第7話 甘美なる悪意
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私は木だ。生い茂る雑草から、そびえる立派なものでなく、折れた枝がいいところ。工場では機械のように働く必要があると、聞いたことがあるが、私は動くことすら許されない。無心となり、肉体を可能な限り硬直させていく。小バエが集り、小鼻が痒くても、私は必死に堪えていた。そんな感じで、みなさんお久しぶりです。野原です。風紀委員の野原です。愛木先輩の熱烈なファンである野原です。いきなりの自己紹介で、申し訳ありませんが、私も困惑しています。
「愛木の紹介で君に頼まれて欲しい」と楠木先輩が突然やってきて、強引に手を引くのです。愛木先輩の名前を上げられたら、抵抗したくてもできません。先輩の顔に泥を塗るなんて、おこがましいことだからです。そうして、連れ出されたのは演劇部の部室でした。使われてない校舎の一番奥の部屋で、普段は人通りが少なく、陰気な印象でしかない。しかし、部室は日が差し込み、部員達も生々と演劇に取り組んでいる。
「とりあえず君は木だ」
楠木先輩はそう言って私を放置しました。これは傍観して、よく観察しなさいってこと? それとも新手のいじめですか? 古典的なイジメかも?
台本を片手にそれぞれが演技の練習をしている光景に、かなり本気の部活動であると感じた。飛び交う台詞のやり取りから、物語の内容は中世ヨーロッパ風の騎士物語であることが推測できる。とある日。城外で串刺しにされた騎士の遺体が発見された。騎士を束ねる騎士王は事件を重くみて、記録係に調査を命じた。事件はクーデターを企む元騎士団メンバーの仕業で、重税で苦しむ民衆の暴動で王は殺害されて、国は乗っ取られる。
たった7人の部員でよく活動している。それぞれが複数の役を担当して、めまぐるしく配置転換を繰り返す。同じ顔なのに違う人間に見える。話し方や、立ち振る舞いで、ここまで別の人間に見えるものなのだろうか。演劇部がここまで真剣に部活動に取り組んでいたなんて知らなかった。毎年のように文化祭で演し物を催していることは知っていたが、私は見たことがなかった。これは皆に教えないと。なんて私が感想を抱いていると、楠木先輩が近づいてきた。
「どう?? 本格的でしょ? 僕も初めて演劇部の舞台を拝見した時は心底驚いたよ」
「はい。こんなにすごいなんて。今まで損をしていた気分です」
「だろう。これから煮詰めて、さらに完成度を高めていくんだ」
「もっとすごくなるんて。ところで楠木先輩は演劇部でしたっけ?」
「違うけど」
「それならなんで?」
「今年の文化祭の出し物は、僕が総監督を務めることになったんだ」
「どういうこと?」
「うーん。そうだな。僕が代理で監督をやってるんだ。脚本も演出も僕のアイディアってこと」
つまり演劇部は楠木先輩に占拠されてると。これは愛木先輩に報告した方が良さそうだ。
「それで野原さんには、演劇部を手伝って欲しいんだよ。もちろん愛木には許可を取ってるから、安心して。愛木も君の活躍を楽しみにしている様子だったから」
「え!? そうなの」
私のやる気スイッチがオンになった。
●
演劇部での私の仕事は、主に雑用であった。台本の準備、修正があれば対応したり、掃除をしたり、セリフはないが脇役で舞台に上がることにもなった。その日の放課後は、宣伝用に製作された三種類のビラを手にして、校内を回った。掲示板はどこも文化祭向けの張り紙で埋め尽くされていた。私も非情というか、半端の演劇部というか、風紀委員としての矜持を忘れて、堂々と真ん中に貼り付けた。
三種類のポスターはそれぞれが劇中の印象的な死をモチーフにしている。「串刺しの遺体」は、城壁内で発見された騎士の遺体で、観客を引き込むための最初の事件だ。
2番目の遺体はバラバラにされた王の遺体。かつて騎士であった男が、重税で苦しむ民衆を味方にしてクーデターを起こした。王は城から逃げることができずに、民衆によってバラバラにされて、城から落とされたのだ。あまりにも残酷なシーンなのだが、総監督の楠木先輩曰く「民衆の怒りを体現するにはこれくらいはしないと」と言っていた。
3番目の死は、クーデターを起こした元騎士であり、後の王になった男の死だ。クーデターが成功した男は、先王の妻を娶り、自身が王となった。しかし、彼は毒殺されてしまう。果たして誰が殺したのか。ミステリー要素も絡んだ話ではあるが、犯人は王妃だったりする。すべては王妃自身が国を手に入れる策略だったのだ。
なんだかありそうな話であるが、もっと明るい話の方が私は好みだ。私はその中でも、幼い王太子の子守だったり、王妃の侍女だったりと、動きもセリフがない脇役だったりする。
校内を歩き回っていると、見慣れた先輩の後ろ姿が見えた。長い髪がスパイラル的に軽く巻かれている演劇部の先輩だ。私は駆け出していた。
「三井せんぱーい! これから部室に行くんですか?」
「野原さんか。ビックリさせないでよ」
三井先輩は演技がズバ抜けて上手で、演劇部のエース的な存在だ。今回の演劇でも、裏の顔を持つ王妃役を難なくこなしている。とにかくすごい人なのだ。身長は私と変わらないくらいなのに、顔が小さくて、手足は長いので、舞台でも被写体として映える。なんだか別次元の人なのだ。憧れの愛木先輩とはまた違う美しさが、羨ましい。きっとモテるんだろうな。男子にも、女子にも。
「すみません。ビックリさせるつもりはなかったです」
「いつも元気いっぱいだね。若いっていいわ」
三井先輩は「うん、うん」と頷く。
「ええと。私と一つしか変わらないじゃないですか」
なんなら三井先輩の方が綺麗で若々しいと思うんだけど。
「20と19じゃ全く違うのよ。多分、29と30も全然違う」
「そうかもしれないけど。定年くらいになったら変わりませんよ。生活習慣とかで老化に個人差ができますし」
それと遺伝的な差が如実に現れる。具体的には私と三井先輩の面とか、特に肌のきめ細かさは私が努力しても永遠に追いつけないと思う。毛穴なんて同じ人間とは思えないくらきめ細かいし、神様はどうしてここまで個人に差をつけるの? とりあえず平等なスタートを切れるように準備してもいいじゃん。例えば、遺伝的に、生活環境的にも。こう言うことを言い出すと、日本で生まれただけでも、かなり幸福な部類に入るらしいから、文句は言えないのかもしれない。
「これでも私は努力をしてるんだよ。大好きなケーキやチョコ、揚げ物はなるべく抑えて、体にいいものを食べるようにしてる。たまに苦悩で頭がおかしくなりそうになる」
「そ、そこまでしてまで努力ができるのはやっぱり才能ですね」
なんだか芸能人みたい。
「そうなのかな?」
「はい。努力する才能もあると思います」と私は快活に答えた。
「それ、今日はポスターを貼ってるの?」
三井先輩は私の手元を指差す。
「そうなんですよ。あと少しで貼り終えます」
「手伝ってあげようか?」
「えーーそれは流石に。私は演劇部のサポートをする頃が役割なので」
「私も息抜きがしたいのよ」
そう言われると、私は何も言えなかった。サポートにも色んな形があるのかも知れないと考えが広がったからだ。何も意固地になる必要もないしね。三井先輩はポスターを手にした。
「どこまで貼ったの?」
「反対の校舎ならすべて周りました。それで3階から順番に貼れる場所を探してるって感じです」
「そっかなら私は二階から適当に探してみるね」
「すいません。ありがとうございます」
「そんな! 謝るのも感謝するの私たちの方でしょ」
そんな、と私があたふたして答えていると、三井先輩は私の頭をなでた。
「どうせ楠木に無理やり手伝わされたんでしょ。なんか適当なこと言われて。本当にごめんね」
「そんなこと……」
三井先輩の物言いに、楠木先輩への悪意を感じた。感じたものが伝染して、記憶が蘇る。私の悪意。楠木先輩への不信や敵意。私もそういえば愛木先輩の名前を出されただけで、上手く操られてしまった。今では楽しく演劇部の手伝いをしてるけど、三井先輩達はそうでもないのかも知れない。
「楠木先輩はどうして演劇部の手伝いをするようになったんですか?」
口にしてから後悔した。デリケートな部分だったかも。唐突の危惧を物語るように三井先輩は渋い顔色を見せる。
「うーん。私にもわからないんだよね。榊原に聞いてみてよ。あの二人の間でなんかあったんでしょ」
「榊原先輩ですか……」
榊原先輩と言えば、演劇部の部長、妙に筋肉隆々、今回の演劇でもグリンドン3世という役柄で戦士王に相応しい容姿をした怖い先輩だ。私は今だに話したことすらない。だって怖いから。
「そんな怖い人じゃないよ」
「えーめっちゃ怖いですよ」
一重で鋭いあの目が特に怖い。まるで野獣のような冷徹な目に身震いしてしまう。
「話したことないでしょ。本当にそんな怖い人じゃないから。少しだけとっつきにくいところがあるかもだけど、それは演技に対する熱意が強いからよ。何なら私が仲介しようか?」
「大丈夫です」
私は即答していた。
●
ポスターを配り終えた私は部室に戻る前に、自動販売機に向かった。これくらいの休憩時間をもらって問題ないだろう。そもそも私がいなくても、演劇部は進行していく。それは風紀委員でも同一であることは、もどかしいことではある。しかし、世の中ってそんなもんじゃん。世の中の90パーセントくらいの人はいてもいなくても何も変わらない。一人、二人で組織が機能を失うなんて、選ばれし優秀な人材が抜けた時だけ。大多数の人間は代わりがきく。きいてしまうのだ。だけど、この人は違くない? この人は代えが効かない。
新田先輩はコーヒーを片手にベンチにアスファルトの地べたであぐらをかいている。今回の演劇で主役であるマークロング役の新田先輩がいないと、練習も捗らないのではないだろうか?
「ちょっと新田先輩! 何をしてるんですか?」
新田先輩はワンテンポ。ツーテンポ遅れてから私を目視した。気だるそうだった。この雰囲気が一部の女子の性癖に刺さるらしい。
「誰かと思ったら野原さんじゃん。何してるの?」
「その質問は私がしたんですけど。新田先輩こそ、どうしてこんなところにいるんですか? 練習は?」
「すっかりマネージャーだ。いいね」
新田先輩は親指を立てた。
「ふざけないでください」
「ハハハ。怒られた。けどまあ、安心してよ。今日は僕の出番はないから」
「そうなんですか? 本当ですか? 嘘じゃないですか?」
マークロングは劇の主役で、事件の真相を調査する記録係だ。劇中のシーンを細く分けても、マークロングの出番がないシーンを探す方が困難だ。私は新田先輩の嘘を暴こうと、顔を近づける。近くに寄れば顔色を伺えると思ったんだけど、そうでもなかった。
「楠木が暴走してんだよ。演出とかで榊原と輪島と揉めてんの。だからこっそり抜け出したんだ」
「またですか」
昨日も楠木先輩と榊原先輩は台詞の細かいニュアンスで言い合ってた。私からしたら、本当に小さな違いなんだけど、本気で劇に取り組む二人からしたら大きな問題なんだろう。本気になれることは凄いことだと思う。今より優れたものを追い求める強い意思があるからこそ、立案することに躊躇はない。それがチームに二人もいれば、ぶつかりあうこともある。私の人生には無縁なことだ。
「楠木が思いつきで、次から次へと言うことが変わるから、ついに輪島がキレた。便乗して榊原も怒鳴ってる。今日は練習が再開されることはないだろうな」
「そんなに酷いんですか」
「ああ、このまま中止もありえるかも知れないな」
そこまで酷いなら、今日は演劇部に顔を出すのはやめようかな。なんて思案していると、新田先輩がコーヒーをくれた。真っ黒いパッケージのブラックだった。タブを開けて一口啜る。苦い。
「大人ですね。普段からブラックなんですか?」
「あ、ブラックはダメだったか? 悪いな」
「いいえ。大人の一歩を踏めた気がします」
「次は酒かな」
「まだダメですよ」
しばらく漠然と過ごす。現実逃避をするように頭を空っぽにして、ただ時間が経過するのを待った。新田先輩を見ると、視線が上を向いている。その先に何があるのかと思えば、渡り廊下を三井先輩が歩いていた。新田先輩は一切の視線を逸らすことなく、じっと見ていたので、私はついつい口を出す。
「さっき三井先輩に手伝ってもらったんですよ」
「そっか。後輩には優しいんだな」
「えー。誰にでも優しくないですか? めっちゃ美人ですし」
「少しだけ掴みどころがないけどな」
「そんなイメージはないですね」
「あいつは役者だから。色んな面があるんだよ」
「三井先輩のこと、詳しいんですね」
新田先輩は虚を突かれたように、目を大きくした。
●
新田先輩と部室に向かった。収拾がつかないようなカオスな空間だったらどうしようかと、危惧していたが、輪島先輩と渡辺くんしかいなかった。これはどう判断したらいいのだろうか?
「お、新田と野原か。今日はとりあえずお開きだ。明日はわからん」
輪島先輩は照明、音響、小道具まで担当するスペシャリストで渡辺くんはそのサポートをしている。二人の様子から察するに、演劇部はこのまま解散もあるかも知れない。
「言い争っていた二人は?」
「さあな。二人で教室に出てってから見てない。悠木と三井が一緒じゃないのか? 今日は休みだって伝えたいんだが」
新田先輩と輪島先輩が話していると、楠木先輩と榊原先輩が部室に戻ってきた。楠木先輩は、破顔する。
「いやはや。練習再開だ。野原、悠木と三井に連絡をつけろ」
「は、はい」
どうやら私の無給労働はここからのようだ。
●
練習が一通り終えると、私は楠木先輩の元に向かった。総監督は忙しそうでパソコと携帯端末を操作していた。
「ちょっといいですか」
「なんだよ。今日はもう帰ってもいいぞ」
楠木先輩は気だるそうに言った。
「もう少しみんなと仲良くできないんですか! 喧嘩ばかりで見てられません」
「そうは言われてもな。多少は衝突もあるだろう。みんな本気なんだから意見がぶつかり合うのは悪いことではないと思う。それとも君は今日はあれの日か?」
楠木先輩のデリカシーのない発言に私は机を両手で強く叩いていた。机が揺れて、積ん読されていた本が床に散らばる。私の感情が逆転した。
「楠木先輩ごめんない」
「いい。大丈夫だから」
私は本を拾って机に積んでいく。その中には台本が混ざっていて、とあるページに学校のプリントが挟んであった。私はそのプリントを広げる。古い情報が記載された意味を持たない紙切れ。だけど裏には新たなに印刷された不気味な文章があった。『お前の罪を知っている』『中止しなければ演劇部は崩壊させる』とか脅迫めいたことが書かれている。
「なんですかこれ?」
「これは劇で使う小道具だよ」
「なるほど」
私は納得していた。邪魔をしたいなんて悪意はなかったが、結果的に邪魔したみたいになったので、今日はこのまま帰宅することにした。
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