第3話
朝日は夕日とはまた違った美しさがある。
夜明けと共に空気ごと新鮮にしてくれそうな、そんな不思議なエネルギーがある。
十九歳、女性、小柄、木造りの床に何も敷かず、何も掛けずにぐっすりと眠っている。
その顔はまだあどけなく、一見中学生にも見えなくもない。
部屋の窓は大きく開いたままで、風もよく入ってくる。
女の子の髪の毛をさらさらとまだ少し冷たい風が揺らすと、眼の辺りに日の光が差し込んできた。
木漏れ日に包まれると少し暖かくなる。
その温かかな心地良さを抜け出したくなくて、実は既に起きていた女の子はまだ眼を瞑って無理矢理夢の続きを観ようとするが、今度は昨夜眠る前に遅刻しないようにとかけておいた目覚まし時計のアラームが女の子をその場から追い出した。
「んんーん。はぁ…」
心地よく眠っていたのに、目覚まし時計のアラームを止めに立ち上がりテーブルの近くまで行かなくてはいけない。
実は絶対に起きれるように、目覚まし時計は枕元に置くようなことはしないのである。
敢えて少し遠くに置いておくことによって、目覚まし時計のアラームを止めに一度立ち上がるので二度寝などしないだろうという根端があった。
しかし今は、そのようになるようにと仕向けた昨夜の自分の恨むしかない。
嫌々立ち上がり、陽だまりから歩いてテーブルの近くまで来ると女の子はアラームをそっと止めた。
この目覚まし時計のアラーム音はとても大きい。
古き良きベル型の目覚まし時計なのだが、ベルの音が大音量なのである。
幸い近所と言う近所は老舗の食堂などが多いので、どうせ朝早く女の子のアラームよりも早く起きる。
騒音などの問題はないのだが、その目覚まし時計の持ち主である女の子自身は少しストレスなのだ。
テーブルに置いた目覚まし時計を憎らしく眺めた後、女の子は洗面所まで行き歯磨きを始めた。
朝一番に歯磨きをすることには拘っている。
朝一番に、歯磨き押せずにそのまま水を飲んだり、食事をしたりすると口内に広がった雑菌がそのまま胃に入るのだ。
例え胃液が殺菌してくれたとしても、気持ち的に不快である。歯磨きを終えた女の子はそのまま洗顔をし、保湿をした後に髪の毛をセットした。
セットと言ってもセミロングの髪をおさげにして前髪を整え、頭頂からツンツンと出てきているアホ毛を潰すだけなのだが。
女の子のお気に入りのふわふわした生地のパジャマから、少し薄い生地のお高そうなロング丈のワンピースに着替えると今度は台所に立つ。
昨夜作った晩御飯の残りを食べながら、お弁当に白米とおかずを詰めた。
おかずは塩と胡椒で味付けをした肉野菜炒めで、副菜として胡瓜の塩漬けを入れた。朝食の最後に女の子が三年前に作った梅干を一つ口に放り込む。
「もう、こんな時間っ。急がなくっちゃ。」
全ての支度を終えると既に七時半近くまで時計の針は回っていた。
女の子は急いで鞄にお弁当箱を入れ、お気に入りの革靴を履くとその足で坂を降り始めた。
近所の少年達も学校へ向かって歩いて行く。
女子高校生やら男子高校生やらも走って駅へ向かっている。
「手伝います…」
ベビーカーを階段の上まで運ぼうと奮闘している若いお母さんが困ったように、階段の頂上を見ていたので女の子は声をかけた。
「ありがとうございます。…本当に困っていて。」
「いえ、時間に余裕があるので…」
知らない人との会話で緊張し、俯きかけながら女の子はぼそぼそと言い訳を言うかのように返答をした。
ベビーカーには既に子供乗っていなかったが、それでもかなりの重量があった(二人用のベビーカーなのである)。
女の子とお母さんでそれぞれ子供を一人ずつ抱き抱えながら一段、そして一段と運んで行く。
会談の頂上まで到着すると、首元が少し汗ばんでいた。
お母さんは女の子に何度も頭を下げたが、その後電車に乗りながら彼女は思った。
(そういえばあの駅、南口からなら外にもエレベーターあった気がする…。)
女の子とあのお母さんがいたのは北口改札へと続く階段の下である。
あのお母さんとまだ話している時にそれに気付いたならば、教えてあげられたのにと女の子は思った。
そんなこと今更考えても意味がないのだが、今度同じように困っていたら、今度こそ教えてあげようと思った。
二十駅もある電車内ではいつも、暇潰しの為に小説を読んでいる。
女の子の住んでいる地域にある市民図書館は一般的な図書館の大きさを遥かに超えている。
そこには古書から新作まで、漫画から数千ページもある医学書まで多くの書物が蔵書されている。
彼女はその図書館で借りた珍しい古書を読んでいるのである。
この日は珍しく有名な小説を読んでいて、それはジョヴァンニ・ボッカッチョ大先生の『デカメロン』を読んでいた。
彼女が高校生の時、密かに想いを寄せていた世界史の先生が授業中にお勧めと話していたので、それ以来彼女は『デカメロン』を表示が千切れる程何度も読み返していた。
この作品を読んでいる時、彼女は不思議な感覚に包まれるのである。
時間と言う時間が全て止まったかのような、世界中の時計を神様の力によって無理矢理止めてしまったかのような感覚。
そしてその魔法から溶けると一瞬にして時間がワープされるのだ。
『田町~、田町~』
耳に流し込んでいる音楽の隙間から、車内アナウンスが潜り込んでくる。
良い感じに時空を飛び越えた彼女は少し弾んだ気持ちで、学校へと歩く。
駅からたったの五分しか掛からないその学び舎は少し古い建物である。
歴史を感じるその建物に入ると彼女はカードキーを記録器にかざし、階段を昇る。
教室に辿り着くとそこには既に、半分以上の学生が着席していた。
自由席なので皆好きなところに座っている(であろう…)。彼女も空いている席に座り、初日が始まるのを静かに待った。
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