第38話 千載一眩

 沙智の後輩がずっと来てみたかったというレストランは、フロアのスペースに対してテーブル数が少ないゆったりしたお店だ。


 なんだか高そうなところ。


 外観を見たときから持っていた印象を、店内に入ってさらに強めた沙智は、席についてメニューを開いたときに思わず口をあんぐりと開けそうになった。


 すぐさま自分の後輩へ視線をやると、彼女は暢気に「フォアグラがあるー」などと目を輝かせている。


 なんか、あれね。若いって強いわ。


 奢ってもらえることを見越してこんなお店を選べる彼女の女としての自信に沙智はため息が出そうになる。


「とりあえずなにか飲み物でも頼みましょうか」


 相手側の後輩がドリンクメニューを手渡してきたのに礼を言い、これも戦々恐々と開いて目玉が飛び出しそうになり息を整える。


 この中から私は何を選べばいいの。


 沙智の感覚からすると桁が一つ多い横文字ばかりが並ぶメニューを呆然と見ていると、横から大きな手がすらりと表れてメニューの一点を指し示した。


「このワインが美味いですよ。俺はこれにしますけど石田さんもそうしませんか? 赤は飲めますか?」


 視線を上げると人懐っこい笑顔。


「じゃあ、それでお願いします」


 本当にお酒が好きなんだな。すごく詳しい。


 前回の焼き鳥屋でも日本酒に対する造詣の深さに驚かされたが、ワインまで網羅しているとは。


 沙智の後輩にも彼女の好きそうなお酒を一緒に選んであげている彼を見て感心しながらドリンクメニューを静かに閉じる。


 そうして始まった食事会は合コンの時と同様、終始明るい雰囲気で進んだ。


 若いほうの彼は沙智の後輩の気を引こうと必死なのが見え隠れして見ていてなんだか微笑ましい。彼女もまんざらではなさそうだ。


 やっぱり彼の方が優勢かな。


 思いながら隣を横目で見上げる。隣の彼も話は上手いし、沙智にも後輩にも気を使ってくれるのだが、若いほうの彼と比べるとだいぶ押しが弱い。というよりもあまり本気で彼女のことを落とそうとしているように見えない。


 この人、本当は南さんにも大して興味ないのかな。


 もやもやした思いを抱えながら沙智は目の前に出されたお上品で味気ない何とかの何とかソース掛けとやらにフォークを突き立てた。


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 四人での食事会が突然終わりを告げたのは沙智がお手洗いに立った後だ。席へ戻ると若い二人の姿が消えていた。


「あれ? あの二人は……?」


 まさか、と驚いていると残されていた相手が沙智を見つめて穏やかに笑う。


「二人きりになりたいからと先に出ました」


 ええ、そんな唐突な。


 呆気にとられて立ち尽くしていると、彼が沙智のバッグを手に立ち上がった。


「俺たちもそろそろ出ましょうか」


 彼に促されるまま店を出てすっかり暗くなった通りをゆっくり歩く。日が完全に落ちても蒸し暑さは健在で、沙智はうんざりしながら額を拭った。


「あの、そういえばお会計……」


 しばらく歩いてからはたと気づき、慌てて鞄から財布を取り出す。が、彼の手がそれを遮るように沙智の手を握った。


「いいんです。今日は無理に付き合わせてしまったので俺たちに任せてください」


 任せてくださいと言われても、あんな高いお店で満腹になるまで飲み食いしたのだ。相当な額だったに違いない。


 後輩ならまだしもついでに誘われた自分までのうのうと奢られていいものだろうか。


 心苦しく思いながらもう一度彼を見上げると彼は衒いがない笑顔で沙智の視線に応え、沙智の手を握ったまま歩を進めた。


 え、うわあ、手!


 内心の動揺を見せないように無表情を装いつつもどうしていいかわからずただ黙って彼についていく。


「さっき言っていたお連れしたいお店なんですけど、いつがいいですか?」


 尋ねられたところで急に冷静になり、沙智は不思議な思いで彼を見上げた。


 この人は本当に私に興味があるのかしら。


 レストランに行く道すがら、彼に次のデートを仄めかされた時から食事の間も沙智は冷静に相手の様子を観察していた。しかし彼が自分に特に興味があるようにも思えない。


 振る舞いは紳士的で気遣いは感じられるものの、彼の優しさは沙智の後輩にも同じように注がれていた。


 まるで女性にはそう振舞うことが当たり前になっているようで、そこに特別な意味はないように思える。冷静に観察すればするほど彼の態度はなんだか腑に落ちない。


「どうかしましたか?」


 黙り込んでいた沙智の顔を覗き込むように彼が首を捻ったのを見て、沙智は慌てて「いえ……」と口ごもる。


「あの、ただ……、賢木さんはあまり私に興味がないのかと思っていたので」


 ストレートにそう思いを告げてみると、彼は一瞬だけ目を見開いてから何かを考えるような顔になった。


「すみません、こんなこと……」


 いきなり核心を突きすぎたかもしれない。


 別にこの年齢になれば恋心がなくとも何となく合うからという理由で付き合う人もいることは沙智にも分かっている。


 自分は何をそんなにこだわっているのだろうか。気まずく落ちた沈黙に目を伏せると繋がれたままの彼の手が視界に入る。と、彼が握る手の力を強めた。


「そうですね。確かに最初のデートはそこまでの熱意で誘っていたわけではありませんでした……。でも焼き鳥屋でご一緒してから、今のお話でもそうですけど、石田さんのその冷静さというか相手に流されない、落ち着いた雰囲気に惹かれています」


 そう言って立ち止まった彼につられて視線を上げると、彼の目が沙智の目を真っすぐに見据える。


「俺は感情表現が苦手な人間なのでわかりづらいかもしれませんが、もっとあなたのことを知りたいと思っているのは確かです。これから、お互いのことをもっと知り合ってからでもいいので、俺とのお付き合いを考えていただけませんか?」


 彼の向こうに見えるネオンがやけに眩しく輝いて沙智の目を照らす。


 そういえば哲と最初一緒に行ったお店は、あんな風にネオンの看板が眩しいネットカフェだったな。


 目の前の彼の真剣な眼差しを受け止めながら、沙智の頭に浮かんだのは同居人の悪戯っぽい笑顔だった。

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