第25話 アオの島

 龍の爪から戻ってきた緋亜とレオンから龍神の言付けを聞いたアオは、神妙な面持ちで黙り込んだ。

 生まれ育った島に危険が迫っており、なおかつ、王位継承についての争い事が起きると。

 アオの島での記憶は、その殆どが座敷牢の中の景色だ。

 そんな中で、自分に島に対する愛着があるのかと自身に問えば、疑問が湧くのは事実だった。

 しかし、とアオは思う。

 脳裏に浮かぶのは、故郷の島での唯一の友人だった。巫女王の娘、姫巫女だ。

 彼女はよく自分を訪ねてくれていたが、その立場を考えてみれば、その行為は危険が伴っていたのではないか。

 今更ながら、そう思うのだ。それでも彼女はアオの元に通うことをやめなかった。

 彼女の力になりたい。

 アオは、心の底からそう思った。

 それに、母である巫女王にも会ってみたかった。

 実の娘である自分のことを、どう思っているのだろうか?

 聞くのが怖いような気がしたが、やはり訊ねてみたい問だった。

「どうする、アオ?」

 緋亜は、黙り込んだままのアオに訊ねた。その顔には、うっすらと寂しさが滲んでいる。

 もし巫女王の役を引き継ぐというのなら、アオは生まれ育った島に戻り、そこで暮らすることになる。

 アオは、じっと緋亜の瞳を見つめた。

「すみません、緋亜さん」

 言い、アオはいつものように控えめな笑みを浮かべた。

「うん」

 緋亜はそれ以上何も言えずに、アオに抱きついた。

「……父とに、怒られるかもしれないけど……」

 しばらくアオと抱き合った後、緋亜は懐を探った。

「これは……」

 アオは、言葉を失った。

「これは昔、父とが裏庭に埋めたやつだ」

 目の前に、以前レオンが護身用に持っていると語っていた銃があった。

「使い方は、私が教えます」

 傍らに立つレオンが静かな声音で言った。

 その切れ長の瞳をじっと見つめ、アオは言った。

「すまない、頼む」

 その金色の瞳には、強い決意の炎が揺れていた。


「なぜなんだ、説明しろ!」

 荒々しい怒声が広間中に響き渡った。

 巫女王の兄の叫び声である。

 その兄とじっと対峙する巫女王の後ろで、真っ青な顔の姫巫女を、その父と乳母が庇っている。

「なぜだ、今まで脈々と受け継がれていた巫女の力が、なぜ姫巫女にない! これまでは、いつかその力が目覚めるだろうと待っていたが、もう限界だ! このままでは、島が沈んでしまう!」

 兄の言っていることは、正しい。

「全ての責任は、私にあります」

 巫女王は静かな口調で、兄に向かって言った。

「力を持つ娘を産めなかったのは、私の責任……他の誰にも、非はありません。我が夫にも、我が娘にも……ですから、罰を受けるのは私一人で十分です。どうか」

 そう言い頭を深々と下げる巫女王の背中に、夫と乳母は涙ぐんだ。

 姫巫女の、実の父母だ。

「それに……私の力不足でこの島が沈んでしまうのならば、それが我が島の命運なのではないでしょうか」

「なんだと……?」

 兄は、妹の言葉に絶句した。

「お前は、島の民全員に、死ねというのか……」

「それが運命ならば、致し方ないかと」

 兄は傍らの刀の鞘を抜き、放り投げた。

 その刀は、硬い皮膚を持つこの島の民の皮膚をも傷つけられる、この島特有の玉鋼を鍛えたものだ。

 その切っ先を、巫女王に向ける。

「……正直に言え……姫巫女は、本当にお前の娘なのか?」

 床を見つめる巫女王は、目を見開いた。

「私の、本当の娘です」

 ガッと、巫女王の指先に刃が突き刺さる。

「力を持っていないのにか!」

「力を持っていなくても、この娘は私の大切な娘です!」

 キッと顔をあげ、巫女王は兄の瞳を睨んだ。

「私は……疑っている……あの、島外の男」

 兄は、心底嫌そうな表情をした。

「お前を誑かした、あの男……この島の者でもないくせに、王族に色目を使うとは……許せん」

「あの方は、私とは何の関係もありません。それにあの時、すぐにこの島からいなくなったではありませんか」

「私の手が届く前に、な」

 意地の悪い視線を、兄は妹である巫女王に向ける。

「もっと早く、始末しておけば良かった……そうしたら、無駄に疑わなくても済んだのだ」

 言い、兄はちらりと姫巫女を見る。

 嫌な予感が、巫女王を行動させた。

「……どけ」

 姫巫女を庇う乳母の前で両手を広げた巫女王に、兄は低く呟いた。

「どきません……誰かを斬らねば気が済まないというのならば、どうぞ私をお斬りください。島の民に、この島が沈むのは運命だから仕方のないこと、と言うこの私を」

 どちらにしても、と巫女王は続ける。

「私を斬っても、この娘を斬っても、島は救われません……」

 巫女王の言葉に、ぎり、と兄は唇を噛んだ。

 この身に、島を守る力があれば。

 己の無力さにも、兄は無性に腹がたった。

「私の気持ちが、お前にわかるか!」

 兄は叫び、刀を振りかぶった。

 パン、と乾いた音がした。

 かと思うと、ミシミシっという音が兄の耳に響く。

 今の音は……

 巫女王は、最初の音がした方を見た。

 そこには、大きな山犬と一人の娘が立っていた。

 アオだ。

 巫女王は、その姿を凝視した。

「なんだ、お前は! なんだ、これは!」

 兄は叫ぶ。

 その手も足も凍りつき、身動きが取れなくなっていた。

 アオはごく短時間のレオンからの教えで、銃を使っていた。

 アオがイメージできた水での遠距離攻撃は、これまで魚市場で見てきた、氷だけだった。

 だが、それだけで十分だ。

「間に合って良かった……」

 ほっとアオはため息をついた。

「アオ、大丈夫か?」

 傍らのリンが訊く。

「うん、あとは自分でやる。ありがとうリン、本当に助かった」

 微笑を浮かべて礼を言うアオに、リンは頷いた。

 アオは静まり返る空気の中、スタスタと歩く。

 そして、巫女王の隣に座り込み、その兄と向き合った。

「何者か、との問に答えます。見ての通り、私はこの島の民の血をひく者。そして、この島を救う力を持つ者です」

 アオはまっすぐに兄の瞳を見つめ、無表情で言った。

「な、なんだと……」

 突然現れた謎の娘の台詞に、兄は絶句した。

「姫巫女様が王家のお力を継承されなかったのが神の悪戯のように、王家の血を引かない自分がその力を持つのも、きっと神の悪戯なのでしょう」

 姫巫女は、アオの後ろ姿を凝視した。

 あくまで、自分が正当な跡継ぎであると言わないつもりなのだ。

 本当のことを言わなくては……

 しかし、動こうとする姫巫女を巫女王の手が遮った。

「突然現れた私の戯言など、とても信用できないでしょう。ならば、実際に私が龍の尾に力を注いで参ります」

 言い、アオは隣の巫女王に頭を下げた。

「本来、巫女王様がなさる神聖な行いを、私のような得体のしれない者が行うのは、大変恐れ多いことと思いますが……」

「いいえ……」

 巫女王はアオの手を取り、柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。あなたの申し出を受けます」

「巫女王!」

 信じられない、と兄が声を上げる。

「お兄様、この島の王は私です。聖域である、龍の尾に近づく権限は私にあるのです。その私が、許すと言っているのですよ」

 それに、と巫女王は言う。

「この娘の言う通り、この娘の力でこの島が平和を保てるのなら、お兄様の願いも叶うことになります」

「そ、それはそうだが……」

「行きましょう」

 まだ納得できない兄を尻目に、巫女王はアオの手を取り、歩き始める。

「あの氷は、すぐには溶けませんね?」

 歩きながら、巫女王はアオに問う。

「はい。あれは水の精霊に命じたものですから、私が再び命じない限り、溶けません」

 頷き、アオは答えた。

「私を……恨んでいますか……」

 ぼそり、巫女王が問う。

「……いいえ……私はただ、あなたに会ってみたかったんです……母というものがどんなものなのか知りたいと……ただ、それだけです」

 ピタリ、巫女王は足を止めて振り返ると、ぎゅっとアオを抱きしめた。

「……あたたかい……」

 アオは、その腕の中で呟いた。

 そのぬくもりは、今は遠くにいる緋亜を思い出させた。

「ごめんなさい……私は、あなたをずっと牢に閉じ込めてきました……さぞ、辛くて寂しかったろうに……」

 それは、巫女王がこれまでずっと抱えこんできた懺悔だった。

 確かに、寂しかった。悲しさを感じた日もあった。

 でも、とアオは思う。

「私には、大切な友がいます。それは姫巫女様です。そして、私にアオという素敵な名前をくれた、大切な人がいます。そして今、私はあなたの腕の中にいる」

 アオは、ほんのりと頬を染めた。

「私は、幸せです」


「地震……」

 ぐらりと、地が揺れた。

「地盤が……固定されていく……」

 巫女王ほどではないが、力を持つ巫女王の夫と兄にはそれがわかった。

「あの娘が言っていたことは、本当だったのだな……」

 すっかり気の抜けた、兄が呟いた。

 突然現れた娘が、巫女王の本当の娘であることは、夫にも乳母にもわかっていた。

「一体、何者なのだ……このような、怪しい術まで使いおって……お陰で体が凝ってきたわ……」

 未だ、兄は刀を振りかぶった姿勢のままだ。

「かの娘は、私の友です」

 姫巫女が微笑みを浮かべながら、巫女王の兄に向かって言う。

「たった一人の、私の大切な友なんです」

「……そうか……悪かった、そなたを疑ったりして……」

 兄は素直に謝罪した。

「いいえ、兄王様が真剣に島のことをお考えになられている証拠ですから……私の力不足が、本当に情けなく思います」

「姫巫女……」

「どうか私の友を、補佐として私の側に置いて下さいませ」

 姫巫女は、すっと頭を下げた。

「……うむ、そうだな……ひとまず、この氷をなんとかしてくれたなら、考えても良い」

 困ったように答えるその様に、姫巫女はクスリと笑ったのだった。

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