第3話 ナースコール ②
私は脳外科病棟に勤めて半年でしかないけれど、この半年の間で、世の中ってこんな風に出来ているんだなっていう発見が幾つかあるわけです。
その一つとしてあげるとするのなら、脳の疾患で入院してくるのが奥さんの場合、旦那さんはやたらと献身的だということ。
脳の疾患で旦那さんが入院してきて献身的に尽くす奥様というのはそりゃ一定数いるわけですけど、奥さんが入院してきて旦那さんが付き添っている場合、見ている限りほぼ百パーセント、旦那さんがものすごーく尽くしているなあ〜っと思うわけです。
脳外科病棟に入院してきた梶原由紀子さんは脳動静脈奇形で入院してきた患者さんで、脳の中で毛細血管(とにかく細い血管)を間に挟まずに、動脈と静脈がぐるぐるぐるぐるととぐろを巻いたような状態で繋がってしまっているわけです。
頭痛の症状が酷く、日常生活にも支障が出ているため脳外科を受診、脳動静脈奇形と診断を受けた後、手術目的での入院となりました。
開頭手術となるため、頭は丸剃りとなり、手術着を着て、頭に三角巾を巻いた状態で梶原さんはストレーチャーで運ばれる事になりました。
「あなた!嫌よ!嫌!手術を受けたくない!助けて!」
梶原さんは暴れることはしませんでしたが、旦那さんの手を握りしめながら涙を流して訴えます。
「あなた!助けて!手術なんて受けたくないの!」
入院にも付き添い、毎日面会に来て、手術を受けられる奥さんを励まし続けていた旦那さんです。困り果てた旦那さんは、ストレッチャーの上に寝そべる奥さんの手を握りしめていましたが、
「大丈夫だよ、大丈夫、絶対に治るから、オペ室の前でずっと待っているからね」
と、笑顔で励まし続けています。
旦那さんは、オペ室に入る直前まで奥さんの手を握りしめ、大丈夫、大丈夫と言い続けていたそうですが、奥さんは、とにかく手術は嫌だ、やりたくないと言いながら、オペ室の自動ドアの向こう側へと消えて行きました。
手術をするには手術室の予約をしなければならず、手術をするために、オペ室の看護師さんも脳外科のお医者さん達も、準備万端で待ち受けています。
ここで、
「妻が嫌だと言うから延期して欲しい」
なんて言えるわけがないです。すでに手術承諾書のサインをしちゃっている状況なのですから。
開頭をして頭蓋骨を外し、露出させた奇形部分の血管を切除して、間にできた血の塊を剥がし取る作業をするのですが、脳動静脈奇形の発生箇所やその大きさによって、難しい手術にもなります。
「はああ・・・やっぱりねえ・・・ねえ、宮脇さんも気がついたでしょう?」
私は先輩看護師さんからのヘイト値高めで過ごしているので、休憩室でジュースを差し出されながら声をかけられるだなんてこと、働き始めてから初めての事かもしれません。
「えっと、何か気がつくような事ってありましたでしょうか?」
「えっ?気がつかなかったの?」
「ちょっと・・よくわからないんですけど・・・」
「夜勤中に、やたらとナースコールが鳴ったじゃない?」
「はい、何度も『エリーゼのために』がナースステーションに響き渡りましたよね」
「ナースコールのコールボタンが押され続けたベッド、誰が使っていたのか気がつかなかった?」
「ああーー〜、昨日オペした梶原さんですよね?」
「そう!その梶原さんなんだけど!深夜2時35分にICUでお亡くなりになったって言うのよ!」
「え?」
「オペが上手くいかなくて、それでとりあえずはICUに運ばれたんだけど、夜中に急変してそのままだって」
「えええええ?」
私はAチーム、先輩はBチーム、梶原さんはBチームの患者さんだったので、オペ後どうなったのかまでは知りませんでした。
「2時35分・・・」
一回目のナースコールはその時間でした、時計を見たので覚えています。
「あのね、宮脇さんにも注意しておくけど」
なんの注意でしょうか?
「もしも自分がこの手術は絶対にやりたくない!って思った時には、やめた方がいいわよ」
「はい?」
「絶対に嫌!絶対にやりたくない!って騒ぐ患者さんに限って、手術が失敗する事が多いのよ」
やだなにそれ怖い。
「第六感っていうのかなぁ、とにかく予感めいたものを感じて騒ぎ出したら、ああ、この人は帰ってこないかもしれないって思うのよ」
やだ、本当に怖いんだけど。
「だからね、宮脇さんが、もしも自分が手術しなくちゃいけなくなった時に、どうしてもこの手術嫌だ!なんて思ったら、やめた方がいいと思う」
「ちょ・・え・・・ま・・・それ・・・無理じゃないですかーー〜?」
献身的な梶原さんの旦那さんは、本当は奥さんに手術なんかさせたくないって感じでしたもん。だけど、しなくちゃならない手術だから、予定も決まっちゃっているし、ストレッチャーにも乗っちゃっているし、ここで、
「すみません〜!やっぱり手術やめますー〜!」
なんて、レストランで注文を取りやめるみたいな感じで言い出せないですって。
「手術やめてくれなんて言えるものなんですかね〜」
「セカンドオピニオンを受けたいって言い出すとか?」
「手術間際で?無理じゃないですか?」
「死の予感がするって申し出るとか」
「死の予感がしても、ストレッチャーで連れて行かれちゃうじゃないですか」
「じゃあどうすればいいのよ!」
知らんがな、新人ではどうしたら良いのかなんて想像することも出来んわ。
先輩はため息を吐き出すと、
「これがまな板の鯉って言うのよね」
と、何の解決にもならない事を言い出した。
まあ、別に鯉とかまな板とか、そんなものはどうでもいいんですけど・・・
「あの、それで、じゃあ、あのナースコールは何だったんですか?」
「ああ、それは・・・」
病院で働いていると、結構こういう事ってあるそうです。
死んだ幽霊が挨拶がてらとか、私は死んだのよ!とか、訴える的な?まあ・・・そんな感じでナースコールを押すことって意外とあるんですって。
「あそこは梶原さんが使っていたし、コードをはずしてもナースコールが鳴った時点で、そうだろうなと思ったのよね〜」
その時点で梶原さんが亡くなっていたと思っていたってことですか?
すごい推理力!
というか、幽霊の挨拶とか訴えって、意外と通じている感じなんですかね。
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お亡くなりになった人が使っていたベッドのナースコールが鳴るというのは学校七不思議並みに、病院あるあるエピソードじゃないかと思います。
ちなみに、手術を本当に!嫌な予感がするからやりたくない!という感覚は、信じた方が良いんだと、むかーしむかしに言われたことはあるんですけど、いや、ギリでそれ言い出しても、誰も中止にはしてくれないでしょー!と、当時思ったというお話です。
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