような微笑みを浮かべる。つまり気持ち悪いのだ。最初は作品に対する情熱的な態度に惚れ込んだ。時間が経過していくと、楠木は良くも悪くも、笑顔を作っている印象を受けた。世渡りを上手く大人びているとも言えるし、何を考えているのか真意がわからなくて信用できない。牧は上辺では友好的であることを意識した。


「そんなことはないですよ。むしろこんな大作に関わらせてもらえることを感謝しているくらいだ。いい経験になってます」


「そう言って貰えると、助かるよ。順調そうだね」


 楠木はベニアに描かれた絵を感慨深く見定める。


「はい。期限までには必ず完成させるので、安心してください」


「頼もしいな。牧くんに頼んで正解だったよ。今日は弁当を人数分用意してるから、みんなで食べよう」


 そんなお金は一体どこから? 楠木は謎が多い。普段はそこまで目立つ生徒ではないのだが、時々誰も予想できない行動力を示すことがある。今回も演劇部でもないのに、総監督に就任して劇を取り仕切るのだから、もはや意味がわからない。


「ありがとうございます。切りがいいところまで書いたら、みんなのところにむかいます」


 楠木が辞去した後に、牧は再び絵の制作に取り組んでいく。お昼が過ぎていることに気づいたが、休憩を入れるなら適当なところまではやり切りたい。さらに集中力を高める。頭の中のイメージが膨張して、新しい姿に変貌を遂げていく。次々とアイディアが生まれては、消えて、採用されたものだけが新しく描かれていった。今日はとても調子がいい。この感覚が途切れまで、とにかく書い続ける。だが、不意に窓の外に違和感を感じた。


 牧が顔を上げると、目が合った。人とは到底思わない深く鋭い黒目と黄土色。一瞬のことだったが、牧は大きな声を上げて、石像のようにしばらく動けなくなった。それは、ギリシャ神話のメデューサと対峙したような有様だったであろう。人影が消えると牧は窓を開けて外を確認する。誰もいない。ただ曲がり角の草が揺れた。


「どうしたんだ……大きな声をあげて。失敗でもしたのか?」


 楠木は慌てた様子で牧に声をかける。楠木は敷いてあるベニアを見る、手に持ってるの弁当だった。


「ごめん。弁当を届けてくれて」


「いいや、別に構わないよ。それで何があった」


 少し迷ったが、牧はありのままに自身に起きた不思議な体験を話すことにした。楠木は話を聞き終えると、「それは、魔眼、邪眼、もしくはイービルアイだな。うん、イービルアイがいい」


「いいって、君は何を言ってるんだ」


「魔眼とか、ありきたりだろ。ここはイービルアイがいい」


「そう言うことじゃなくて、僕の話しを信じてないだろ」


「そんなことはないよ。こんなにワクワクする話が嘘なんて信じたくない。それに牧はくだらない嘘をつくようなタイプじゃないだろ。だから限りなく真実だ。もしくは見間違いか」


 楠木は猫背技気味の姿勢を正した。


「やっぱりそうですかね」


「何だよ。見間違いなのか?」


「あの目は、どう見ても人外の物でした」


「人外ね。どんな感じだったけ」


「……鋭い瞳孔だった。黄色い目で例えるなら悪魔かと思った」


「うーん。例えばカラコンとかならありえるじゃないか。今日は演劇部と、美術部。それ以外に文化祭の準備で登校している奴らはたくさんいる。誰かのいたずらだろう」


 楠木は端末を操作して画面を見せる。そのサイトにはあらゆるカラコンが販売されていた。確かにこれならあの悪魔のような瞳も、カラコンによる誰かの悪戯であることも頷ける。


「その様子だと納得はしてないみたいだな」


「まあ。けどカラコンが妥当だとは思うよ」


 冷静に考えたらカラーコンタクトが最も現実的に思えた。牧は納得して気持ちを切り替えようとしたが「まあ僕が犯人を突き止めるから、安心して制作を続けてくれ」と楠木が言うのだ。牧は困惑した。


「何で?」


「当たり前だろ。この看板を見られたんだ。口止めをしないといけない」


 楠木の顔はどうにも悪人面であった。楠木が書かせているベニア板の絵はどうしても隠したいものなのだろう。今回の演劇で重要になってくる一枚なのかもしれない。そう捉えれば、牧をわざわざ誰もいない校舎の一室を借りて、一人で書かせる理由付けにもなる。


「それで、どうするんだよ。カラコンをしている奴を探すのか?」


「ああ、一人一人探すしかない」


「本気で言ってるのかよ」


 牧は呆れて嘆息した。


「そんなに難しくはないだろ。君が悪魔と目が合ったのは何時頃だったか覚えているか?」


「12時50分くらいだったと思うけど」と牧は記憶を探りながら答えた。


「それくらいだろう。僕が弁当を届けようと思ったのも30分を過ぎていたからだ。つまり40分から一時くらいの時間内で、アリバイがない人物が今回の犯人の可能性がある」


「は、犯人って。そんな大したことではないだろ」


「大問題だ。この看板は演劇のネタバレも込みだ。誰にも知られるわけにはいかない」


 そんなに重要なのか、と牧は口に仕掛けたが堪えた。


「それで一人一人話を聞くつもりなのか?」


「ああ」


 楠木は校内で作業している全グループと生徒を黒板に書き記していく。


「課外授業の一貫だから、昼休憩は12時から1時まで。50分にこの教室にして一時までに教室に帰られる範囲までが犯人の行動範囲だろう」


「だったらB校舎もA校舎も範囲に入るんじゃないか? あまりにも該当する範囲が広い」


「いいや。大体が午前中で帰宅している。午後からも作業をしているのは演劇部と、2年のA組、C組、1年のC組、美術部、グランドで練習している野球部とサッカー部くらいだな。夏休みに入って日が浅いのが幸いして、少ない。運がいい」


「カラコンをしていたから、サッカー部と野球部は除外かな」


「そうだな。イメージ的にはカラコンとかには疎いだろう。そうすると演劇部と美術部か。だがこれらも除外でいいだろう。僕が見た限り演劇部にはカラコンをしているやつはいなかった。美術部も手伝ってもらっている手前弁当を手渡したが、カラコンは気にならなかったな」


 2年A組、C組、1年のC組に楠木が顔を出して、それぞれのアリバイを聞いて回った。大体が誰かとお昼を共にして、過ごしていたので、怪しい人物は誰もいなかった。夏休みにわざわざ登校して文化祭の準備をしているのだ。一人で過ごすような、陰険な人物や、大人しいタイプはいなかった。


「無駄足だったな」


 牧の言葉は、楠木には聞こえていない。楠木は新しい思案に夢中な様子だ。


「つまり外部の人間の可能性もあるのか」


 楠木は溌剌として言った。


「そうかもしれないが、それこそ該当する人物を洗い出すのは難しいだろ。目撃証言でも探すのか?」


 牧は鼻で笑った。


「外部と言っても寮の人間とかだ。だけど寮の生徒はスポーツ系だからカラコンのイメージがわかない。ギャル系の女子生徒がいたら、一番しっくりくるんだけな」


「もういいんじゃないか。作業日程を守ることが最優先だ。寄り道はこれで終了で」


「それもそうだな」


 牧は看板の製作を再開した。いつの間にか楠木もいなくなって、牧の集中力は限界を超えていく。その集中力も、教室に忽然と現れた異端によって瓦解する。


「この教室ね。特に違和感はないけど」


 長くして輝くような黒髪がなびく。きめ細かい純白の肌、長い睫毛を持つ瞳が牧を捉えた。


「君が牧くんね。初めして私は愛木。楠木くんに頼まれてこの教室で起こった不思議体験の謎を調査することにしました。牧くんにはもう一度事件について話してもらうことになるわ」


 風紀委員の愛木の登場に牧があたふたしていると、楠木が教室に入ってきた。


「何で先に行くんだよ。愛木」


「どうして私があなたを待たなくてはならないの? あなたのようなクズとは一生涯関わりたくないのだけど」


「そんなことを言うなよ。寂しいじゃん」


「よく言うわ。クズのクスノキ」


「誰がクズだ。君は本当に酷い人だ」


「どっちがよ」


 牧は二人が顔見知りであることに驚きながらも、ここまで険悪な仲であることにも違和感を感じていた。しかし、楠木の裏の顔を考えれば、納得することもできる。愛木の言う通り、楠木はクズなのだ。


「それで牧くんはどんな物を見たの?」


「悪魔と目が合ったんだ」と楠木が答える。愛木は嫌悪を浮かべた。


「悪魔……それって具体的にはどんな目だったの?」


「黄色い眼だった。窓の外から見ていたんだ。目が合うとすぐにどこかに消えた」


「黄色い眼。それは悪魔を形容するが相応しいわね」


 愛木はわざとらしく驚いた様子で言うと考えるように親指を顎に添える。


「お前はどう考える?」


 楠木は挑発するように、愛木に言った。


「あなたが校内にいる生徒の犯行であることを考えて、調べていたことは聞いてるわ。だけど誰にもできそうな人物がいないと結論付けたのよね。私もそう思うわ。そんなつまらない悪戯をする人なんかいないわよ」


「それならどう説明するんだ。まさか牧が嘘をついているなんて言うんじゃないだろうな」


 愛木は楠木の質問には答えずに、牧に質問を投げ掛ける。


「瞳孔はどんな感じだったの?」


「瞳孔? あーそうだな。人間とは思えないくらい鋭い感じだったよ」


「なるほどね。真相が見えてきた。と言うよりは確信した」


「わかったのか?」


 楠木は興奮を隠せない様子で言う。


「まあ、そうね。おそらく今回の犯人は牧くんの言うとおり、人間ではない」


 場が凍りつくような、もしくは時間が停止したかのように沈黙が訪れた。愛木は自分だけが見出した答えに満足して、そそくさと辞去する。あの悪魔の正体と一体何なのだろう。教えてはくれないようだった。夕方になると牧は、帰宅を考えるようになる。この頃には悪魔のことなんて、すっかり忘れていた。


 帰り。電車の車内は牧一人しかいなかった。揺れる電車の中で、今日の出来事を反芻する。駅に停車して自動扉が開閉されると、一人の女子高生が現れた。愛木である。


「牧くんじゃない。ご苦労様ね」


「ご苦労様です。愛木さんも電車だったんだね」


「今日は少し用事があってね」


「用事ですか」

 

「それにしても偶然ね。今日の事件といい、君とは何だか縁を感じるわ」


 牧は悩んだ。あの悪魔の正体とは何なのだろうか。愛木が話を振ってくれたこのタイミングを逃すのは惜しい。


「あの悪魔の正体は何だったんですか?」


「……知りたいの?」


「そりゃあもちろん。そんなに勿体ぶらないで教えて欲しいです」


 愛木は鼻で笑うような仕草をした。


「私からは教えない。自分で導き出したほうが楽しいと思うし」


「ヒントはないんですか?」


「そうね……」と愛木は首を傾げる。「あなた動物は好き?」


「飼ったことはないので、好きとか嫌いみたいな概念がない」


「変な言い回しね。だったらペットショップに寄ってみたら、この時間ならギリギリ猫とか犬が観れると思うから」


 愛木さんのヒントが殆ど答えであることは、次の日も作業したことで気づくことができた。昨日と同じように作業に没頭していると、不意に窓が気になった。窓からの景観は悪い。緑が多いくらいの印象しか受けない。しかし、牧は新しい発見をした。黒い毛並みの小動物が歩いてたのだ。四足歩行のそいつは優雅に、ゆったりとした仕草で、獲物を探すわけでもなく、のんびりとしている印象だった。牧は窓を開けて、覗いていても、そいつは敵意を感じないようで、特に変化はなかった。


「どうした。なんかあるのか?」


 楠木がやってきて、一緒になって窓から外を覗く。


「なんだ、猫かよ。しかも黒猫だ。縁起が悪いな」


 黒猫が振り返る。悪魔のような黄色い瞳で、楠木を侮蔑した。




 


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