脳の中のフロイト

水銀コバルトカドミウム

脳の中のフロイト

父は常に厳格で、僕に少しの娯楽も与えなかった。

無味乾燥で勉強漬けだった小学生の頃、友人宅で見せてもらった映画「スターウォーズ」は心に潤いをもたらしてくれた。

単純にストーリーを追っていくだけでも面白かったのだが、調べてみると物語には常にメタファーが隠れているようなのだ。

特にスターウォーズは神話の構造を基として作られていて、そこには父殺しがある。

それを深掘りして行った僕は、フロイトに出会った。


ヒステリーは女にのみ起こる存在で女は劣った存在である。

そんな風潮を吹き飛ばし、男性にもヒステリーが起こる事例を報告した、当時にしては開明的な人物なのだが、小さかった僕の脳にはその真逆のフロイトが宿った。

少しでも卑猥なもの、官能的なものが連想される存在を見ると「それは女体の暗喩だよ」と髭をはやしたあの白人男性が笑いかけてくるのだ。

彼はそんな人間では無い。

今は流石にその理論は古く男性主義的とされるけど、真面目に心理学に取り組み人類に貢献したんだ!と何度脳に言い聞かせても、脳の中の彼が消えることは無かった。


父の教育はある面では成功を収めたようで、中学高校大学を経て僕は官僚になり、しばらく国に仕えてから退職。

与党から支援を受けて衆議院選挙に立候補することになった。

失敗したのは僕の人格形成においてであり、30数年間の中で刎頸の仲になったことが無いこと。

女性との関係を持てなかったこと。

何よりまだ脳の中でフロイトが笑っている事が問題なのだ。


当たり前かもしれないが選挙に立候補するのは大変な労力を要する。

連日選挙区を巡り、候補者に会い、マスコミの取材に答える。

いい顔をするのは慣れていたつもりだったが、あまり才能は無かったのかもしれない。

官僚も激務だったが、個人としてはこちらに軍配が上がる。

腐心の末、何とか当選し祝勝会となった。

だが、気を抜いてはいけない。

これまで応援してくれた人達と有権者の皆様へ意思表明をしなければならないのだ。

知名度だけのタレント議員でも無ければ血筋だけの二世議員でもないから偏見の目はこちらに向きにくい。

出来るだけ恨みを買わず当たり障りの無い事を言えばいいのだろう。

父に起因してその能力には自信がある。

それと、それっぽい故事でも入れれるとスピーチの中身のなさを煙に巻ける。


万歳三唱と、なんの意味も無いダルマに目を描く儀式も済んだ。

拍手が止み、カメラのフラッシュが焚かれる。

「皆様。ご支援誠にありがとうございます。

皆様のお陰で当選となりました。

勿論、ここをゴールとせず、老子のように小鮮を烹るような国作りの為に邁進して参ります」

あまり長いと興が削げる。

これくらいにしようと思ったら、突然脳の中のフロイトが目覚めたのだ。

普段は頭痛薬を飲むと症状が収まるのだが、もう既に服用済み、疲れがピークに達したのだろう。


「達磨ってそういうジャンルみたいでエッチだよね」

ここを選挙カーの中だと錯覚して、耳打ちと勘違いして、思わずフロイトが言ったことを復唱してしまった。


その場の空気は当然凍りつく。

しばらくして、取材陣が一斉に今の質問の意図を聞き出す。

混乱から

「幼少期から脳の中にフロイトが巣食っていて選挙中の疲れから思わず口走ってしまった」と返答する。

燎原の火のように活気付くマスコミ。

当たり前だ。

政治家を見てどうしてあんな馬鹿な答弁をするのだと思っていたが、脳を介さず脊髄で会話すれば当然こうなる。

「取材は以上です。報道の人は下がって」

秘書達がマスコミを何とか追い返しその場を収攬させた。

党からお叱りを受けてその日は終わった。


連日マスコミが取材に来る。

ワイドショーやネットは僕の事を取り上げて「達磨に興奮する異常性癖フロイト議員」と面白おかしくネタにした。

選挙の疲れから憔悴してる上に、何をするにしても彼らに取り囲まれ辟易としているからか、冷静さを失った僕は「このマスゴミが!」と怒鳴ってしまった。

それが全ての始まりだった。


その場にいた彼らは全てゴミに変わってしまったのだ。

こんな事が起こるはずも無い。

僕は考えられる全ての可能性を疑い、次々と向かってくる報道陣を使って対照実験を行った。

結果的に僕には比喩を現実にする能力があったようだ。


自分の能力に気付いて一週間。

ここはだいぶ暮らしやすい国になった。

僕の事を追ってきそうな警察は全て犬になってもらった。

脅威になりそうな軍隊は釘(いい鉄が釘にならないようにいい人間は軍人にならない)と暴力装置(マックス・ウェーバー)にした。

利権を貪るだけの無能な議員達は寄生虫になったし、マリトッツォを食べて国民人気回復を企図した総理は首から上が大きなマリトッツォになった。

あの姿のほうが人気も出るだろう。


大国の介入が面倒臭いのでアメリカは国土全体を大きなサラダボウルにしたしロシアは全国民を熊にした。

まだ日本にも暫定政府はあるようで子供の兵士をこちらに向かわせて来たが、全て宝に変質させた。

この国難の時代。

もはや宝よりも子供のほうが重要だけど歯向かってきたから仕方のない話だ。

脅威が無くなったあと、全盛期のモンゴル帝国のように好きなだけ略奪をした。

抵抗する日本人はバナナや日本猿に変えた。

チンギスハンもきっとこんな美味しい思いをしていたんだろう。

チンギスは人妻を奪うのが好きだったと聞いたが、実際にやってみるとそんなに気持ちよくはなかった。


好きなだけ暴れて、犯して、立ち向かってくる相手もあまり見なくなった頃、両手を上げた男達がこちらに向かってきた。

男なら価値らないし、日本人なら次は茹でガエルに変えてやろう。

ゆっくり近付いてくる。

今まで抵抗してきたのはこちらに殺意を向けた屈強な者達だったが、これは闘気も無いし何より弱そうな爺さん達だ。

もう片方はフードを被って居たが、肌を見れば分かる。


「あんたが元凶だよな。話は聞いてる」

声に凄みは無い。フードの方は黙ったままこちらを見ている。

「だったらどうした?」

「私はスクールカウンセラーをしていた。

あんたを倒す秘策がある」


スクールカウンセラー……。

一度だけ世話になったことがあるが、的外れな事を言われたし、無能という印象しか無い。

何より相手は降参の意を示すポーズのままであるし、結果は見えているだろう。

「俺を倒すだって?そんなの、勝てる訳ねぇに、決まってるだろ!」 

僕は片手を上げて相手を茹でガエルに変えようとする。

もう一人の老人がフードを脱ぐ。

そこには父の顔があった。


その刹那、大量の鋏が顕現して、僕の股間に向かって飛来する。

男性器が切り取られ、辺りは血に塗れた。


「父親との不和で起こる去勢恐怖だ。

君の生い立ちを調べさせてもらった。

……辛い一生だったね。」

痛みに耐えるのに必死でカウンセラー様の御高説が耳に入ってこない。

二人の老人は哀れんだ目でこちらを見る。

カウンセラーが隠し持っていた銃を取り出す。

銃口はこちらを向いていた。

引き金は引かれるのだろう。

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