第5話 裏切り者と騎士の誓約

 そういうわけで、治癒魔道具を三つほど使い潰して傷を治療したトラヴィスとギードは、ケイレブが去っていった通路の先を目指して歩く。

 薄暗闇を警戒しながら進んでいると、途端に開けた広場に出た。


 魔道具の灯りで満ちたその空間。そこには、簡易な祭壇が施され、その中央には玉璽らしきものが見える。


「おや、随分な寄り道をしていたようだな、トラヴィスよ」


 祭壇の前で見慣れた壮年の男がひとり。振り返ったその顔は、ここにはいないはずのゲープハルトであった。


「ゲープハルト老、こんなところになんの用……っ!? な、なにすんのギード!」


 見知った顔に安堵したトラヴィスが、ゲープハルトに駆け寄ろうとした。が、ギードが肩を掴んで引き留めた。


「駄目だ、あちらへ行くな。視ろ。お前の魔術士の眼で視るんだ」


 ギードの言葉にトラヴィスが目を凝らす。

 魔術士の眼で視たゲープハルトは、祭壇の玉璽へ魔力と魔術式を送っているところだった。


「…………っ! ゲープハルト老……あんたもか」

「ようやく気づいたかね、外様の駄犬が」


 ゲープハルトの声が闇で濁る。

 今まで一度も向けられたことのなかった侮蔑と嘲りの混じったゲープハルトの視線。それを浴びたトラヴィスの身体が、怒りと屈辱で震え出す。


「は、ははは……正直、信じたくはなかったよ。クソッ、もう儀式魔術が発動しかけてやがる……!」


 皇位を移譲する儀式魔術だ。さすがに即時発動とはいかないようで、ごうごうと渦を巻きながら魔力と魔術式が宙空でうねっている。


 ——こんだけの魔力を練って成立する儀式魔術って、どんだけのモンだよ……怖ぇ……。


 トラヴィスの頬を冷や汗が落ちる。

 正直、ガラテア帝国の国民ではないトラヴィスもギードも、現皇帝から先帝へ皇位が移動しても、なんの害もない。


 ないのだけれど、帝国は広大で強大だ。


 そんな国がたったひと握りの愚かな人間のせいで経済破綻し死んでゆくなど、もしかしたら故郷や古巣にも被害が出るかもしれない。


 ——普通に暮らしているヤツらには、なんの罪もねぇんだよな。


 トラヴィスは奥歯をギリリと一度噛む。そして、祭壇の前で余裕を見せるゲープハルトを睨みつけた。


「ゲープハルト老、生粋の皇帝陛下の黒い椅子ブラックチェアのあんたが、どうして裏切る?」

「生粋? はは、……儂が忠誠を誓ったのはガラテア帝国の皇帝だ。なぜ偽帝に忠誠を誓わなければならない? そちらの方が、余程裏切り行為だろう?」


「——……ああ、なるほど。先帝だか長老会議ゲルシアだかに、現皇帝陛下が偽帝であるとかなんとか、証拠でも見せられたか?」


「それは情報屋から買ったのか? ……いつも思っていたが、トラヴィスよ。お前の情報源は有能だな」

「いやいや残念。ただのブラフだ。詰めが甘いな、ゲープハルト老。あと少しで儀式が成立するからって、気を抜きすぎだ」

「——…………ッ!?」


 トラヴィスは、はじめてゲープハルトが動揺して言葉を詰まらせる姿を見た。そのおかげか、どうか。少しの余裕が心に戻り、口も喉も滑らかに動き出した。


「知ってたか、爺さん。偽帝は先帝陛下の方だってことに」

「……そ、れは……」

「ああ、やっぱり。爺さんほどの人が気づかねぇわけがねーのな。先帝時代、魔法石の産出量が減った時期があったんだろ? だからあの甘ちゃんクソ陛下が急いで先帝を追い落とした」


「……、…………それでも、クサーヴァ陛下は儂を……儂を取り立ててくれたんだよ、小僧」

「そっか。……あーあ、あんたは敵に回したくなかったんだけどな」


「ふ。儂はお前のような外様をいつでも捻り潰したいと思っていたよ。だが……お前には番犬がついているからな。なかなか機会もなくて潰せなんだ」


「だからこその、オレ様ってわけだ。よぉ、ギード。怪我は治してもらったか? 続きをしようぜ」


 祭壇の奥からあらわれたのは、燃えるような赤髪の武人ケイレブだ。飢えた目が爛々と輝きギードを見つめる。


「爺さんにお前を殺す許可を取った。さあやろう、すぐやろう! 安心しろ、さっきみてぇな中途半端な真似はもうしねぇ!」

「い、イカれてる……ギード、相手にすんな」


「ははは! 最高にイカれてんのは、そこの流浪の騎士様だろうがよ! 魔力がもの言う世界で、魔力を犠牲に強さを得るなんて、頭のイかれた奴しか出来ねぇよ!」

「トラヴィス!」


 ケイレブが吠えながらトラヴィス目がけて突っ込んでくる。トラヴィスはギードに襟首を掴まれ、後方へと投げ飛ばされた。


「おわぁ……ッ!? ぐぇッ!」


 遠のく祭壇を視界の端に見ながら、トラヴィスは受身を取るのに失敗してゴツゴツした地面をのたうち回る。


「ぐっ……、いってぇ……」


 トラヴィスが苦痛に身を捩らせている間にも、ギードとケイレブは何度も斬り結んでいた。


「おいおい、冗談じゃねぇぞ! いい加減、騎士の本性を見せろや!」

「……ぐ、ぅッ!」


 ケイレブとの腕力勝負に負けたギードがトラヴィスの元へと吹っ飛ばされてきた。


「おわ!? ギード、なにやられてんの!? ……奥の手は……お、奥の手はどうした!?」


 慌てたトラヴィスが倒れたギードを助け起こしてすがりつく。


 ギードの鼻筋が通った美しい横顔が土埃で汚れている。吹き飛ばされた時に切ったのか、薄いくちびるの端に血が滲んでいた。そのくちびるから、深い深い息が漏れる。


「トラヴィス、奥の手だ。私と本誓約をしてくれ」


 ——クソッ、ちょっと考えりゃわかるだろうが……! なんで奥の手なんかせがんでんだ、俺!


 トラヴィスは自分の失態に動揺した。動揺しながら混乱し、もうどんな顔をしているのかもわからない。


「は? 正気か? っていうか、え、奥の手って、それ!?」

「今のままではお前を守りきれない。守れる手段があるなら実行すべきだ」


「だが……なあ、今の仮誓約状態じゃあ、駄目なのか?」


 自分から奥の手をせがんだ手前、トラヴィスは「嫌だ」ともう言えない。言葉を濁してはぐらかし、いつものように流すしか。


 けれど、状況がそれを許さなかった。


「今のままではケイレブには勝てない。その後ろのゲープハルトにも届かない。私はお前を失いたくない」


 ギードの真剣な眼差しが、迷うトラヴィスを貫いた。


「逃げるな、トラヴィス。私はとうの昔にお前が私のあるじだと決めている」


「……人権や自由よりも、騎士としての生き方がいいって? こんなポンコツに仕えてもなんも得ねぇだろ」


 ギードの意志がわかっていても、トラヴィスから悪足掻きのような言葉が漏れる。


「違う、そうじゃない。騎士として仕えるならトラヴィス以外は考えられない、という話だ。お前は私を救った。復讐鬼に堕ちそうだった私を。ただの護衛として時間を過ごしただけの私を、だ。堕ちてこの世の災厄になるところだった私を、お前が止めたんだ」


 普段は必要なことを簡潔にしか話さないギードが、酷く饒舌だった。その事実だけで、トラヴィスの胸がキュウと鳴く。


「もっと自信を持てトラヴィス」


 ダメ押しのように肩を叩かれては、もう駄目だった。


 トラヴィスは術式破棄スペルキャンセルしか使えないポンコツ魔術士だ。だから使えるものは怪しい情報屋でもなんでも使ったし、舐められないように余裕のあるさまを崩さないようにしていた。


 トラヴィスはいつだって自信はなかった。


 自分がギードのお荷物であることなんて分かり切っていたから。けれど、ギードは、そうではないのだ、と言う。


 顔が熱い。口はカラカラ。鼻の奥がツンとして、心臓が痛い。トラヴィスは深呼吸を二回繰り返し、それでようやく頷いた。


「……、……そっか、そか。俺がずっと逃げていただけか。……いいんだな? 誓約したら、もう後には戻れないぞ」

「構わない、望むところだ」


 ギードがコクリと頷いて、トラヴィスの震える手を取りその場に立たせた。抜き身の刀をトラヴィスに握らせて、その足元にギードがひざまずく。

 ギードの旋毛を照れ臭く見つめて咳払いをひとつ。そうしてトラヴィスは受け取った刀の腹をギードの肩にそっと当てた。


「俺はただの魔術士だから、宣誓文は省略する。あー……汝、我が剣となることを誓うか?」

「礼節を持って奉仕し、武勇を持って忠誠を成さんことをここに誓う」


 誓いの言葉をギードが述べた途端、跪く足元に青く光る魔法陣のようなものが現れた。音もなく光るその青は、ギードが本来持つ魔力だろう。青い光はすぐに収束し、ギードの心臓へと納まった。


 これでギードの魔力は騎士の誓約によって回路ごと完全に閉じられて、もう二度と、自由を謳歌することができなくなった。


 けれど。


「ああ……これが……宣誓の力……」

「え、なに。そんなに凄いの? 見た目、特に変わってねぇけど」

「今にわかる」


 恍惚とした表情でギードが笑う。ほぼはじめて見たギードの笑みに、トラヴィスは思わずギョッとした。


 魔力酔いをしたかのように上気した頬、とろりととろけた漆黒の瞳。その瞳の中心に金色の火が灯る。


 騎士として覚醒を果たしたギードは、トラヴィスから預けていた刀を受け取ると、ふらりと立ち上がった。


「おう、作戦会議は終わったかァ? なら、決着ケリつけようぜ、決着をよ。こうも頻繁に休憩されちゃあ、こっちもたまんねぇんだわ!」

「吠えるな。言われなくともつけてやる」


 言うが早いか、ギードの姿が掻き消えた。まさに神速。帝都市場の路地裏で襲撃者達を撃退した時に見せた速さよりも、なお速い。


 次にギードが姿をあらわし、刀を鞘に納めた音が鳴った時には、もうすべてが終わっていた。


「一瞬、だ、と……?」

「まさか、ここまで、とは……」


 地面に膝をつき胸から血を流すケイレブ、首から溢れる血を押さえてよろめくゲープハルト。

 重症であると一目でわかる両名を冷めた目で見たギードが、忌々しそうに舌打ちをした。


「……チッ、加減しすぎたか」

「えっ。え? な、なに。ギード君、君、そんな強いの?」


あるじを得た騎士は自由と魔力と人権とを引き換えに、より強大な力を得る。ああ……身体中に力が満ちている」

「……俺は自由の方が大事だと思うけどね。ほんと、理解し難い生き物だよ、騎士ってヤツは。でもこれで儀式を止められ——……っ?」


 トラヴィスは祭壇へ向かって一歩踏み出したところで歩みを止めた。眼前に見慣れた転送魔法陣があらわれたからである。


 その転送陣は、現在調整中であるはずの黒い椅子ブラックチェアによる亜空間転送術式によるものと、よく似た構成の魔法陣だった。

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