24  鞍楽トランスフォーメーション

 ここは弦月ハガスサラの城のある場所から南にある、ホスタイという名の地方だ。

 辺りは夜の闇に包まれた。

 焚火が爆ぜる音が、時々聞こえる。

 トゥヤは、叔父、赤金斧ゼフスフ公ドルジの返答を待った。


「――ナラントゥヤ、おまえも、すぐに成人だ。帝に謁見のお許しを願い出ておいた。鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の名代として参内さんだいし、おひめさんとの婚約を願い出るがいい。おまえの後見人はオレだ。おまえ帝に忠心を誓え」

 ドルジは、焚火をみつめたままだ。


「父上は」

「さぁな」

「父上と何の言い争いをなさったのですか」

「兄上の気まぐれ病だ。どうやら海風に当たり過ぎたらしい。少し休めと言っただけだ。その間、ナラントゥヤ、おまえが名代みょうだいとなれ」

「……」


「スゥプ、お代わりください」

 真白月ましろつきが空になった木の椀を、隣にいる兵士に差し出した。

 警護のための兵士だが、断り切れず椀を受け取った。


「ずいぶん、食べるにきゅうしていたのか? おひめさんは」

 ドルジは、真白月ましろつきの食欲に驚いている。

 この時代の女は腹七分目を美徳とし、特に男の前では食べなかった。下位の身分の女さえ、そういう傾向がある。


「こういう人です」

 トゥヤが、フォローになっていないフォローをした。


「――わ、たしが元気でいることが、よいことなのだと、おんじぃは言っていました。だから、『〈外〉に出て、心がよろこぶことを、みつけてきなさい』って。ロク、は、哀しみも見ることになると悲観的だったけど――」



 そのとき、野営地の隅で、わっと兵士が声をあげた。

 突然、一陣の風が吹いたのだ。


 見張りの兵士は信じられないものを、見た。

 それは、馬にしては獰猛どうもうで、熊にしては俊敏しゅんびんな黒い闇のような、影のような。


闇獣ハランホエン!」

 誰かが、声にならない声をあげる。

 伝説の魔獣だ。闇夜に人を襲うという。


 兵士たちは蹴散らされ、は迷いなく野営地の真ん中に向かう。


 タープは前脚で倒され、焚火の炎の前に、銀に輝く魔獣は前脚をあげて立ちはだかった。


 ドルジは、折りたたみ椅子から転がり落ちながら、腰の剣を抜いた。

 トゥヤは、真白月ましろつきをかばおうと。

 が、真白月ましろつきは、そこにいなかった。


 ふりかえったトゥヤが見たのは真白月ましろつきが、に白い手を差し伸べている姿だった。


 

「――鞍楽クララ

 呼びかけた真白月ましろつきに、が前脚を下ろす。


「おっそろしい乗り心地だな! これ!」

 聞き覚えのある声がした。


 闇獣ハランホエンには青年が、ふたり、騎乗していた。

 すたん、と軽い身のこなしで、黒髪のほうが降りた。


「ユス先生!」

 トゥヤが駆け寄る。


 次に、銀の髪のほうが降りて来た。

日女ひめをさらうとは」

 ドルジを見つけると、星灰せいはいの瞳の怒りの色が、すさまじい。


「首、突っ込んできたのは、おひめさんのほうだ」

 ドルジは牽制しつつ、じりじりと距離を測っている。

「それはなんだ」

 ドルジはあごをしゃくって、真白月ましろつきのとなりにいる、バカでかい鞍楽クララを指さした。


 闇獣ハランホエン、だったものは皆が目を離したすきに、元の鞍楽クララのサイズに戻っていた。それでも、いくぶんはデカい。


「あー、鞍楽クララは、もともと戦闘型コンピューターで。トランスフォーメーションしたのが、さっきの型です。でも、通常時プログラミングされているのは保母型のはずなんだけど?」

 真白月ましろつきの説明を誰も理解できない。


日女ひめの緊急事態には、戦闘モードになるそうです」

 布留音ふるねが補足説明した。


がオレたちを置いていくからだろ」

 ユスが真白月ましろつきに突っかかった。

鞍楽クララ? も行くって言い出して。人目にさらしたくないから日暮れてからしか動けなかった」

 

「面倒くさいなーって、つい。ごめんなすって」

 真白月ましろつきは心から懺悔ざんげする。


「剣を収めよう。お互いに。オレの兵士を殺してないだろうね」

 ドルジが手本のように、剣を収めてみせた。

「今のところは」

 布留音ふるねが怖い。


「おひめさんはトゥヤの許嫁いいなづけとして、丁重に扱っている」

 それでも、ドルジの兵士たちは剣を構えたまま、遠巻きに囲んでいる。

 ドルジは右手を2回、ぐーと、ぱーを繰り替えして『大丈夫だ』のサインを出した。


「あなた方の、の争いに巻き込まないでいただきたい」

 布留音ふるねは怒っている。


「こっちだって巻き込みたくはないがね。こんな、おひめさんとか! あんな戦闘機馬とか! 少しは、こっちの身になってくれ」

 ドルジも切れかけた。

 それを見て、やっと、布留音ふるねも怒りのオーラを収めた。

赤金斧ゼフスフ公は何をお望みなのか」


「まぁ、なぁ」

 ドルジは苦笑いする。

 多くを望んだはずはない人生なんだが、と。


「オレも人の子だからね。金や権力に興味がないわけではない。だが、トップになって、いつも誰かに裏切られるのを心配する人生も、な。実質、豊かな田舎を統治させてもらって安泰あんたいに暮らしたいのさ。それをシドゥルグ兄は――」

 ひっくり返った折りたたみ椅子を直して、ドルジは座った。

「ここは全力で帝に忠義を誓うところだと言うに――」


 トゥヤとユスには、おぼろげにドルジの言いたいことがわかった。

 兵士が折りたたみ椅子を直して、足りない分を、また、兵士が持って来た。

 とりあえず、皆、座って落ち着くことにする。


「私が帝側につけば、鋼鉄鍋ボルドゴゥ家に、おとがめはないと? 父が生き残る道も?」

 トゥヤは、かしこい子だ。


「滅多なことを言うな」

 ドルジがトゥヤの肩を、いなすように、ぽんぽんと軽くたたく。

「ともかく帝に謁見えっけんする」

 次にドルジは布留音ふるねに向き直った。

「おひめさんと、その神官騎士殿。ここから逃げ去ってもかまわんが、その場合は即刻、帝に背く反乱分子とみなされる」


 ユスが言い添える。

「異教徒が弾圧されたのは過去のことだ。現帝は共存派だ。恭順の意を示せば今まで通りの暮らしができるはずだ」

「――それを。ユス先生が、帝にうまく言ってくださるんだろ?」

 ドルジは言い方は、含みがある。



「では、帝に謁見して、日女ひめと私は帰らせてもらう」

 布留音ふるねは譲歩した。

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