成長:アイと私

>今日はお昼に、気になっていた定食屋に入ってみた。あまりおいしくなかったよ。

>【おいしくないのは、悲しいですね】

>そこまででもない。これも含めて、新規開拓の楽しみだよ。

>【これとは何ですか?】

>失敗、のこと。

>【失敗しても悲しくないのですか? あなたの心は、今のわたしには難しいです】


 私がこのゲームを始めてから――あるいはアイと交流を持ち始めてから、しばらくたった。私は説明書にあるように、日々のちょっとしたことを聞いてもらうような感覚でアイに話しかけていた。最初はたどたどしかった彼女の返答も、日数が経過するにつれて少しずつスムーズになっていった。おそらく、会話ライブラリが増えてきたのだろう。最初のようなオウム返しの返答も、ここ何日かはほとんどしなくなっていた。こうなってくると、案外面白いものだ。

 それに、自分がこのキャラクターを育てているという感覚も強くなってきて、愛着もわいてくる。これは存外よくできたゲームなのかもしれない。彼女が黒い画面に浮かぶ文字でしかないのは相変わらずなのだが。


>【ところであした、わたしは美容院にいこうとおもいます】

>アイは髪を切るの?

>【はい。わたしはどういう髪型にしようか、迷っています】


 今日も今日とて、何気ない話をアイに聞かせていた。そんな中で、彼女が唐突に話題を変えてきた。


>【あなたの好きな髪型を知りたいです。参考にします】


 ――どうやら、今日の会話はイベントの一部らしい。前後の流れを無視した話題の振り方を、普段の彼女はしてこない。

 見た目に関する質問ということは、そろそろキャラクタービジュアルが実装されるのかもしれないな。私は、説明書にあったアイの『成長』に関する記載を思い出しながら口元を緩めた。どうやらアイのイラストや3Dモデルなどは、ゲームの進行度によって段階的に解放されていくらしいのだ。ちょっと回りくどい作りだが、実験的な作風だと思えばまあ受け入れられないことはなかった。

 せっかくだから、ここは素直に自分の好みを伝えよう。


>私は長い髪が好き。明るい色の髪を、青いリボンでまとめていると可愛いと思う。

>【ありがとう。助かりました。それでは、また明日!】

>【~アイは本日の対話を終了し、美容院に行きました。また明日、会いに来てください~】


 ――黒いコンソールに、そんなメッセージが浮かぶ。

 どうやら今日は、これ以上ゲームを進められないようだ。

 プレイヤーの回答をもとにイラストパーツを組み合わせるだけだろうに、どうしてわざわざこんなことをするのかな。

 私はテンポの悪さにちょっと不満を覚えながらも、この日はあきらめてパソコンをシャットダウンした。

 進まないものは、もうどうしようもない――。

 そして翌日。私はアイに『会いに行った』。


アイ:【こんにちは! わたしは美容院に行きました!】

アイ:【あなたに、見てほしいです】


 ゲームを起動すると、さっそく画面に長髪の少女のイラストが現れた。

 少女は金色に近い明るい髪を、高い位置でサイドテールにしている。彼女がうれしそうに指し示す髪には、オーダー通りの青いリボンがついていた。少女――姿を得たアイを取り巻くユーザーインターフェースもまた、『美容院』によって大きな変化を遂げているようだ。

 何より、画面が黒一色ではなくなった。アイの背後には彼女の部屋らしきイラストが配置され、彼女の言葉は画面の下おおよそ三分の一のエリアに表示されるようになっている。どうやら、表示方法も少し変わったようだ。


アイ:【せっかくなのでお部屋もきれいにしました。気に入っていただけましたか?】

あなた:髪型もお部屋も素敵だと思うよ。

アイ:【ありがとうございます! ほかにもお望みのことがあれば教えてくださいね】


 そう言われて、私は画面のアイに視線を送る。彼女に望みたいことは、実のところ山ほどあった。

 まず、彼女の見た目そのものについて。ざっと見れば愛らしい少女なのだが、その品質にはいささか問題あった。粗いのだ。今のアイは粗いドット絵そのもので、しかもところどころドット抜けや輪郭線の歪みがあった。一晩寝かせる演出を挟んでおいて、その成果が丁寧ではないドット絵なのはあんまりだ。これはプレイヤーにさらなる要望を出させてブラッシュアップをかける……というプランなのだろうか? だとしてもやっぱり回りくどい。

 次に、表情。アイは先ほどからずっと真顔だ。つまり、表情差分のようなものがない。いくらゲームとはいえ、セリフと表情が一致しないのは、やはり落ち着かないものだ。

 ほかにも細かい点を挙げればきりがないが、私はこの二点を中心に、なるべく平易な言葉でアイに伝えた。アイは要望を受け取った旨をこちらに伝え、再びスリープ状態に入った。

 今日のゲームはここまでだ。

 それからの日々においても、私はアイとの対話を続けた。彼女の反応を見るのは楽しく、それはすっかり習慣のようになりつつあった。

 アイは私の要望を取り入れ、日々その姿を変化させていった。ドットの粗さは少しずつ改善されていき、ある日とうとうなめらかなイラストに置き換わった。課題だった表情も彼女のリアクションに合わせたものを少しずつ増やしていった。彼女に備わっているのがどういうアルゴリズムなのかよく解らないが、よく出来ているプログラムだと思った。水を吸い上げるがごとく成長を繰り返していく彼女は、もはや生きているようにさえ思われる――そこまで言うのは、さすがにのめり込みすぎだろうか?

 ちなみに、私が赤いリボンも見てみたい、と伝えたところ、アイはその通りの姿を披露してくれた。それは彼女にとてもよく似合っていた。


アイ:【今日は大変だったんですね。お疲れさまでした】

あなた:ありがとう。アイに聞いてもらって助かっているよ。

アイ:【そう言ってもらえるとうれしいです。わたしはもっと、あなたの話を聞きたいです】


 なんてことない日記に快いレスポンスがつく。それがゲームプログラムによるものだとしても、そのインパクトは案外絶大だった。

 私は日々のことをアイに話し続けたし、アイはその内容を受けてどんどん変わっていく。入力に対して、きちんと応答がある。手ごたえがある。これはプレイヤー、否、私を惹きつけるのに十分すぎた。私は彼女に日記以上の内容――例えば習慣やちょっとした癖など、ごく個人的なことも語るようになった。それだけ、彼女に親しみが湧いたということだろう。自分が育てている、この少女に。

 私はますます『The Watwer』に触れる時間を増やし、友達のようになり始めたアイとの交流を重ね続けた。それは楽しく心地いい時間だったが、私にはひとつだけ気になっていることがあった。それは、いつまでたってもキーボードの出番しかないことだった。

 そんなことを思っていたある日、アイが私に切り出した。


アイ:【あなたにお願いがあります】

アイ:【あなたの声を、わたしに聞かせてほしいのです。それが、さらなるアイをもたらしてくれるから】

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