拓也(5)


 その後いったいどうなったのか、はっきりとした記憶はない。


 気が付くと拓也は、駅の事務室にあるソファーに寝かされ。額の上に、冷たいタオルなどを乗せられていた。そして、事務所内にいる駅員らしき者たちの話し声が、かすかに聞こえて来た。



「……危ないところでしたよ。ふらりふらりと前に歩み出て、落ちる寸前で捕まえられたからいいものの。あのままだと間違いなく線路に落ちてましたね。電車が入って来る直前だったし、ギリギリセーフでした」


「全く迷惑だなあ。連絡先とかわかったか?」


「いえ、捕まえた後は気を失うように倒れこんでしまったので、まだそこまでは把握できてませんが。目を覚ましたらおいおい、聞いていこうと思います」


「なんか来てる服も薄汚いし、履いてるクツもボロボロだし。ホームレスではないようだが、まっとうな生活をしているようには見えんな」


「ですねぇ。なんていうか、意思を持って自殺しようとしていたわけじゃないと思うんですが。見た感じまだ若いのに、”生きるのがツラくなった”って感じなんですかね……?」



 拓也は「気を失っているフリ」をしながら、そんな会話にじっと聞き入っていた。そして、自分の惨めさに思わず泣きそうになり、ぐっと奥歯を噛み締め。タオルが額から目を覆うように目深に被せられていることが、文字通り不幸中の幸いだったなと実感していた。


 しかし、一通り気持ちが落ち着くと。「あの駅引たち、俺のことなんかほっといて、早くここを出て仕事に行ってくれないかな。そうすれば部屋の中を物色して、金目のものでもあれば儲けものだし……」などと頭の中で色々と考え始めている自分に気付き、再び涙しそうになっていた。もう自分は、「そういうこと」を自然と考えてしまう人間なんだと。まだギリギリ実行するには至っていないが、このままじゃそうなるのも時間の問題だな……。



 それから1時間ほどのち、話していた駅員2人がなかなか動きださないので、「室内を物色する」ことは諦めて。拓也はたったいま目覚めたようなフリをして起き上がり、駅員たちに詫びを入れた。幸い特に電車の運行に影響が出ることはなかったらしく、実家の方に連絡されることもなく。年上と思われる方の駅員に説教をされた上で、駅の事務所から解放された。


 改めて電車に乗り込んだ拓也は、駅の事務所で実家の話が出たことをきっかけに、両親に平謝りして金の無心をしようかと悩んでいた。「それだけは出来ない」と思っていたが、今はもうそんなことを言ってる場合じゃない。正直、土下座して無心したとしても、それを聞き入れてくれるかどうかは微妙にも思われた。親父には実家を出る際に、「そこまで1人暮らしをしたいなら、すればいい。その代わり、もう2度とうちの敷居をまたぐな」とまで言われているのだ。居酒屋カフェの店長に「戻っても仕事はないぞ」と言われた時には、脳裏に親父の顔が浮かんだりしたものだった。


 しかし今は本当に、緊急事態と言える状況だ。このままだと近いうち犯罪を犯すか、今日のようにフラフラと駅のホームに飛び込んだりすることになるかもしれない。だとすれば、後はどう話を切り出すかだ。いきなり実家に行っても門前払いされる可能性があるから、予め連絡を入れた方がいいか。もしくは親父がいない時間を見計らって、お袋に泣き付けばまだなんとかなるかも……?



 拓也は電車を降りてからも、ずっとそのことについて考え込んでいたが。アパートがすぐ目の前に迫ったところで、見知らぬ男が声をかけて来た。


「さしでがましいようですが、もしあなたが今、金銭的に困ってらっしゃるなら。一度こちらを読んでみて下さい。あなたの将来に関わる、重要な事項が記載されています」


 男はそう言うと、拓也に白い封筒を手渡し、何処かへ去って行った。なんだ今のは、新手の勧誘か何かか……? 考え事をしていたので、断る間もなく話を聞かされ、封筒まで渡された。俺の将来に関わる重要事項ってなんなんだよ、お祈りすれば魂が浄化されるとか、そんなんじゃないだろうな……?



 拓也がそんなことを思いながら、封筒の前面を見てみると。そこにはくっきりとした文字で、「招待状」と印刷されていた。


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