美男子名探偵、英国を征く

白兎追

美男子と美女

 長く続いた鎖国と侍の時代が終わり新時代を迎えた時、明治政府がもっとも注力したのは、世界の中での日本の立場を引き上げることだった。東洋の小さな島国と見下されないために、そして欧米列強と肩を並べるために行ったことの一つは、海外への留学の奨励だった。政治、科学、医学、法律、建築……ありとあらゆる分野で見聞を深めるため、日本の若者は欧米を目指した。

 旧松前藩、勘定方の孫に生まれ、今は士族の次男、赤松十次郎もその一人だった。彼は明治政府の援助のもと、英国のオックスフォード大学にて洋式の建築技術について学び、それらを逐一日本へと報告していった。実際それらの報告は、政府の役人たちに留学費用に見合っただけの効果をもたらしたと確信させるものだった。新生日本国からすれば赤松十次郎はよき留学生であり、日本の誇りであり未来への礎だった。

 だが英国の人々からすると、別の見方があった。まず第一に彼はあまりに容姿が美しかった。東洋人を見下していた英国の人々からしても、息をのむほどに。黒く艷やかな髪に陶器のような肌、どこか憂いを帯びた瞳。世界一マナーにうるさい英国の白人淑女たちといえども、彼をみるときは頬を赤らめずにはいられなかった。上流階級の淑女たちは十次郎について話す時、なんとも言えない意味ありげな視線を交わすのだった。

 そして第二に、彼は名探偵だった。


「ターナーさん、客は断ってくれと言ったでしょう」

「そうは言いますけどね、十次郎さん。それはそれはお美しい方なんですのよ。そんな方に真剣な顔で頼まれたら、断るのが申し訳なくて……」

「ふんっ。どうせ厚化粧をとったら、皺だらけシミだらけの婆さまでしょう。ダンスの相手をする気にもなりませんね」


 十次郎はいま、大学近くのある家で下宿をしている。家の主は未亡人のターナー夫人。すでに初老の年頃だったが、この若く美しい日本人の世話をするのを楽しんでいた。ターナー夫人の家は大通りから少し外れており、普段、人の気配はほとんどなかった。事件の依頼人を除いては。


「申し訳ありません。突然お伺いしたりして……ただどうしても聞いていただきたい話がありまして」

 

 突然の言葉に、十次郎が間借りしている部屋の入口に目をやると、一人の白人女性がうつむき加減に立っていた。カールした金髪を可愛らしく結っていたが、顔は青ざめており長い睫毛に縁取られた目は伏せられていた。


「やれやれ。まさかここまで来て追い返すわけにもいかないでしょうね。ターナーさん、紅茶を二つお願いしますよ」


 そう言うと十次郎は肩をすくめ、来客に対して椅子を勧めた。だが優雅な物腰に反して、十次郎はいささか面食らっていた。今まで自分に見つめられてうろたえなかった女性は一人もいなかったのだから。


「それで話というのは? まさかダンスの申し込みじゃないですよね?」


 これまでに二度、十次郎は妙齢の白人女性からダンスを申し込まれていた。一度は引受け、一度は断っていた。


「違います」


 そう言って首を振ると、金色の巻き毛が軽やかに揺れた。十次郎が間借りしている部屋はそこまで広くはなく、いたるところに書籍やら科学実験の道具、釣り竿、日本刀などが置かれていたため、彼女の座った椅子は十次郎のすぐ目の前だった。


「私の名前は、アンナ・ジェイコブズ。アメリカ人です」


 道理で英国女性にしては、いささか派手な色のスカートを履いているわけだ。十次郎は内心頷いた。レースをふんだんに使った最新モデルのドレスで、胸元には5粒のオレンジの種をあしらったブローチがついている。

 ターナー夫人が紅茶を持って部屋に入ってきたが、テーブルの上にはこれまたペンやらメモ用紙やら本やらがたくさん置かれており、紅茶の置き場にターナー夫人は四苦八苦する有様だった。

 紅茶を置いてターナー夫人が部屋を出ると、アンナはおもむろに話し始めた。


「ご相談したいのは、父の身に起きたことについてなんです」

「お父上の?」

「はい。なんとも不可解な出来事でして。あなたなら真相を解明できるのではないかと」

「その前に一つお伺いしたいのですが、アメリカ人のあなたがどこで僕のことを知ったのですか? 昨夜この国に来たばかりで、もう社交会デビューでもないでしょうし」

「知り合いがこちらで貿易商を営んでまして……」


 そこまで言ってからアンナはハッとした表情をみせた。


「なぜ私が昨夜ついたことをご存知なのですか? まだあなたには話してなかったと思いますが」

「あなたのくるぶしについてる泥ですよ」


 十次郎はアンナの靴を軽く指差した。


「その赤みがかった独特な泥はアレグレテ港特有のものです。もしもっと早い時間に到着していたなら、きっとホテルに頼んで泥を落とさせてたでしょう。ただ到着が夜だったので泥を落とすよう手配する時間がなかったのでしょうね」


 アンナは文字通り目を丸くした。


「驚きましたわ。本当に名探偵なのね」


 十次郎は何も言わなかった。別に大したことではない。ほんの少しの観察力と推理力があればわかることだ。


「でもこれで安心してご相談できますわ」


 そう言ってニッコリ笑うとアンナは話しはじめた。




「私どもは先祖代々、アメリカのミシシッピにて綿花農園を営んでおりました。二十年前の南北戦争に負けて綿花農園の大部分を消失しましたけど、まだ宝石やら貯金やらはいくらか残っていますから、何とか生活はできていました。この間までは。一年前、父は黒人の使用人を一人連れて会合にでかけました。行き先は馬車で15分ほどのところにある小さな小屋です。なぜそんなところに行こうとしていたのか分かりません。ただ次の日になっても父が帰宅しませんので、人をやって探しましたところ小屋の中で父と二人の人が正気を失った状態で発見されたんです」


 そこまで言って、アンナは目に涙をためた。


「しかも悪いことに父は宝石を一つ持ち出していたんです。【王家の涙】と呼ばれるルビーでして、我が家の資産の3割を占めるほどの価値があるものなのですがこれを盗まれてしまったのです」

「それは大変でしたね」

「黒人の使用人は消えていました。馬もいなくなっていました。それで使用人が宝石と一緒に逃げたかと思ったのですが……私にはどうもそれは違うような気がしてならないんです」

「どうかしたのですか?」

「これを読んでください」


 アンナは一枚の紙をとりだした。

 それは州政官への報告書だった。


「父が発見された時の様子について書かれたものです」


【アンナ様のご命令で、ジョージ・ジェイコブズ様の馬車の轍を追いかけていきましたところ、一軒の小屋に辿り着きました。ドアを開けて部屋が一つしかないような小屋です。そばには馬のいなくなった馬車があるだけでした。ドアを開けたところ、凄まじい悪臭がしました。硫黄のような吐き気のする煙が充満していたのです。小屋に窓はありませんでしたが、煙がランプの上の煤から出ていることが分かり、私はすぐにランプを投げ捨てました。煙がはれてくると男性が三人横たわっているのが分かりました。服装から一人はジョージ様だと気づいたので、すぐに駆け寄り何があったのか聞きました。『ランプ……煙……悪魔……』そう呟くだけでした。どんどん目が見開かれ、汗が滝のように流れていくので、私はとにかく話かけ続けました。そうしないと今にもジョージ様が壊れてしまいそうな気がしたのです。『部屋にいた人間はこれだけですか? 三人だけなのですか!?』そう聞くと、『部屋にいた人間……三人だけ……私、マーク、あとはアントニー……』それだけ言うと、ジョージ様はけたたましい声で笑いだされ、あとはもう何を言ってもまともな返事はありませんでした。

証言者 ジェイソン・ハガード(ジェイコブズ家の馬番)】


【小屋で発見されたジョージ氏、マーク氏、アントニー氏、いずれも正気を失っており回復は不可能とと思われる。要因は外部からのものと思われる。部屋の中のランプの煤からの煙が原因と考えられ、現在検証中だが、その正体は不明。

証言者 ライアット・スープ(医師)】


【現場の状況、及び馬番、医師の証言から推測するに、事件当日ジョージ氏、マーク氏、アントニー氏の三人は小屋にて何らかの秘密の会合を開いていたと思われます。その間、黒人の使用人は外で馬車の番をしていたのでしょう。三人の中の誰かがランプに細工をし有毒な煙が発生したため、あのような状態になったと考えられます。おそらく黒人の使用人は異変に気づき小屋の中に入ったものの、すぐに宝石だけ持って逃げたものと思われます。現在行方を捜索中です。

報告者 エリック・レリル(保安官)】


 十次郎は読み終えると、暫くの間天井を見つめた。それからアンナに向かって質問した。


「それであなたが腑に落ちない点というのは?」

「それは……全てです。だってこれではまるで、三人の中の誰かが残りの二人を道連れにしたようなものではないですか!? しかも殺すのではなく正気を失わせるなんて! 父がわざわざ宝石を持っていった意味も分かりません」

「なるほど、確かにね。では、いくつか質問させてください」

「ええ、どうぞ」

「まずはあなたのお父上と一緒に倒れていたというマーク氏、アントニー氏について教えてください」


 アンナは少し考え込んでから口を開いた。


「マーク・スペンサーさんは私どもの隣で大麦農園を経営されています。いえ、いましたというべきでしょうか? 南北戦争で負けて以降、奴隷はみんないなくなり農園もかなり焼けてしまったそうです。今は鉄道会社への投資でなんとかお屋敷を存続させています。ご本人は昔はとても狩りの好きな方でしたけど、今はすっかり老け込まれてしまわれました。父とは家が近いこともあり、度々会っていたようです。小屋からはかなり近くにお屋敷があるので、歩いてきたのだろうということでした」


 アンナは紅茶を一口飲んだ。


「アントニー・ボルドーさんについてはよく分かりません。マークさんのお知り合いのようでした。ただ父やマークさんよりずっと年齢は若いようでした。アントニーさんはマークさんのお宅に滞在されていて、一緒に来たようでした。」

「いなくなった黒人の使用人というのはどんなタイプなんですか? 未だに居場所は見つかっていないんですよね?」

「名前はサムといいます。南北戦争後はリードモフという名字を名乗っています。庭仕事や郵便の配達なんかに使っていますけど、あまり賢い人間とは思えません。単に字の読み書きができないとかいうだけでなく、なんというかヌケているんです」

「というと?」

「私が子供の頃、学校までの送り迎えはサムの仕事でしたが、教室の入口で転んでみんなに笑われるわ、よく私の教科書を落とすわで……」

「お宅に今、サム以外に黒人の使用人はいますか?」

「いいえ。戦争が終わって農園がつかえなくなると、サム以外みんな出ていきました。馬番のジェイソンと料理女のメアリーはどちらもアイルランド出身の白人ですし……」

「では最後に、あなたのお父上について教えてください」


 アンナは少し目を細めたが、決して泣きはしなかった。


「父は……父はとても穏やかな性格でした。私が幼い頃に南北戦争に負けて財産の大部分を失い、失意から母が病気でなくなっても決して自分を見失いませんでした。アフリカから宝石を輸入しその売買で屋敷を維持し、そして私を育ててくれましたの」


 アンナはそこでクスリと笑った。


「アフリカから輸入した様々な植物の根や種にラベルをつけて、小さな小箱に分類するのが父の唯一の趣味でしたわ。まるで植物学の博士みたいに。私なんかとても読めないような細かい字で、生息地やら何やらをつらつらと」 


 今度はアンナの目にうっすらと涙が滲んだ。

 十次郎はまた天井を見た。

 見続けていた。

 いつまでもじっと天井を見ている十次郎に、アンナが訝しげな視線をよこす。


「アンナさん」

「はい」

「一緒に釣りでも行きません?」

「はい?」



                  続く

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