第15話 似た者同士

 ゼロがこの島を訪れた目的は二つあった。

 一つは、天使に不快感を与えた緋亜という娘に会うこと。

 そしてもう一つは、この島にしか自生しない毒草の解毒薬を探すことだった。

 緋亜と話をした翌日、ゼロは街の薬屋を訪ねていた。

 店内の棚に並べられた薬の種類は、さほど多くない。そこには薬だけではなく、砂糖や塩などの調味料やハーブ、子どもが遊ぶようなおもちゃなども並んでいた。

 島特有のハーブは数種類販売されており、それらの香りが混ざりあった独特な匂いが、店内に満ちている。

 そしてこの店の商品棚にも、この島にしか生息しない毒蛇、ダガをアルコールに漬けたダガ酒の瓶が置いてあった。

 蛇嫌いのゼロは、それに気がつくやいなや、サッと瓶から視線を外す。

「いらっしゃい」

 穏やかな笑みを浮かべながら、店の奥から主人と思しき人物が出て来た。五十歳代くらいの聡明そうな男だ。

「へぇ、こりゃ珍しいお客さんだ」

 ゼロの容姿を一目見た店主が言った。

 昨日から、ゼロが訪れた店全てでこの台詞を言われているので、ゼロはいささかそれに慣れてきていた。

「あの、この草をご存知ですか」

 軽く挨拶をした後で、ゼロは薬屋の店主に紙片を渡した。

 それは、かつて天使から受け取った報酬、つまりこの島にしか自生しない毒草について書かれた説明書だ。

 店主はゼロから受け取った紙片を目を通すと、神妙な表情になった。

「こりゃあ、あの山に生えてるやつだな。食べられる野草に似ていて、結構毒性が強いんだ。野草に相当詳しくないと見分けるのが難しいから、この島じゃこいつに似た草を採るやつはあまりいないよ」

 真面目な表情のまま、店主は紙片をゼロに返す。

「この草が、どうかしたのかい?」

「この草の解毒薬は、こちらにありますか?」

 店主の問には答えず、ゼロは逆に店主に問うた。

「まあ、解毒というか……互いに毒性を打ち消すという形になるけど、あるにはあるよ」

 そう言うと店主は店の奥に引っ込んだ。そして、小さな紙袋を手にして戻ってくる。

「万が一、中毒を起こした時用に作ってあるんだ。これも、元々は野草なんだけどね」

「ありがとうございます。助かりました」

 ゼロはホッと小さなため息を吐き、代金を払おうと財布を取り出した。

「まあしかし、こんな珍しいものを外国から来たお客さんが買うとはねぇ。ここいらじゃこれを買うのはお医者さんくらいのもんさ」

 ゼロから代金を受け取った、店主がしみじみとした口調で言った。

「実は、個人的に薬や毒に興味がありまして」

 ゼロはもっともらしい理由を口にする。それはけして嘘ではなかった。

「へぇ、そうなのかい……しかし随分と流暢にこの島の言葉を喋るけど、お客さん国はどこだい?」

 主人は感心したような表情でゼロに問う。

「西の方にある国です。船で、ニ日以上かかります」

 ゼロの答えを聞いた店主は少しの間、顎に手を当てて考えこんだ。

「いや実は最近、海外からも薬や調味料なんかを仕入れたりできないかな、と考えていたところでね。うちの場合は大陸の問屋を通してだけど……お客さんこの島の言葉喋るの上手だし、もし良かったらうちで働いてみないかい?」

 思いがけない店主からの申し出に、あやうくゼロは手にした紙袋を落としそうになる。

「ぜひ、前向きに検討させていただきます!」

 ゼロは満面に笑みを浮かべた。

「あぁ、就労用滞在許可証にはうちがサインするから、いつでも声かけてくれ」

 二人は笑顔で、かたい握手を交わしたのだった。


 この現実が面白くないのは、天使だった。

 天使は、既に緋亜と面識がある。

 ゼロと緋亜の会話を盗み見て、それが緋亜にバレた場合、非常に気まずく感じる。それを回避しようと、天使は盗み見たいという欲望を抑えていた。

 なんだ、あれは?

 宿屋の部屋に落ち着いたゼロの表情を見た天使は、苦虫を噛み潰したような表情になった。

「なんなんだ、そのスッキリしたような表情は!」

 天使は、苛立たしげにゼロに向かって叫んだ。

 てっきり、自分と同じように苛立ちを抑えられないような表情をしているだろうと思ったのに。

 部屋で上着を外套掛けにかけながら、ゼロはうっとおしげに天使を見た。

「ご期待に応えられず、申しわけありません」

 低い声音で、ゼロは言った。

 その丁寧な言い方にも、天使は腹を立てる。

「なんだ、なにを言われた! 言え、ゼロ!」

「なるほど、盗み見はしていなかったということですね」

 ゼロは心の底からホッとしていた。

「なにを、と言われましても。色々とアドバイスを頂きましたよ。我慢は体によろしくないとかね」

「はあ? なんだそれは?」

 ゼロの答えに、天使は素っ頓狂な声をあげる。

「もっと自由に生きたらいいのに、と」

 ゼロは、ジッと天使の淡い水色の瞳を見つめた。

「あの人は、あなたにそう言っていましたよ。もちろん、私にもです」

 はぁ、とため息をついてゼロはソファに腰掛ける。

「私も、あなたも……似たようなものだと思いませんか?」

「な……私とお前が似ているだと?」

 ゼロの問いかけに、ピクリと天使の頬が引きつった。

「やりたくないという自分の気持ちがわかっているのに、その気持ちから目を背け、同じことを繰り返している……私も、あなたもね。私はあの人と話をして、それをやめると決めました。あなたも、もうやめたらどうですか?」

 ゼロの静かな声が、静まり返った室内に響く。

 天使は、己の体からサッと血の気が引いていくのを感じていた。

 しばしの沈黙を破ったのは、呟くような天使の低い声音だった。

「お前たち人間には……選択肢が無数にある。それならば、道を誤ったと思ったら立ち止まって考え、選び直すことができよう……だがな」

 天使は歯を食いしばり、ぎゅうっと拳を握りしめた。

「私は、天使だ。創造主たる神の望みを叶える為だけに存在している、それだけが私の生きている意味なのだ! ならば、他の道など選べまい!」

 忌々しい、あの昇進システム。

「私は、自分が昇進できるなら、あの銃を使う人間が幸せだろうが不幸だろうが、どうでもいいのだ!」

 吐き捨てるように、天使は言う。

 その様を、ゼロは冷静な瞳で見つめていた。

「それを長い年月やってきて……今、どう思うんですか?」

 再び、重い空気が辺りに漂う。

 不意に、天使は自嘲気味な笑みを浮かべた。

「とても虚しい……昔は、こうではなかったのに……」

 天使はゼロの向かいにあるソファに体を預け、天を仰いだ。

「使用者から羽を手に入れる度に、高揚感を感じていた……これで威張れると……自分の価値があがると、そう思っていたんだ」

 はぁ、と天使は真顔に戻ってため息を吐いた。

「だがどうだ……どんなに羽を集めても、どんなに位が上がっても、いつまでも焦燥感が消えないのだ……もっと羽を集めなければ、もっともっとと……まったく、きりが無い」

 ふと、天使は己の手に視線を落とした。

「疲れた……疲れたんだ、私は」

「あなたには、同情します。嘘偽りなく、これは私の本音です」

 ゼロは微かに表情を曇らせて言った。

「きっと、今がターニングポイントなのでしょう。私も、あなたも……とは言っても、あなたの場合は存在自体を脅かされてしまうので、より抗うのが難しいのでしょうね……私では、なんの力にもなれませんし……申し訳ないのですが」

 緋亜は『必ず助ける』とゼロに言った。

 おれは、無力だ……

 しん、と空気が静まり返った。

「今のまま……この先も生きていかなければならないのなら、生きていても、死んでいるのと同じだな」

 ぽつり、天使は呟いた。

「……そうかもしれません」

「お前は、どうするんだ?」

 天使に問われ、ゼロは黙り込んだ。

「執事を辞めれば、あの家人どもとは簡単におさらばできるな」

「そうですね」

 ゼロは天使の言葉に頷いた。

 そして、あなたとの契約も破棄する。

 口には出さず、ゼロは思う。

「指南役を、辞めたいか?」

 天使は、ゼロの黒い涼やかな瞳をじっと見つめながら言った。

「辞めさせてくれるんですか?」

 ゼロは、じっと天使の淡い水色の瞳を見つめ返す。

「辞めさせてやってもいいが……その前に、私が生きているかどうかだな……」

 クック、と天使は喉の奥で笑った。

「もしあなたがいなくなったら、私との契約はどうなるんですか?」

「その場合は、私より上位の天使がそのまま契約を引き継ぐことになる」

「……そうなる前に、私を解雇してもらえませんか?」

「……考えておく……私も、あまり早まったマネはしたくないからな……」

 そう言うと、天使は立ち上がりすぅっと姿を消した。

 ゼロの目の前には、誰も座っていないソファだけが残されていたのだった。

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