umi辺の家に生まれて。
Nono The Great
第1話 Love Your Parents
「親になるまでわからんわい。」
夏の蒸し暑い日に、酢味噌でフカをあてにビールを飲みながら父は母に言った。私が持っている新しいものはなんでも欲しがる弟が、案の定スヌーピーの箱に入ったビスケットを狙って喧嘩になり髪の毛を引っ張りあっていたちょうどその時に父は帰宅し、散々兄弟喧嘩を叱られた後の話である。
私が12歳で弟が9歳になったころ、母が妊娠に気がついたのだが、そのころピリン系の頭痛薬を飲んでいたせいで、赤ちゃんに奇形が出るかもしれないと医者に診断されたようだ。今思えば、それ以前にも母に「あんたらに、もう1人兄弟できんで。しっかりせーな。」みたいな話をされた気もする。が、きちんと母が中絶することと、その理由が解ったのがその年だったのだと思う。
父は、その後、精管結紮術、通称でパイプカット、男性の不妊手術、つまり永続的な避妊のための外科的処置を受けた。
Wikipediaで検索したらそうゆうことなのだけれど、「もう、お前らには弟も妹もでけへんのやぞ。」と言う説明は並んで正座して父に怒られている仲の悪い姉と弟には悲しいのか、嬉しいのか解らんカミングアウトでしかなかった。しかしながら、姉と弟は、母が仏壇に向かって泣いていることがあったことや、実物大の赤ちゃんの人形に服を編んでとても可愛がっていたことも覚えている。「水子」と言う子どもの話もそのころ母から良く聞いたものだ。
父は若い頃、とても貧乏だったのに、何故か空手2段の柔道初段を持つアスリートであった。強い体に強い精神が宿ると私と弟にスパルタ教育じゃと言って竹刀を持って兎飛びをさせたり、腹筋を鍛えさせたりした。父はまた、スキー、スキューバー、キャンプ、ライフル銃でハンティングまで嗜むアウトドアー派で夏休みには、親戚のチビやらも一緒に連れてどこかへ行くので、歳上の私はいつもお守り役になる。チビたちが怪我したら全て私の責任になるのだが、それを断ると何処へも行けない夏休みしか選択肢はなくなってしまうのでチビたちのおやつはお姉が全部管理して毎年手名付けた。後に大人になって就いた英語保育の仕事にとても役立った。
学校で家庭訪問の時期になると、住所と、家族の名前と父の職業を書いて提出する紙を父は丁寧に書いてくれた。まず、父の名前、つぎに妻=母の名前、次に実母=おばあちゃんの名前、そして長女=私の名前、そして最後に長男=弟の名前を丁寧に書いてくれた。弟は「なんで、僕は一番最後なんよ。」って不服を述べるので、「ほな、あんたのあとに次男=黒べーって書いてもらいよ。」と母は言った。次男は、弟が可愛がっていたガリガリのペットの黒猫だ。それから、南海本線岸和田駅から自宅までの地図を丁寧に定規を使って書いてくれた。
我が家は道の奥にあるボットン便所の小さいボロ屋だが、家の前にある小屋で、獲物の位置を人間に知らせる鳥猟犬のポインターがいるのは書いてないので、家庭訪問の先生はいつも怖がって私の名前を大声で呼び、犬もワンワン吠えまくりな日にいつもだいたいなっていた。
祭りしか楽しいことのない町と他所の方は申されますし、学校の先生からも就職したら、岸和田弁は使わぬようにとご指導いただきましたが、大人になって世界を飛び回り、祭り以外の楽しいことも知ったし、東京では、江戸っ子に英語で道を尋ねることもできるようになりましたが、この土地で父と家族と過ごした年月で、私は人間を愛することを学びました。今、こうして人の親となり、父が申しておりましたように親になってわかる人生を味わうことができたことに今、私は感謝しているのです。
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