3

 さや先生はタトゥーを見せるときに、懲りずにこれで終わりだからと言う。

 もちろん私は応じずに、何度もさや先生を脅す。


「先生質問があるんですけど」


 授業後に私が質問するのが合図で、その後4階の社会科準備室で密かに落ち合う。時間は大体昼休みが多かった。

 でも今日は趣向を変えてみることにする。


「さや先生。好きです」

「な……ちょっ、と」


 さや先生はわかりやすく動揺して教科書を床に落とした。


「大丈夫ですよ。誰も本気だなんて思いませんから」


 私は教科書を拾う先生の隣にしゃがんでささやいた。

 なにせ女しかいない学校だ。女同士で好きだと言ったり言われたりなんてよくあることだ。でもそれは当然本気じゃない。

 本気で恋をしてるのは少数だ。

 私はもともと恋愛に性別は関係ないと思っていたけど、女性を好きになるのはさや先生が初めてだった。


「あと、質問があるんですけど」

「……わかった」


 先生を困らせるのは好き。でもそんなことをしたって恋人になれやしない。というか、先生だって本気だと思ってないんじゃないだろうか。

 脅しすぎかな。でもそうまでして先生と二人きりになってるんだからわかって欲しい。好きだって何度も言ってるんだし。


 でも無理に恋人になりたいわけじゃない。ちゃんとフラれたらつらいけど諦めるつもりだ。

 だけど先生はいつもありがとうとか、わかったとか、そういった言葉で私の好意を受け流すから、私の気持ちはいつも宙ぶらりんでどこにも行けずにいる。


 フラれれば今世は諦めて来世の私に託すことができるのに。

 来世でも来来世でもいいから、いつかの私がさや先生と恋人になれたらいい。

 ずいぶん気の長い話だけど私は案外辛抱強いんだ。


 6600万年後、恐竜が絶滅してから私たちが生まれるくらいの時が過ぎたら、恋人になれるかな。



 十月も下旬になると肌寒くなり、さや先生もカーディガンを着始めた。

 人の出入りが少ない社会科準備室は他の教室より寒く感じる。さや先生はブラウスのボタンを外すと寒そうに身震いした。

 今日も変わらず、白い肌の上に枯れることなく一輪のバラが咲いている。

 綺麗だ。

 心の底からそう思う。

 タトゥーをしている人を見たのはさや先生が始めてだ。以前はタトゥーや刺青にちょっと悪いイメージがあったのに、今ではさや先生のせいですごく扇情的なものに感じる。


「綺麗だね」


 誰にも見せることなく隠されたバラの花に、この瞬間だけ太陽の光を浴びせてあげる。


「こんなことして楽しいの?」

「楽しいよ。他のなににも変えられないくらい」


 私はバラの花を指でなぞる。

 恥じ入るさや先生を見ていると、すごくいけないことをしてるみたいに感じる。

 実際、先生を脅して触らせてもらっているというのは特殊なシチュエーションではあるけど。


「変わってる」

「どうもありがとうございます」

「褒めてないんだけど」


 先生は呆れたようにため息をついた。


「でも、さや先生はそんな変人になにされても文句言えないんだ」

「見るだけだから」


 さや先生は念を押すけど、すでに見るだけでは済まなくて触っている。それについてはもう諦めてくれたらしい。


「ううん。さや先生は私を止められないよ」


 こうやって脅したら付き合ってくれるかな。

 私は、さや先生の鎖骨の下に顔を寄せる。さや先生が「えっ、ちょっと」と焦った声を上げるのを無視して、バラの花に口付けた。


「円城さん、約束と違うでしょ」


 でもやっぱり一方通行の気持ちしかない恋人なんて悲しすぎる。


「ねぇ、校長先生に言っちゃうよ」

「っ…………」


 上目遣いでさや先生を見て言うと、悔しそうに目を細めて押し黙った。

 そうだよね。そもそも生徒とこんなことしてるってバレたら大変だよね。


 私は、もう一度わざとらしく音を立ててそこにキスをする。

 そして舌先で下から上へとなぞると、先生はびくっと身体を震わせた。

 反応が気になって見上げると、さや先生は下唇を噛んで私の舌の感触に耐えているみたいだった。

 もう一度舐める。その度に先生の身体は強張った。

 人の肌ってほんのりしょっぱい。薄い塩味のマシュマロみたいだ。


「さや先生。好きです」

「……またそれ」


 私が舐めるのをやめると、さや先生は後ずさってブラウスの前を寄せた。もういいなんて言ってないのに、私の思わぬ行動に警戒しているらしい。


「私の気持ちが届くまで何回でも言うよ」

「普通は好きならこんなことしないんだよ」

「好きじゃない人にはこんなことしないでしょ」

「違う。弱みを握ったりとかそういうこと」


 話しながら先生はブラウスのボタンを止め始めてしまう。


「でもそうしないとさや先生はこんなことさせてくれないでしょ?」


 私は棚によりかかってため息まじりに言った。


「私を好きじゃないから」

「それは……」


 さや先生はボタンを止める手を止めてうつむいた。シリアスな雰囲気に私は笑って言う。


「大丈夫です。私、6600万年くらいなら待てますから」

「なにそれ?」

「私とさや先生が来来来来世も一緒にいるってことです」

「来来来来どころじゃないでしょ。勝手に私の未来を決めつけないでよ」


 さや先生は意味わかんない、と笑った。自然な笑顔を引き出せたのは久しぶりで嬉しい。私といるといつも緊張気味に引きつっているから。


「さや先生笑ってる方がかわいいよ」

「はいはい。ありがとう」


 先生は適当に返事をしてブラウスのボタンを全部止めた。それを見て私はドアへ向かう。


「本気だから」


 じゃあね、と手を振って私は先に社会科準備室を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る