第15話 jectの用法

 アリストテレスの『カテゴリー論』は、古代ローマ(現イタリア)の哲学者であるボエティウス(480~524)によってラテン語に翻訳され、これが中世ヨーロッパにおけるアリストテレス研究の端緒になったとされるのだが、その際にヒュポケイメノンはスブイェクトゥム(subjectum)になった。


 意味は古代ギリシャ語とほぼ同じで、subは下を意味する単語(例えば、英語で潜水艦をsubmarineと言うが、これはsubが下、marineが海の、だから「海の下の」という意味になるのと一緒である)、jectumが投げ出された、なので直訳すると「下に投げ出されたもの」という意味になる。


 余談になるが、jectumが変化したjectは英語でも頻繁に用いられており、pro-jectは前方に投げ出されたもので、そこから転じて計画(時間的な前方=未来に向かって投げるという意味だろう)、これがpro-jectorになると、前方に何かを投げる機械になるので映写機、内側に投げるのであればin-jectだから注射、離れた場所に投げ出すのであればab-jectなので見捨てる、後方に投げるのであればre-jectなので拒絶、「~に向かって」投げるのであればob-ject、つまり標的なのだがそこから転じて目標や物体……などなど、様々なバリエーションが確認できる。


 ヒュポケイメノンにせよスブイェクトゥムにせよ、それらの単語に「下」という意味があるのは、何度も描いたようにアリストテレスの議論の前提に樹形図があったからだとしか思えない。


 実際に、人間のサブカテゴリーとしてアリストテレスがあることを樹形図にすれば、


人間(上位カテゴリー)

アリストテレス(下位カテゴリー)


 になるので、アリストテレスという単語が視覚的に下側に来る。これを「下に横たわったもの」と表現することに違和感は無い。


 逆に、樹形図を前提にしていないと、ヒュポケイメノンは「下に横たわっているのだから、何かの事象の基礎部分(ここで想定されているのは建築物のようなものだ)だろう」と想像しやすいが、少なくとも『カテゴリー論』ではヒュポケイメノンが事象を理解するための基部の概念である、という説明は無い。


 ただし、アリストテレスが書き記さなかったからなのか、あるいはロドスのアンドロニコス編集の際に削除したのか定かでは無いが、『カテゴリー論』には樹形図が添付されていないため、これが確定的な解釈ではない。


 それどころか、後代の哲学者達は、ヒュポケイメノンを「主語」と同一視した。


 何故なら、樹形図を想定しないのであれば、ヒュポケイメノンそのものは、「X(主語)はY(述語)である」という文言において、常に主語の位置(この場合はX)を占めることになるように「見える」からだ。


 前述したように、カテゴリー論におけるヒュポケイメノンという単語を使用した場合分けは、


(1)ヒュポケイメノンそのもの(文中では単にヒュポケイメノンと書かれている)


(2)ヒュポケイメノンの内に在るもの


(3)ヒュポケイメノンの内に無いもの


(4)ヒュポケイメノンについて語られるもの


(5)ヒュポケイメノンについて語られないもの


 の5つとなる。


 そのうち、(3)は(2)の、(5)は(4)の否定形なので、どちらか片方しか成立しない(これを、古典論理学では矛盾律、もしくは無矛盾律と呼ぶ)。


 つまり、ヒュポケイメノンの内に無く、かつヒュポケイメノンについて語られないのであれば、「ヒュポケイメノンの内側にある何か」ではないし、「ヒュポケイメノンについて語られる何か」でもないのだから、それはヒュポケイメノンそのものだと解釈されるわけだ。


 同時に、ヒュポケイメノンの内に無い、あるいはヒュポケイメノンについて語られないのであれば、その単語が述語の位置、たとえば「XはYである」という文章の場合はYの位置に入らないことを意味している。つまり、述語の位置に入らないのであれば主語の位置、「XはYである」という文章ではXの位置に入るしか無くなるわけだ。


 その結果として、ヒュポケイメノンには主語という定義が付与された。


 こうやって、論理的に説明すれば理解できる話であるが、やはり「下に横たわったもの」を意味するはずのヒュポケイメノンが、主語と同じ定義の単語として扱われることには違和感がある……のだが、少なくとも英語では更にややこしい状況になっている。


 前述したように『カテゴリー論』で語られているヒュポケイメノンが、樹形図における下位カテゴリーであったとしたら、ヒュポケイメノンそのものであるという論理的な説明は、「ヒュポケイメノンの内に無いこと」と「ヒュポケイメノンについて語られない」という2つの条件を満たすことによって可能である。


 また、ヒュポケイメノンの内に無く、かつヒュポケイメノンについて語られない場合に関しては、


(4)ヒュポケイメノンに無く、ヒュポケイメノンについて語られない。


が該当し、その具体例に関してアリストテレスは、


 たとえば、特定のある人間、特定のある馬がそうである。


 と説明しているため、特定の個体はヒュポケイメノンと同意(正確には真部分集合だが、古代ギリシャには集合論は存在しないので注意)である、という解釈ができる。


 更に、アリストテレスは、


(4)ヒュポケイメノンに無く、ヒュポケイメノンについて語られない。


 の条件を満たす単語は、


(1)まさにそれであるもの(本質存在=実体)


だとも説明している。

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