第十一話 責任取って下さい

「お、おや、どうしたんだい?」


 訪ねてきた優弥の顔を見るなり、ロレール亭の女将シモンが慌てたように声をかけてきた。なんとなく目が泳いでいるように見えたが、気にしても仕方がない。


「いや。せっかく借りた家だが出ようと思ってね」

「えっ!?」


 そこで彼はソフィアとポーラが出ていって戻らないことを話し、あの家にいるのは心情的に辛いので引き払うことに決めたと伝えた。


「なんだい、結局泣かしちまったんじゃないか」

「ソフィアはね。しかし謝りたくてもどこにいるのか分からないからさ。まあ、二人が帰ってきた時に家がないと困るだろうから、三カ月分の家賃を払っておくよ」


 そう言って彼は金貨を三枚差し出す。釣りはいらないと言うと女将が険しい表情で彼を睨みつけた。


「言ったはずだよ。泣いて出ていったなら家賃は遡って月に金貨二枚とね!」

「ああ、そうか。そうだったな」


 支払うべきは五カ月分の金貨十枚だが、元々の家賃は小金貨八枚だった。二カ月分はすでに支払い済みだったため、金貨八枚と小金貨四枚が差額分となる。


「本当に出ていくんだね?」

「ああ。そこそこの貯えは出来たしグルールも辞めてきた。王都を離れるつもりだ」


 彼が本当にそれだけの金を出したのを見て、シモンは呆れたような口調で言った。


「だそうだよ。どうするね、二人とも」

「……!?」


 シモンが声を上げると、背後の物陰からソフィアとポーラが姿を現した。


「ソフィア! ポーラ!」


「ユウヤさん……」

「ユウヤ……」


「無事だったのか……って、ずっとここに?」

「うん」

「はい」


「ポーラちゃんがソフィアちゃんを連れてきたんだよ。しばらく置いてほしいってね」

「そうだったのか……」


「ユウヤさん、ごめんなさい! 私……ユウヤさんに出ていけって言われたのかと思って……」

「は? いや、あれは……」


「誰が聞いてもそう思うわよ! だけど夜盗が出ている時だったから心配かけたのは謝るわ」


 ロレール亭にいるなら無事を知らせるにはシモンに伝言を頼むしかないが、それだと嫌でも居場所が分かってしまう。どうしようかと悩んでいるうちにどんどん日が過ぎていき、今度は帰りたくても帰りづらくなってしまったそうだ。


(ちゃんと考えていてくれたんだな)


「ポーラさんからユウヤさんにそんな気はなかったって聞きました」

「だったらすぐに帰ってくればよかったのに」


「すみません。でも、せっかく頂いた指輪まで置いて出てきたから、嫌われたんじゃないかと思うと怖くて……」

「ああ、そうだ、指輪……は、後にしよう」


 怒りもあった。寂しさもあった。しかしこうしてまた二人の顔を見ると、そんなことはもうどうでもよくなってしまったのである。


「ソフィア、ポーラ」

「「はい」」


「改めて、また三人で暮らさないか?」

「ユウヤさん……」

「ユウヤ……いいの?」


「ああ。ただ俺は唐変木らしいから、うっかりまた何かやらかすかも知れない。それでも今回みたいに出ていってしまうのだけはやめてくれないか」


「その代わり引っ叩いていい?」

「ポーラさん……」


 ソフィアがクスクス笑っている。


「いいわきゃねぇだろ! 俺は優しくされた方が伸びる子なんだよ」

「子って……」


「ユウヤさん」

「うん?」


「本当に私、出ていかなくていいんですか?」


「もちろんだ。俺が言いたかったのは、こんなオッサンからは一日も早く逃げたいと思ってるなら仕方ないってだけだから」

「ユウヤさんはオッサンなんかじゃありません!」


「ユウヤはオッサンだと思いまーす」

「ポーラ、お前は出てけ」

「ひっどーい!」


 彼が求めていたのはこれだ。そして二度と失いたくないのもこれだった。


「ソフィア、一つはっきり言っておく」

「はい……?」


「俺は出ていってほしいと思ってるんじゃなくて、いてほしいと思ってるんだ」

「ユウヤさん……ありがとうございます」

「私はぁ?」


「ポーラは出ていってくれて構わないぞ。そうしたらソフィアとイチャイチャ出来るからな」


「うっわっ! ヘンタイ! 引くわぁ」

「い、イチャイチャ……ひゃぁぁぁっ!」


「ん? ソフィア、冗談だぞ」

「え……? 冗談……はぅぅぅ…………」


 この後またもやポーラからさんざん朴念仁だの唐変木だのと罵られながらも、彼は真面目な表情でシモンに向き直った。


「女将さんよ、そういうことだから金は返してもらう」

「このまま先払いしといてくれてもいいんだよ。えっと、ひぃふぅみぃ……何カ月分になるのかねぇ……」


「今まで通りの家賃でいいなら十カ月半分だ」

「えっ!?」


 それからしばらく紙に書いて確かめていたシモンが、信じられないという顔で優弥を見つめる。そんな彼は、女将がひぃふぅみぃと数えたことに笑いを堪えていた。


 もちろん実際は指輪によって翻訳されただけなのだろうが、そう翻訳されるということは、こちらの世界でのひぃふぅみぃ的な数え方をしたに違いないのだ。

(この指輪、なかなかやるじゃねえか)


「合ってる……アンタ、凄いね!」


「それだけの額を前払いさせるんだから一年分にしないか?」

「断るよ、大損じゃないか」

「ケチくせえなあ。なら返せよ」


 そうして彼は有無を言わさず、まだカウンターの上に並べられたままだった金貨と小金貨を回収する。


「本当に合ってたんですか!?」

「ユウヤさん、素敵です!」


 二人に褒められたが、キラキラした瞳を向けてくるソフィアの言葉が一番嬉しかった。ポーラとシモンがいなかったら間違いなく抱きしめていただろう。


(すまん、真奈美)


「ソフィア、逃げなさい! ユウヤがエロオヤジになってるわよ!」

「誰がエロオヤジだってぇ?」

「きゃあ!」


 ソフィアに襲いかかるフリをすると、彼女は笑いながら逃げようとした。ところがまだ足が完治していなかったせいでつんのめって転びそうになってしまう。


「あっ!」

「おっと、大丈夫か?」

「は、はい……」


 それをすんでのところで抱きとめた優弥だったが……


(ん? なんだか柔らかい……)

「ゆ、ユウヤさん、あの……」


 彼の手は、まだ発展途中と思われる彼女の胸を掴んでいたのである。


「シモンさん、警備隊を呼びましょう。この人ですって」

「そうだね、そうしようか!」


「ま、待て待て待て! どう見ても今のは不可抗力だろ!」


 ポーラとシモンが物騒なことを言い出したので、彼は慌ててソフィアの胸から手をどけた。だが、そのソフィアまでが嘘泣きして悪ノリする。


「もうお嫁に行けません……ぐすん」

「そ、ソフィア?」


「ユウヤさん、責任取って下さいね!」


「ソフィア……」

「ソフィアちゃん、アンタ……」

「へ? あっ……!」


 自分が発した言葉の意味に気づいて真っ赤になり、彼女は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。だが、優弥はキョトンとするばかりである。そして――


「えっと、責任なら取るけどどう取ったらいい?」


 バッと顔を上げるソフィア。シモンはあんぐりと口を開け、ポーラはこめかみの辺りを指で押さえている。その三人が口を揃えて言った。


「「「朴念仁の唐変木!」」」

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