夕刻、少女たちは

鈴宮縁

夕刻、少女たちは

 高校の屋上というのは、フィクションの世界のように気軽に立ち入れる場所ではない。何か特別な許可を得ることで初めて入れる特別な場所であり、大抵の場合は施錠されているものである。入れない、ということはその近辺も人気がない。この日の放課後である午後五時半頃、施錠された屋上への扉の前。くもりガラスからぼんやりと茜色が差し込む、本来この時刻に誰もいないはずのその場所に、この高校の生徒である一組の少年少女がいたのである。

「どういうつもりなの?」

「どういうつもりもなにも……ずっと言ってるじゃん」

 さて、彼らが揉め始めて約三十分。その言い争いは平行線を辿っていた。

 ことの発端は数刻前の昼休み。少年少女もとい、この学校の二年生である不良少年の佐藤満さとうみつと同じく二年生の不良少女の伊藤いとう香菜里かなりがいつものように屋上前の階段で昼食を摂っていた時であった。この時まで、この二人の仲といえば、校内でも有名な幼馴染カップルであった。満に色目を使う女子生徒がいれば、香菜里とその友人らによる嫌がらせが発生し、香菜里に手を出そうとした男子生徒がいれば、満に呼び出されて病院送りにされる。そんな噂——香菜里たちが嫌がらせを行うというのは事実だが——が存在し、誰かが間に入る余地は一切ない、そんな二人であった。しかし、その関係に突然ヒビを入れたのは満だった。

「好きな奴できたから別れよ」

「は?」

 香菜里は、自分の耳を疑っていた。満との仲は円満であり、満好みの派手で明るい女というのは自分と自分の友人らしかこの学校にはいなかった。そして、その中で一番かわいいという自信が香菜里にはあった。だからこそ、香菜里は満が自分以外を好きになることなど想像し得なかったのである。その自信がひとえに彼氏であり、幼馴染でもある満が、幼い頃から彼女に聞かせた「香菜里が一番かわいいよ」という言葉によるものであるのも影響していた。生まれながらに色素の薄い香菜里の栗色のゆったりと巻かれた髪も、少し気が強そうに見える吊り目も、すべてかわいいと満は飽きずに毎日褒めていたのだ。

「は? 誰? 雪香? それとも里奈、まさか真由じゃないでしょ?」

「違う違う、お前の友達なわけないじゃん」

「じゃあ誰だって言うのよ! 満が好きになりそうな子なんてあたしの友達くらいしかいないじゃん……」

「あ〜……いや、そっか、あいつ好みじゃないからお前の頭の中から消されてんのか」

 そうして、満が口にしたのは一学年上に在籍する生徒会長の大野杏おおのあんの名前だった。直後、予鈴が鳴ったため、二人の話は放課後に持ち越しとなったのだ。

 しかし、結局言い争いは一時間経った後に、香菜里の「もういい」という涙声を背にして、満が逃げていくことで終わった。


 翌日の昼休み、三年生の教室がある四階に来た香菜里は、杏を探していた。香菜里は杏と一度も関わったことは無いものの、杏のことは知っている。生徒会長である彼女は、有名人であり、さまざまな噂話を聞いていたし、壇上で長々と話す彼女を見たこともあった。真っ黒なおかっぱ頭の地味で真面目で優しい、みんなに好かれる頼れる生徒会長。よって、姿を見つけることは容易い、そう思っていたのだが、彼女はどのクラスの教室にもいなかった。

「ねえ、大野会長ってどこにいるの?」

「え……っと、ねえ、誰か大野さんどこいるか知ってる?」

「知らなーい」

「あれ? さっきまでいたんだけど」

 香菜里は、校内をくまなく見て回った。一階から四階まで隅々を見て、最後に残った屋上へと向かう階段をあがる。扉の前。そこに、ようやく探し回っていた杏はいた。しかし、同時に香菜里が一番見たくなかったであろうものもあった。

「か、なり」

「……もうデキてたんだ」

 杏に覆いかぶさる満。杏も満も衣服は乱れており、何をしていたかは明白だった。そこで、ようやく香菜里の中にわずかに残っていた満への未練は断ち切られた。代わりに、ふつふつとした怒りが湧き上がってきた。満の焦燥した瞳と対比したような、何を考えているかわからない杏の真っ黒な瞳。その瞳に、香菜里は酷く苛立ちを覚えた。

「ごめんなさい」

 そして、杏の謝罪の言葉は香菜里の頭に血を上らせた。

「死ねよ」

 ぎりぎり怒りを抑えた香菜里から絞り出されたのはそれだけで、それ以上の醜態を晒すものかと、彼女は急ぎその場を立ち去った。

 さて、その場を立ち去った香菜里は教室へと戻る道中、満のことなど少しも考えていなかった。杏の真っ黒な瞳を思い出し、あのすました顔を歪ませてやりたい、そう思っていた。しかし、香菜里はどうするべきかがまったく思いつかなかった。

「ああ、さっきの写真に撮っちゃえばよかった」

 屋上での杏と満。あの様子が写真として出回ってしまえば、優等生の杏の評判はガタ落ちに決まっていた。香菜里は後悔しつつも、二人の元へと戻ろうとは思えなかった。

 それでは、どうしてやろうと考えて、考えて、考えた。思いつき、決意も固まったのは一週間後のことだった。


 その日の朝、香菜里は杏の下駄箱に呼び出しの手紙を入れた。誰かに訝しがられないだろうか、そんな考えが香菜里の頭に一瞬浮かぶ。しかし、幸いにも大野杏の下駄箱に手紙が入っていることはあまり珍しいことではなかった。地味ではあるが、それなりに整った顔立ちをしていたこと、それでいて誰にでも等しく優しいこと、それが多数の男子生徒の心を掴んでいたようだった。放課後、生徒会室で待ってる。名前も書かなかった手紙にはその一文だけを書いておいた。

 相手も用件もわからない手紙ではそもそも来てくれないかもしれない。そんなことに気づいたのは、放課後、少し暗くなり始めた六時頃のことだった。

「はあ、ちゃんとなんの用かくらい書けばよかった」

 しかし、生徒会委員すら一人も来ないというのはおかしい。生徒会委員が来ないことは、香菜里にとって都合は良いのだが、杏が来てくれないことにはこんなに遅くまで生徒会室に隠れている意味がない。

 大きなため息を吐きつつ、香菜里が帰ろうと立ち上がりかけたときだった。ゆっくりと、扉が開いた。

「待たせてごめんなさい、香菜里ちゃん」

 扉から顔を覗かせた杏は、知らないはずの手紙の差出人の名前を、妙に親しげに呼んだ。それも、まだ扉が開ききっていない、香菜里の姿を認識する前に。

「なんで、あたしだって」

 杏は、何も答えず、ただ微笑んでいた。どんどんと暗くなっていく空の下、杏の黒い瞳は、より一層深く、深淵のように見えた。覗き込めば吸い込まれそうな、真っ黒な瞳。その瞳は優しく微笑みながら、真っ直ぐに香菜里を捉えていた。

「それで、香菜里ちゃん」

「き、気安く呼ばないでよ!」

「ごめんなさい、香菜里さん?」

 心底愉快そうに、杏は鈴のように笑った。

「馬鹿にしてるの?」

「そんなことないよ。それより香菜里さん、本題はいいの?」

 そう言って、杏はスマートフォンに映し出される時刻を香菜里に見せた。時刻はすでに六時十五分。最終下校時刻も差し迫っていた。もっとも、生徒会室の施錠は生徒会長の仕事であり、その時刻になったとて教師や警備員が生徒会室を見に来ることなど無いのだが。

「じゃあ、早速だけど」

「わ、……どうしたの?」

 香菜里は、杏を思い切り押し倒した。とは言っても、ほとんど杏が自分から倒れに行ったようなものだった。

「あんた、あたしの満に手を出したでしょ」

「嫉妬?」

「嫉妬……ううん、違う。あたしがあんたを気に入らないだけ。訂正する。もう満は関係ない」

「……じゃあ、香菜里さんは、私のことだけを考えて、今日私を呼び出したってこと?」

「は……? ま、まあ、そうかもね。知らない。あたしはなんでもいいからあんたの弱み握って晒してやりたいだけ。裸の写真とか、どう? 嫌?」

 香菜里は、自分が今衣服を剥ぎ取ろうとしている杏の顔が未だに笑っていることにほんの少しの恐怖を覚えた。「香菜里さんは、私のことだけを考えて、今日私を呼び出したってこと?」という杏の言葉に、「そうかもね」と返したとき、杏の笑顔が一層深まったことも影響していた。悪寒がして、香菜里は少し震えた。なんとなく、嫌な予感がして、行動を起こしたことを後悔し始めた。その時だった。

「ああ、嬉しい」

 香菜里の視界はぐるりと回った。香菜里は強い力で杏に押し倒されていた。先ほどまでと体勢が逆転していること、思っていたより杏が力強いこと。それらに混乱して、香菜里の喉からは掠れた悲鳴が漏れ出た。

「怖がらせちゃった? ああ、でも嬉しくて仕方ないの。まさかちょっと行動しただけですぐに来てくれるとは思わなくて。人払いした甲斐があった」

 香菜里に馬乗りになった杏は、頬を染め、恍惚とした表情で饒舌に喋り出した。

「私ね、ずっと香菜里ちゃんのこと好きだったの。いつからだと思う? 驚かないで、香菜里ちゃん。なんと入学式の日なの。一目惚れよ。入学式の日に、佐藤くんと一緒に幸せそうに登校してきた香菜里ちゃん。かわいかった、本当に。もちろん、今だってとびきりかわいい、安心して」

 そこで、杏の表情は突如曇った。

「でもね、そう。私がどんなに香菜里ちゃんのことを好きでも、香菜里ちゃんの隣にはいつだって佐藤くんがいた。邪魔で邪魔で仕方なかった。香菜里ちゃんが幸せそうに満、って呼ぶのを聞くのは耐えられなかった……。だから、だからごめんなさい。別れてくれないかなって思っちゃった。寝取ってでも、別れさせなきゃって思っちゃったの。傷つけることは本望じゃなかったんだけど……」

 杏は、長々と語りながら香菜里の柔らかい髪を撫でていたが、最後に掬い上げるとそっと口づけをした。

「香菜里ちゃん、佐藤くんのことを考えてじゃなくて、私のことだけを考えてたって言ったじゃない?」

 香菜里は言っていない、と声をあげようとしたが、杏はもう香菜里の言葉を聞く気などないのだろう。言わなくてもわかる、そう言って口を塞いでしまった。

「香菜里ちゃんも、私のことを好きになってくれたってことでしょ?」

 杏は、もうすっかり自分の世界にいた。香菜里の制服の中に、ゆっくりと手を滑り込ませたかと思えば、優しく彼女の腹部に触れた。そこから、少しずつ、香菜里の胸の膨らみへと手は移動していく。香菜里は抗議の声をあげながら、急いで逃れようと暴れた。杏はようやく手を香菜里の身体から離した。香菜里が安堵できたのは、そのほんの一瞬だけだった。杏は香菜里の制服のリボンを取り、それで香菜里の腕を拘束してしまった。

「取りなさいよ」

 香菜里の懇願むなしく、杏はそのまま、杏の身体を隅々まで弄った。かわいい、やわらかい、おいしそう、そんな言葉を香菜里の耳元で囁きながら。

 そして、どのくらい経っただろうか。香菜里は息も絶え絶え、散々辱められて、涙目で小さく「ごめんなさい、ゆるして」と呟くばかりだった。そんな、香菜里を見て、満足そうに杏は笑って言った。

「大丈夫、あまさず全部食べるから、早く一つになろうね。香菜里ちゃん」

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夕刻、少女たちは 鈴宮縁 @suzumiya__yukari

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