第10話 スカウト
黄金色の美しい髪は、ゆるやかなウェーブを描き。
その背には、汚れなき真っ白な翼が生えている。
満面に穏やかな笑みとは正反対の苛立ちを浮かべ、鈴をふるような愛らしい声とは程遠い低い声で、神の御使いである天使は、ぶつぶつとなにかを呟いていた。
「……どうでもいいですけど、用もないのに突然現れるのは、迷惑なのでやめてくれませんか?」
天使のその様を横目でちらりと見やり、ゼロは冷たく言い放った。
その手には、先日天使から受け取った報酬の外国産の毒草がある。
「私は今、大事な研究の最中なんですよ。気が散るので、今すぐ帰ってください」
「……あの小娘……」
しかし、ゼロの冷たく響く言葉は天使の耳にまったく届いていないようだった。
仕方なく天使を追い返すことを諦め、ゼロは小さなため息を吐きつつ記憶をめぐらせる。
だが、天使がぶつぶつと呟く“小娘”という言葉に、思い当たる節はなかった。
「……愚痴なら、他所でどうぞ」
「どうして、この仕事をしているのかだと!」
叫び、天使は握りしめた拳をバンッとテーブルに叩きつけた。
卓上のフラスコから、パパッと液体が飛び散る。
「……八つ当たりとは……見苦しい……」
その液体を丁寧に拭き取りつつ、ゼロは言った。
そして、天使が口走った言葉について考える。
『どうして、この仕事をしているのか』とは……
誰が、この天使にそんな事を言ったのだろうか。
上位の同業者、つまり同じ天使にそれを言われたのだろうか。
自分より後に生まれた者に、位を抜かれたとか?
もしそうだったなら、それはプライドの高いこの天使にはかなりの屈辱だろう。
「こっちから声をかけてやったのに……光栄なことなんだぞ……それを……」
ゼロに蔑まれても尚、天使はぶつぶつと呟くことをやめなかった。
まったく、きりがないではないですか。
大きなため息を吐いてゼロは作業の手を止める。
それに、天使が口にしたあの言葉を、いったい誰が言ったのかが妙に気になった。
「一体、誰に何を言われたというんですか。話を聞いて差し上げますから、早く話してさっさと帰ってください」
視線と体を天使の方に向け、ゼロは白手袋を外して腕を組んだ。
「ある島国にいる、小娘をスカウトしに行ったのだ……ゼロ……お前にしたように……火の係に、欠員が出たからだ」
ポツポツと、天使は話し始めた。
「なるほど、断られたんですね。それは、残念でした」
露とも思っていないことを、ゼロは口にした。
「ただ断られただけなら、こんなに苛つかぬわ!」
天使は顔を赤く染め、ゼロに向かって叫ぶ。
その様に、ふむとゼロは顎に手を当てた。
自分以外に、これほどまでに天使を苛立たせることができる人間がいるとは。
ゼロは見知らぬその人物に興味を抱いた。
「あの小娘……」
天使は、思い出していた。
「ここに、真っ黒な渦がある」
娘は、天使の腹に手を当て、言ったのだ。
「本当はやりたくないことやってるから、どんどん渦が大きくなる。なあ、なんで、この仕事してるんだ?」
その大きな瞳で、娘はジッとこちらを見ていた。
「さわるな! 汚らわしい!」
天使はすぐさま、その小さな手を払った。
「自分に正直に生きた方が、楽なのに」
それでも、娘は少しも調子を変えずに、重ねて言った。
ギリ、と天使は唇を噛む。
「貴様なんぞに、なにがわかる!」
これ以上ここにいたら、危険な気がした。
捨て台詞を吐きその場から離れても、娘の言葉が頭から離れない。
なぜ、この仕事をしているのか……
天使は、娘が腹に触れた時の感覚を思い出していた。
あたたかく……心地よいと感じてしまったのだ。
乱暴に手を払いのけたというのに心のどこかで、もっと触れていて欲しいと願ってしまっていた。
それが、ますます面白くない。
しかし、それをゼロに言うのも天使のプライドが許さなかった。
黙り込んだ天使に、ゼロは問う。
「その娘は、なにかを望んだのでしょうか? あなたは聞いたのでしょう、私にも聞いたように……報酬は、なにが望みかと」
静かな声音でゼロは問う。
「あぁ、聞いたさ……そうしたら、昔のお前と同じように、死んだ人間を生き返らせて欲しいと言ったわ……ただし、自分の為じゃなく、他人の為に、だ」
あの時、娘は笑顔で言っていた。
「アオに、会わせたいから!」
と。
当然、死者を生き返らせることなどできはしない。
それをやんわりと伝えると、娘は不服そうに唇をとがらせた。
「なんだあ、できないのか……じゃあ、なにもいらないや」
娘との会話を思い出し、天使は微かに淡い水色の瞳を細めた。
「私は、金を勧めた……家でも、宝石でも、身分でも、金となら交換できるからな……」
「しかし、それもいらないと言われたのですね」
「そうだ!」
ゼロに言葉に、再び天使が叫んだ。
「お金は稼ぐからいらない、今幸せだから、なにも欲しくないと言ったのだ、あの娘は」
クック、と天使は笑った。
「あんな奴は初めてだ。満たされているから、なにも要らぬなど」
腹立たしくてしかたがない。それはなぜだろうか……今の自分が満たされていないからなのか……
天使はその答えにたどり着いてしまうことに恐怖感を覚え、すぐに考えるのをやめた。
「……なにもいらないと言われては、なにもできませんね」
ぽつりとゼロが言った。
「あぁ、まったく、昔のお前を思い出してしまったわ! まあ、あの小娘はお前ほど性格がねじ曲がってはおらんかったが」
天使の脳裏に、牢獄の中の少年だった頃のゼロが浮かぶ。
嫌味な笑みを浮かべながら、『できないの?』
と聞いてきた。
あれはあれで、非常に苛つく記憶だ。
「それで、どうするんですか……というか、この仕事、嫌々やっていたんですね。気がつきませんでしたよ」
「私達には、役割をこなす以外の道などないのだ。主に異を唱えれば、いとも簡単に握りつぶされてしまうからな」
それにひきかえ、おまえ達人間は道を選ぶことができる。私より、ずっとずっとマシではないか。羨ましいことこの上ない。
口には出さず、天使は思う。
「そうですか……ほんの少しだけあなたを気の毒には思いますが、仕方がないですね。あなたは、偉大なる神に造られた偉大な天使なのですから」
「……そうだ。仕方がないのだ」
天使はゼロの嫌味も気に留めず、まるで自分自身に言い聞かせるように言い、笑った。
「火の係の欠員は、また探す……邪魔したな」
「あ、ちょっと待って下さい」
姿を消そうとする天使を、ゼロは引き止めた。
「あなたの言う、その小娘とやらはどこにいるんですか?」
「……なんだ、あの小娘に興味があるのか?」
「あなたに不快感を抱かせるなど、仲良くなれそうな気がしましてね」
ゼロの言葉に、天使はチッと舌打ちする。
「もし私がその娘を説得できたら、なにか報酬が得られますか?」
「なに?」
ピクリと、天使が片方の眉尻を釣り上げた。
「説得だと? 指南役などやる気のないお前が、説得などするはずがなかろう……嘘がバレバレだ」
「私は、嘘をつくのが下手なんです」
「よく言うわ、この家の家人をさんざん騙しておきながら」
まあいい、と天使はニヤリと笑った。
「今日の礼として教えてやる……お前に報酬として渡した、その草の産地だ」
ゼロは、天使が指し示したテーブル上の毒草を見た。
説明書の産地の欄には、この国より東にある小さな島国の名があったはずだ。
「海外旅行も、たまにはいいかもしれませんね」
ふむ、と顎に手を当ててゼロは呟いた。
「その前に、この家の家人がお前に暇を与えるかどうかが問題だがな」
口元に笑みを刻んだままそう言うと、天使はゼロの前から姿を消した。
「暇をもらう理由……か……」
ゼロは考えた。
どうしてもその島に行かせなくてはならない、と女主人キャシーに思わせる理由。
そのヒントは、どうやらこの毒草にありそうだ。
この毒草の毒を解毒するには、この毒草の産地にある薬を用いなければならない。
「薄めて使おうかと思っていましたが……やめましょう」
万が一、誤って家人を死なせてしまったとしても、それはそれで仕方がない。
ゼロは、口元にニヤリと不気味な笑みを浮かべていたのだった。
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